ゲッチョのコラム

カマキリ広報パートⅡからゲッチョのコラムにタイトル変更しました。再開します。よろしくお願いします。

インドネシア編 その2

2017-07-29 21:50:07 | イベントその他
市場のつづき
豆腐があった。沖縄の島豆腐みたいに、かたい豆腐だ。
食用シダの束・・・もある。クワレシダだろうか。
市場をめぐったあとは、朝食へ。ノリトのおすすめということで、ブブール・マナドというものを(写真)。 
マナド風おかゆ・・・だ。お米もはいっているけれど、どっちかどいうと、野菜スープみたいなかんじ。カボチャとシンコン(キャッサバ)のイモ藻はいっているので、色が黄色。
「これは甘くないカボチャだからできるんだよ」というのはタツヤ。
ほかに、空心菜やシンコンの葉も入っている。におい付けは、レモングラスや各種ショウガ。おまけにこがしニンニク。
これは、おいしい。
基本的に、インドネシアで食べた料理、とってもおいしかった。

ゲッチョ先生、インドネシアに行く!

2017-07-29 21:46:21 | イベントその他
7月19日~
自由の森のときのクラスの生徒だったノリトは、今、インドネシアで「純胡椒」というブランドのコショウを製造、販売している。
その、ノリトの招きで、インドネシアへ。
大学で授業をしてから、夕方の便で羽田へ。羽田を深夜発のエアアジアに乗ると、翌朝、クアラルンプール着。ここで、ジャワ島のスラバヤ行きに乗り換え。さらにスラバヤでインドネシアに入国したのち、国内線に乗り換え、スラウェシのマナドへ。突いたときは、すでに夜の7時だった・・・。
と、こう書いたが、とにかく、ノリト様々。LCCの国際線の注意点やらなんやらをメールで送ってくれたし。とくにスラバヤは国際線と国内線が車で30分も離れているから、個人では移動がとっても難しい・・・。ここも、ノリトは現地人の利をいかして、友人の車で送迎をしてくれた。
ノリトがインドネシアに出入りするようになったのは、2000年というから、僕が沖縄に移り住んだのと変わらない。ところが、ノリトのインドネシア会話力ときたら、電話で自分の仕事場の従業員への指令やらをふくめ、傍目にはインドネシア人と遜色が無いように見える・・・。すごい。自分のこの17年間は、ほとんど成長が無かったんじゃ無いかと思うほど。
せて、マナド空港につくと、そこにはマナドに在住のノリトの仕事仲間の華僑系のインドネシア人と、自由の森の時にノリトと同級生だったタツヤが待っていた。
今回の機会にあわせて、タツヤも千葉からバリ経由でマナドにやってきていたのだ。タツヤはタツヤで卒業後、フランス留学をへて、ブラジルでコックをしていた経歴のある農家・・・という肩書き(5日ほどの滞在のおわりには、「耳ができてきたから、あと数日したらインドネシア語、しゃべりはじめられるかも」なんていっていて、これまた、すごいなと思わされた・・)。
この日は、夕飯を食べてのち、そうそうに休む。翌朝は、マナドの市場を見学。
スラウェシというのは、どこかジャングルというイメージしかなかったのだが、車もバイクも渋滞するほど走っているし、人の賑わいがすごい。市場もごったがえしだった。
とりあえず、市場の中でみかけた、トウガラシと、パパイヤの雄花(どうやって食べるのだろう?)・・・。あれこれ、気になるものはあるけれど、旅はこれから。そう、あれこもこれも買うわけには行かなかった。

  

アダンジャム作りに挑戦!

2017-07-17 18:06:35 | イベントその他
7月8日~
奄美・笠利での聞き取り調査。大正時代生まれの方のお話を聞けたのには、カンゲキ。
奄美北部というのは、山もなくて・・・というイメージだったけれど、思っていたよりも、かつては田んぼがあったようだ。
帰りがけ、アダンの木の実が、あちこちでうれていたので、一つ持ち帰る。
ゼミ生に聞いたら、クワの実は知っているけれど、グミも野いちごも知らないという学生が圧倒的に多い。で、アダンの実を食べることに。そのままだとさすがにおいしくないので、分果の根元の黄色い部分はジャムに。そして実の中心部は、挽肉と味噌で炒め煮にしてみた・・・
  

えええ? と学生、最初、ひいていたんだけれど、クラッカーといっしょに口にすると、「案外、おいしい」との声が。とくに、実の芯の部分はくせがない。
ゲッチョゼミで商品化するかという冗談も。ただ、ジャムのほうは、実にもよるのかもしれないが、少しのどの奥にいがらっぽさみたいなのを感じるような。