ゲームホリック

ゲーム大好きぃ!!でゲーム脳なのであること無いこと書き散らします。

雑記:プレイしないゲーム

2009年11月30日 | ゲーム
どうにもこうにも『FIFA10』にのれないでいたところ、サッカーゲームが嫌いになったのかなぁと、漠然と遠ざかっていた『カルチョビット』に再び手を出してみましたところどハマリです。


最先端のサッカーゲームである『FIFA10』と比べると、出来ることは非常に限られていています。監督であるプレーヤーが試合中にできるのは、「選手交代」、「ライン設定」、「マンマーク」のみです。

プレイヤーがやれることが限られているということは、プレイヤーの手間が少ないということでもあります。そもそも試合中の操作も基本的にはしなくても良いものです。監督が何もしなくても試合は展開されます。

では試合前に監督には多くの仕事(操作)が用意されているのかといえば、必ずしもそうではありません。「選手獲得・解雇」、「特訓」、「フォーメーション設定」ほどしかありません。

けだし重要なのは「特訓」です。同じ園部さんの『ダビスタ』や他のゲームとは異なり、この「特訓」には自動モードがありません。試合で得られる「特訓」カード(一度に3枚まで)を用いて「特訓」を行いステータスを上げます。

またこの「特訓」カードは試合を通して得られるのですが、試合をスキップ(「途中だけど帰る」)をしてしまうと「特訓」カードを得られません。たとえ一方的な試合展開でもスキップしてしまえば「特訓」が出来なくなります。

試合のスキップがプレイヤーにデメリットをもたらす可能性と同様に、プレイヤーの出来ることに制限があることは一見プレイヤーにとって不自由なシステムですが、感情移入を促すのに有用な足枷のようにも思えます。


出来ることが少なくとも、たとえば「特訓」の積み重ねで強化された選手たちは、子供の統率の取れないサッカーから組織的なサッカーに変化してゆきます。その過程をユーザーは半強制的に視聴させられるのです。

数値上げに終始してしまいがちなシミュレーションゲームの中において、試合を観ることこそが『カルチョビット』での重要なゲームデザインになってます。試合を観る事こそでチームの成長を、プレイヤーの成果を実感できます。


ゲームをプレイしないけどプレイするゲームという一見矛盾しているようにも見えて、けれどもきちんと体現されていて面白いゲームになってます。人は選ぶでしょうが、ぼくにとっては『ダビスタ』以上です。DS版の登場が楽しみです。

最新の画像もっと見る