ゲッチョのコラム

カマキリ広報パートⅡからゲッチョのコラムにタイトル変更しました。再開します。よろしくお願いします。

館山便り

2017-02-22 22:08:30 | イベントその他
2月18~19日
母親の様子うかがいに、上京。
機中、4月出版予定の新書(『身近な自然観察図鑑』という書名になりそう)のゲラの再校。今回は、「です・ます」調の文体で書くということをやってみた。自分的には、なかなか、新鮮。企画を持ち込まれたときは、ぜひやってみたいけど、本当にできるかしら・・・と思ったものだけど、なんとか再校の段階まで進んだ。
東京駅で、編集者と合流。この夏に出版予定の落ち葉の絵本の原画を手渡し。そう、原画は送る場合もあるけれど、丁寧な編集者の場合、「直接手渡しお願いします」と頼まれることもあるのだ。しばし、編集者とゆんたく。じつは自由の森の卒業生なので、かなりざっくばらんにいろんなことが話できる。本当に自由の森ネットワークに助けられている。
東京から高速バスで館山へ。途中のスーパーで晩飯のおかずを買い入れ、実家へ。
「やってもらいたいことがある」
例によって、母親の指令。で、縁側の脇においてある戸棚の中の整理。なくなった父の使っていた古いカッパやらバッグやらをゴミ袋に詰め込んで。シャーレやら、試験管、さらにはミョウバンの結晶なんてものまででてくる・・・。
ようやく30分ほどフリーになったので、近所にあるチェックしていない神社に地衣類観察。ただし、ここは外れだった。
翌日は、前日とうって変わってあれた天気。これは電車やバスが止まらないうちに空港に戻らなければと焦る。午前中はこれまた母の用事で銀行まわりをし、昼食をかきこむと、そそくさと駅へ。飛行機の時間まではまだあるので、東急ハンズをぶらぶら。次の絵本の題材と関連したものを探し歩く。ちょっともったいない時間の使い方となってしまったけれど、天気には勝てない・・・。
書店で、『あなたの隣の放射能汚染ゴミ』を買って読む。うーん。とんでもない「世界」になってしまっている。

やんばるの地衣類パレード

2017-02-22 22:02:55 | イベントその他
2月18日つづき
森から出て、田んぼへ。
といっても、年々田んぼは少なくなり、サトウキビへ転作がすんでいる。残された田んぼも、稲ではなくて、シチトウイなどが忘れられかけたように植えられているだけ。その畦をめざす。
というのも、昨年11月、辺土名にすむナッちゃんが、自宅の畑で、ケラタケらしき虫草の未熟個体を見つけたからだ。これは、冬虫夏草の会の内山さんのところへ送られ研究されることになった。が、住宅地の中の畑という発生環境には意表がつかれた。本来はもっと湿気のある田んぼの縁とかで発生しているのでは・・・というわけ。白いストローマを目印に探すが、もちろん、そう簡単ではない。結果はカケラも見つからず。
といっても、この畦歩き、結構たのしかった。森の中ではほとんど虫をみなかったけれど、枯れ草をどけると、ヒロアオヘリホソゴミムシやアオバアリガタハネカクシなどがわらわらと逃げ回る。ナナホシテントウも、もう出歩いている。ムシクサには、アオタテハモドキの幼虫もきていた(写真)。

おお・・と思ったのは、畦に生えていたコケ。こりゃ、ゼニゴケ? ゼニゴケはたしか沖縄にはないはずだけど・・・(ただし、あとでコケ師匠のキムラさんに見ていただいたら、ゼニゴケではなくて、フタバネゼニゴケとのこと。ああ、コケまだまだだ)
そしてもうひとつ。畦に生えている地衣をさがす。以前よりも雑草が茂っていて見つけるのに難儀したが、あった、あった。
最初似気づいたとき、田んぼの畦に地衣が生えているなんて、意表をつかれた。で、山本先生に送ったところ、最初の鑑定はハコネイボゴケ・・・超、普通種だった(というよりも、これによって、僕は初めてハコネイボゴケなる地衣を知った。で、気にしてみると、なんと千葉の自宅にも生えていた・・・)。ところが、先日、ヤマモト先生にお会いしたところ、この地衣、ハコネイボゴケとはまったく違う種類だったとわかったとのこと。沖縄の地衣、やっぱりおもしろい・・(写真)

沖縄だけに・・・スッパイマン!

