晴れのち平安

webサイト『花橘亭』の更新記録。
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まつらの姫達の宴3(2008年2月28日)

2008年03月03日 23時34分50秒 | 日記
■古代の森の梅まつり・物産展
日時:2008年2月23日(土)~3月9日(日) / 9:00~17:00
会場:鏡神社梅林

私が訪れた日(2月28日)は、古代の森会館内で物産展が行われていました。


*梅の写真集






















紅梅も白梅も綺麗でした♪





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まつらの姫達の宴2(2008年2月28日)

2008年03月03日 23時03分01秒 | 日記
■万葉の女とおひな様展・・・川崎幸子の世界
日 時:2008年2月23日(土)~3月9日(日) / 9:00~17:00
会 場:古代の森会館
入場料:大人 100円 ・ 子ども 50円

川崎幸子さんの万葉時代の女性の人形はとても素晴らしかったです。
凛とした中にも優美さと色っぽさが良いバランスで存在するお人形でした。
(写真は撮っておりません。なんだか恐れ多い気がして。)

川崎幸子さんの作品はこちらのサイトで拝見できます。
Webサイト『博多人形工房 川崎』


■まつらにゆかりのおひなさま展
日 時:2008年2月23日(土)~3月9日(日) / 9:00~17:00
会 場:古代の森会館(展示場)
入場料:無料


*雛人形のコーナー 写真集




















写真は展示されていたものの一部です。
お人形や屏風の絵に癒されました。



まつらの姫達の宴3へ続く。





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まつらの姫達の宴1(2008年2月28日)

2008年03月03日 22時26分24秒 | 日記
佐賀県 からつ領巾振(ひれふり)の嶺(みね)
まつらの姫達の宴
会期:2008年2月23日(土)~3月9日(日)


●所在地:佐賀県唐津市鏡1826-2(古代の森会館)
●交通 :JR筑肥線「虹の松原」駅下車 徒歩20分
『まつらの姫達の宴』公式サイト


2月28日に佐賀県唐津市の古代の森会館で開催されている「まつらにゆかりのおひなさま 川崎幸子 万葉の女」展へ行ってきました。
古代の森会館は、鏡神社の隣りにあります。




鏡神社




古代の森会館 外観




入口と「まつらにゆかりのおひなさま 川崎幸子 万葉の女」展の看板


「まつらの姫」とは、鏡の里にゆかりの万葉歌人に詠われた佐用姫と源氏物語の玉鬘(たまかづら)です。

  


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まつらの姫 「佐用姫(さよひめ)」
   ―万葉集と肥前風土記―



 大伴狭手彦(おおとものさてひこ)は537年、朝廷の命令で朝鮮半島の任那(みまな)・百済(くだら)の救援のため、この松浦(まつら)の里に来て佐用姫と出会い恋に落ちます。しかし、大伴狭手彦(おおとものさてひこ)が船に乗って新羅(しらぎ)に出発する日がやって来ます。佐用姫は鏡山に登り、別れを惜しんで領巾(ひれ=ショール)を振ります。このことから、鏡山を別名、領巾振山(ひれふりやま)と言った故事などが「肥前風土記」に載っています。
また、「万葉集」には次の七首の佐用姫に関する歌が載っています。

・松浦懸(まつらがた)佐用姫の子が領巾(ひれ)振りし山の名のみや聞きつつ居らむ <山上憶良> 868
・遠つ人松浦佐用姫夫(つま)恋に領巾(ひれ)振りしより負へる山の名         <大伴旅人> 871
・山の名と言い継げとかも佐用姫がこの山の上(へ)に領巾(ひれ)振りけむ       <大伴旅人> 872
・万代(よろずよ)に語り継げとしこの嶽(たけ)に領巾(ひれ)振りけらし松浦佐用姫   <大伴旅人> 873
・海原の沖行く船を帰れとか領巾(ひれ)振らしけむ松浦佐用姫              <山上憶良> 874
・行く船を振り留みかね如何(いか)ばかり恋しくありけむ松浦佐用姫           <山上憶良> 875
・音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾(ひれ)振りきとふ君松浦山          <三島王> 883



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まつらの姫 「玉鬘(たまかづら)」
  ―源氏物語―



 源氏物語に登場する「玉鬘(たまかづら)」は光源氏の寵愛を受けてはかなく亡くなった「夕顔」の忘れ形見です。夕顔が亡くなった後、乳母に伴われて、この松浦の里で美しく育ちます。肥後の豪族「大夫の監(たいふのげん)」は、次のような歌を贈り求婚してきます。

  「君にもし心たがはばまつらなる鏡の神をかけて誓はむ」

 しかし、玉鬘は乳母と共に京の都に去って行きます。その時、玉鬘はこの地に未練はないけれど、鏡神社周辺の海辺の美しさと別れることが悲しいと言います。では、なぜ紫式部は鏡神社と海辺の美しさを知っていたのでしょうか。それは、二十歳の頃の親友「橘為義の娘」が父の肥前守と共にこの地に来て、しきりに紫式部と文通していたからなのです。

紫式部集の中には、次の紫式部の歌が載っています。

  「あい見むと思う心は松浦なる鏡の神や空に見るらむ」 紫式部

友達の返歌も乗っています。

  「行きめぐり逢ふを松浦の鏡には誰をかけつつ祈るとか知る」

すなわち、このことからも松浦の里の鏡神社は当時からかなりの勢力を持った有名な神社だったと言えるのです。紫式部は鏡神社を知って十数年後、「源氏物語」の中の背景にこの松浦の里の鏡神社を使ったと考えられます。

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なぎ注)
玉鬘は、“頭中将(とうのちゅうじょう)”と“夕顔”の間に生まれた娘で、光源氏の実子ではありません。
玉鬘は京へ戻ったのち、光源氏の養女として六條院の夏の町で過ごすことになります。
紫式部の肥前に住む親友について、角田文衞先生は“平維将(たいらのこれまさ)の娘=紫式部の従姉妹”であると考えておられます。【角田文衞 著『紫式部伝―その生涯と「源氏物語」』より】
また、『源氏物語の鑑賞と基礎知識 №12 玉鬘』に収録の「玉鬘巻と紫式部集」によると、紫式部の親友は“平維時の娘”であるという説が有力だと記されています。


↓なぎ作の系図。







まつらの姫達の宴2へ続く。





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