ゲッチョのコラム

カマキリ広報パートⅡからゲッチョのコラムにタイトル変更しました。再開します。よろしくお願いします。

出星前夜の土地

2012-11-10 16:27:18 | 日記
長崎県、島原半島の突端にある、口之津小学校で骨の話しをする機会がある。
 小学校の校舎は斬新だった。こんな校舎もあるもんだと感心してしまう。校長先生に話を
聞くと、校舎は船をモチーフにしたものなのだそう。というもの、今は昔、ポルトガルとの交易
が盛んだった頃、口之津は貿易港として栄えた土地であったからだ。さらに近年まで、船乗り
になる人も多かったとか。
 骨の話をし終えて、雲仙普賢岳のふもとにある温泉旅館に向かった。途中、海に面した
「原城跡」を遠望した。
 そうなのである。
 ここは、かの島原の乱の土地なのだ。
 ここの名産は、そうめんなんですよ…と、僕を招いてくれた先生が言う。なぜだと思います?と。
 島原の乱で、この一帯の農民は皆死んでしまって、代わりにそうめんの産地の小豆島から人々
が入植したからですよ…と。
 あっ……と思った。
 沖縄に戻り、飯嶋和一の『出星前夜』をよ見返す。
 飯嶋和一は、僕のもっとも好きな作家だ。しかし、その作品は読み返すのが重く、つらいときも
ある。『出星前夜』も最初からは読み返せず、ところどころ、拾い読みをした。その本の中に
口之津という地名が確かに出ている。『出星前夜』は、まさに島原の乱を題材にしている。文中、
口之津も含めた一帯の住民が一人残らず住居を捨て、原城に立てこもる……と言う場面が出て
きた。つまり、一帯の住民は、すべて死んでしまったということだ。以前読んだ時も目にした文章
ではあった。しかし、その土地に足を踏み入れたのち読みなおすと、迫りくるものが、また違って
いる。
 『出星前夜』の主人公は、天草四郎ではない。一介の医者の見習いの若者だ。飯嶋作品は、
いつも、市井の民が主人公となり、時代に立ち向かう。だから、今、何度も手に取りたいと思う。

台風の春

2012-11-03 18:14:43 | 日記
9月末。台風17号が沖縄を駆け抜けた。
「これは大丈夫か」
ひさしぶりに、そう思わされる台風だった。一番の心配は停電。大学の冷凍庫には、学生実習用の生き物の死体があれこれと入っているからだ。幸い、停電は短時間で、冷凍庫には解凍された跡はあったものの、それほど死体は劣化した様子はなかった。
 しかし、台風の影響が甚大であることは、時とともに明らかになった。新学期が始まったこともあって、大忙し。ヤンバルどころか、野外にまったく行ける状況ではかったが、10月下旬になって、長野からイモムシ男のヤスダさんが取材にやってくることになった。ひさびさのヤンバルの森。ところが、虫がいない。特にイモムシがいない。ヤスダさんの目をもってしても、さらにはスギモト君が合流して探してもなお、イモムシがいない。
 台風、おそるべし。強風に加え、海水から巻き上げられた塩が木々や草々に吹き付けられた。なおかつ、その台風後まとまった雨が降らなかったことも、影響を大にした原因だ。常緑の森が、すっかり葉を落としてしまっているのだ。
 沢沿いの森の中の林道を歩いていたら、とある角を曲がって、絶句してしまった。その先に広がっていたのは、まるで早春の雑木林を思わせるような枯野であったから。
 「ギフチョウとかミヤマセセリとか飛んでいそうですね」
 スギモト君が、そんな風にいうくらい。
 台風、おそるべし。
 それでも。
 台風後、一週間でシマグワは花を咲かせ、そろそろ実が熟し始めている。すっかり葉を落としてしまったクワノハエノキも新緑をふかせている。
 「こりゃ、春だなぁ」
 ヤスダさんがそんなことをいって、エノキの新緑にカメラを向けた。
 この台風は、何年か、または何十年かに一回の大災害であるのだが、それはまた、大昔から島に生き続けている生き物たちにとっては、どこかに織り込み済みのものでもあるのである。それは、島に生きるということに付随する宿命のようなもの。
 台風を終えて、今、島には春がきつつある。