晴れのち平安

源氏物語を中心に平安な日々♪
※文章や写真の無断転載は禁止!

続・お知らせ☆

2011年01月30日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
昨年秋に、私も参加させていただいた滋賀県観光交流局主催の事業
『近江路・歴女ブロガー旅紀行 歴女がゆく 浅井三姉妹 江のふるさと みんなで作る滋賀の旅』(http://jtbwallet.jp/special/shiga/)での「歴女(歴士)の滋賀モニターレポート 旅行ブログコンテスト」受賞者が発表されたもようです!


あ。このブログに連載した私の旅行記は、選外ですよー。

上記ページから、滋賀県の旅をモニターとして歴女・歴士ブロガーの皆様(私も含む)に書かれた旅行ブログ、旅行記を拝読できます。

受賞された方はもちろん、参加されたみなさん力作ばかりのようで、後日、PCからゆっくり各ブロガーさんによる旅行記を拝読したいです。(≧∇≦)



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お知らせ♪

2011年01月02日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
昨年、私も参加させていただいた滋賀県観光交流局による事業「近江路・歴女ブロガー旅紀行」のこと。


大河ドラマ 江 ~姫たちの戦国~ 滋賀県推進協議会『お江のふるさと滋賀』(http://www.go-shiga.jp/)「歴女ブロガー」(http://www.go-shiga.jp/blogger/)のページから当ブログ内の記事へリンクいただいています。


大津城と近江大津宮~歴史と文学の舞台・大津~


「歴女ブロガー」(http://www.go-shiga.jp/blogger/)のページに掲載されている旅のタイトルはブロガー各自で決めることになっていて、どんなタイトルにするか悩みました。(笑)


戦国時代について深く掘り下げられなかった点が、かなり後ろめたいのですが。
私はともかく、歴女・歴士(=歴史好きな女性と男性)の皆様による旅行記は力作ぞろいですよー
勉強になりますっ。(`・ω・´)シャキーン

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大津は古津だった。

2010年11月27日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
ブログ記事 近江大津宮(おうみおおつのみや)錦織遺跡 に関連して小話。

滋賀県大津市の「大津」という地名は、かつて「古津」と表記されていました。
全国的にも「大津」という地名は多くあり、津とは港のことなので、“大きい港”という意味に由来するのだとか。
琵琶湖にはたくさんの港(万葉集によると80ヶ所!)があったので、大津は琵琶湖における代表的な港のひとつであったようです。

天智天皇によって営まれた「近江大津宮<通称:大津京/日本書紀:近江京>」によって物資の集散地として「大津」<港>は栄えたものの、ミヤコが廃されてのち「古津(こづ・こつ)」と称されるようになりました。
これは、古都の港・古い港という意味だと思われます。


「大津」の名が復活するのは、平安時代初期のこと。

平安京<京都>へ都を遷した桓武天皇によって、以下のような詔(みことのり=天皇の命令)が、794年11月8日に発されました。

「近江国滋賀郡古津者、先帝旧都、今接輦下、可追昔号、改称大津」

(近江国滋賀郡古津は、先帝の旧都にして、今 輦下に接す、昔の号を追いて、改めて大津と称すべし)



※先帝(せんてい)=桓武天皇の曽祖父である天智天皇のこと。
※輦下(れんか)=天皇のおひざもと。


ようするに、“古津は天智天皇の旧都で、今は平安京にとっても重要な港であるから、昔の呼び名で大津と改称しなさい!!”ということですよね。
ざっくり解釈☆


この詔(みことのり)がなかったら、大津の名はなく、古津のままだったのかも・・・
なーんてことを思うのでした。



 天智天皇~桓武天皇の系図。




*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*

■参考

・「図説 大津の歴史」上巻 
 (編集:大津市歴史博物館市史編さん室/発行:大津市)
・「平安時代史事典CD-ROM版」
 (監修:角田文衛/編:古代学協会・古代学研究所/発行:角川学芸出版)

*☆*―――――――――――――――――――――――――――*☆*



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2010年11月15日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
滋賀県大津市の旅行から帰宅後、規定通り(?)10日以内に骨組となる旅行記をUPして
その後、各ブログ記事内(リンクURLは固定)をぽつぽつ加筆・編集していた
“近江路・歴女ブロガー旅紀行”の中身が完成しました。

なんだかんだで1ヶ月かかってしまいました。
要点だけを簡潔に書けなくてごめんなさい。
「愛」だけは詰まっています。(笑)

現在、情報収集にかける時間と体力に余裕がないので、今回の滋賀県観光交流局主催の企画に参加された私のほかの49名様のブログを全て拝見できていません。


もし、よろしければ当選されたブロガーさんである・なしに関わらず、各記事の内容に少しでも関連することでしたら、各ブログ記事にトラックバックいただければ嬉しいです。


過激な内容や攻撃的な内容以外でしたら、おおいにトラックバック歓迎でございます~。
長い期間、トラックバックを受け付けない設定にしていたので、手探り状態だったりして。
期間は様子を見て設定します。




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京阪電車 石山坂本線「龍馬電」ラッピング電車

2010年11月14日 | 近江路・歴女ブロガー旅紀行
2010年10月、1泊2日で滋賀県大津市を巡った折、2日間の移動は『京阪電車』を利用しました。
京阪電車 大津線 公式サイト⇒http://www.keihan-o2.com/

NHK大河ドラマ「龍馬伝」にちなんで作られたのでしょうか、『龍馬電』という坂本龍馬ラッピングの電車に何度か乗車できました。
その時に撮った写真を掲載します。



京阪「近江神宮前」駅にて撮影。右側の車両が『龍馬電』です。



京阪「石山」駅にて撮影。


京阪「石山」駅にて撮影。



京阪「粟津」駅にて撮影。


(↓画像をクリックされますと、やや大きめのサイズでもご覧いただけます。)



電車に乗り込み、たまたま、車内を見上げたら『近江龍馬会』による解説が掲示されていました。
坂本龍馬の「坂本」という姓は、明智光秀の城下町であった「近江坂本」からきているという説が紹介
龍馬の先祖が、明智光秀の一族の家来だったから「坂本」の姓になったとのことです。
※諸説アリ。

明智光秀の像もある『坂本城址公園』(滋賀県大津市下阪本)は、京阪「松ノ馬場(まつのばんば)」駅下車 徒歩25分のところにあるそうですよ。
JR湖西線を利用する場合は、「比叡山坂本」駅が最寄り駅です。



『龍馬電』の車内では、“龍馬さん”が走っているイラストシールも貼られていました。
龍馬さんも走る!京阪電車も走る!!



大津市内で「明智光秀を歩く」というチラシ(両面印刷・地図と案内)もいただきました



JR「大津」駅2階、『(社)びわ湖大津観光協会』でいただきました。
「坂本城を考える会」による発行。

明智光秀ゆかりの地をめぐるのに便利そうです♪





 おけいはん、龍馬に出会う!

京阪電車では、2010年12月23日まで京阪沿線「坂本龍馬をめぐる旅」スタンプラリー開催中。

京阪沿線の坂本龍馬ゆかりの地やスタンプラリーについて、
詳しくは、『おけいはん.ねっと』の特設ページ 「おけいはん、龍馬に出会う!」をどうぞ。





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