
洗礼名は、ガラシャ。
ミムラが演じる洗礼後のガラシャの清々しい表情が印象的でした。

たまの嫁ぎ先である細川家が、「本能寺の変」にあたって明智光秀に協力しなかったことは周囲の武将たちにもおおいに影響を与えたようです。

細川忠興(ほそかわただおき)と正妻のたま<=ガラシャ>の間には、三男二女に恵まれたのだとか。
しかしながら、関ヶ原の戦いで忠興は東軍につき、ガラシャは西軍の人質になるのを拒み自害。
やがて徳川家の時代になって、豊前国小倉藩の藩主としてやってきた細川忠興。
正妻のたまを失い平穏な世の中になってのち、小倉城<現在の福岡県北九州市小倉北区>で彼は何を思ったのでしょう。
(忠興の嫡男である忠利(ただとし)も小倉城主となっています。忠利はのちに肥後熊本藩へ。)
『小倉城』公式サイトを見ると、細川忠興は小倉城を築き、小倉の城下町整備を語る上で外せない人物のように見えます。
今では小笠原氏のイメージが強い小倉城ですが、小倉城と細川忠興に注目して郷土史を見てみたいと思うのでした。
図書館に行ったらわかるかしら。


昨年秋に小倉城庭園から撮影した小倉城。
当ブログ内の記事:小倉城庭園(2010年11月)

~6月26日まで。
会期中に見に行きたいです。

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