2017-02-22 21:55:10 | イベントその他
2月18日。
成績付けやら会議やらで大学に縛られていたけれども、ようやく、本当にようやく久々にやんばるに行く時間がとれる。車中で思わずにんまりしてしまうほどうれしい。昨晩の雨もあって、森はうっすらとガスっている。森の奥からカラスバトとヤンバルクイナの鳴き声が聞こえる。ああ、やんばるだ。
2月中旬は、菌生冬虫夏草の発生期。いつものポイントにもぐると・・・あらら、何にもない。このところずっとごぶさただったので、これが今年はもう発生が終わったからなのか、それとも今年は発生自体がみられないような年なのかということがわからない。かわりに早春もののひとつ、シリアゲムシ類の羽化したてをみる(写真)。

もうひとつの森へ。雨上がりの森の底へダイビング。これまた久しぶりにブユにやられてまぶたがはれる。うーん。ここにも冬虫夏草はない。かわりにウスベニタマタケ類はいくつも目に入ったけれど(写真)。

昼近くになったので、森から出る。今度は林道をぶらぶら。地衣類を見て歩く。この林道は、5年ほど前、初めて地衣類を見だしたときに見て歩いたところだなあ。そのときと比べると、地衣類の見え方が違っていることに気づく。
と、ホルトノキの幹に、赤い点々があることが目にとまる。これは・・・。おそらく、ウメボシゴケ。拡大してみると、まさに梅干し・・というより、スッパイマンに似ているような(写真)。

やんばるのフィールドシーズンが始まった。
できるだけ、通いたいなあ。

ほねほねサミット in Osaka vol.2

2017-02-14 22:39:55 | イベントその他


ホネホネサミットでは、講演をすることに(写真)。マキコが司会をしてくれたのだけど、まあ、緊張した。やっぱり講演はへたくそだなあ。300人もきてくれてたよとマキコがいうのだけれど、まとまりのなかった話をしてしまったなあと、いつものごとく反省。
夕方からは、懇親会。ミノルとゆっくり話しができたのが、うれしい。写真は、ミノルの机の上においてあった「耳開きバサミ」・・・なんじゃそりゃ?だけど、なんでも剥製をつくるとき、耳を開いて中の軟骨を取り除くときに使う専用のはさみなんだとか。普通、一生、使わないよね。


恐竜の復元画で有名なオダさんともゆんたく。海洋堂のシノブさんともひさしぶりにお会いした。あんまりたくさんの人に会って、飽和状態・・・。
飲み過ぎて、ようやっとホテル着。


2月12日
朝から会場へ。昨日、海で拾いものの話をしたせいで、何人かの人が実際に海で拾ったホネのお持ちこみ。「これ、鯨ですか?」といってもってこられたのは、ウシの前足(写真)。


このほかに、ウミガメの鎖骨の持ち込みもあった。僕のブースの机の上には、クジラの背骨をおいておいたのだけど、やはり一般のお客さんには、これが人気。もちあげて、「これって化石?(つまり、石みたいに重いけど・・・という意味)」と訪ねてくる人が結構いた。今回はハンズオンの展示にしたので、ジュゴンのホネとクジラのホネの重さを持ち比べてもらったり、ダチョウの胸骨の軽さを感じてもらったり。なんだかんだで、ほぼずっとブースにはりついて、お客さんとやりとりをしていた。その点、他のブースの展示をゆっくりみるひまがなかったのが残念。
4時すぎに、そそくさとザックの中に机の上のホネたちをしまいこみ、関西空港へ。
また、いつかあるのかな? ホネホネサミット


ほねほねサミット in Osaka

2017-02-14 22:32:51 | イベントその他
2月10日
FD委員会の会議を終えて空港へ。前日から関西は雪とかいっていたので、これで飛行機が飛ばなかったらしゃれにならないなあと思っていたのだけれど、無事、出発。
大阪市自然史博物館でのホネサミットへGO。思えば、前回はワークショップ講師に呼ばれていたのに、台風で大阪にいけず泣く泣く沖縄残留。
この日は夜の11時過ぎにホテル着。歩いたのはたいした距離ではなかったものの、クジラの背骨とジュゴンの頭骨のレプリカとかを入れたザックが本当に重くて、泣きが入ってしまった。
2月11日。会場へ。入るなり、わお。すごいことになっている。ホネホネサミット、年々、レベルアップがはんぱない。今回はそれを予測して、組み立てた骨格標本なんかを持って行ってもかすんでしまいそうだからと、海で拾ったばらばらの骨を広げてみようと思っていた。が、予想以上にみんなすごい・・・。
ちなみに隣の席はミノル。ミノルは机の上に剥製用の道具を並べ、アカショウビンの剥製を作りつつ、お客さんとやりとりをしていた(写真)。


マオちゃんにも久々に会う。マオちゃんの魚標本もますますすごいことになっていた。正面のケースに入っていたのは、ピラルクとレッドテールキャット。アマゾンの大型ナマズって、こんなにごつい頭骨をしていたのかとびっくり。


ほかにも、「珍ウニありマス」なんていう看板を掲げた棘皮屋さんも。見ると、とんでもない形のウニの標本がならんでいる。びっくりしてのぞき込んでいたら、「盛口さんですか」と声をかけられた。骨の学校を読んでくれていた人だったのだ。それで、いつのまにか、骨からウニになったとか。「ウニの本とか書いてもらえませんか」とかいわれるけども、ウニの殻の幾何学模様は無理・・・。魅力的ではあるけどねえ。
マキコやミカコやそのほかいろいろ、なつかしい方々とも再会。あらたな知り合いもたくさんできて(覚えていられなそう・・・)。
お客さんも多くて、まるで縁日でお店を開いている感覚だった。僕のブースの写真も一枚。