晴れのち平安

源氏物語を中心に情報発信&平安な日々♪
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【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く 此付近源融河原院址碑

2018年11月25日 01時20分00秒 | 「PICK UP」から移動
※こちらの記事はwebサイト『花橘亭~なぎの旅行記~』内、「PICK UP」に掲載していたものです。(執筆時期:2004年以降。再訪・写真撮影時期:2016年)
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く渉成園本覚寺・上徳寺<>河原院址碑


 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
 此付近 源融河原院址碑


●所在地:京都市下京区木屋町通五条下ル
●交通 :バス停「河原町五条」下車 徒歩5分


高瀬川沿いの道路に河原院跡を偲べる石碑「此附近 源融河原院址」と駒札がたっています。
大きな榎(エノキ)があるのが目印です!!








<駒札より>

 源 融   河原院跡

 源融とは嵯峨天皇の皇子であり、源氏物語の光源氏のモデルと言われる人で、宇治の平等院そばにも別荘(別業)をもっていた。この左大臣 源融公が、摂政 藤原基経の台頭により隠棲した邸第「河原院」が、このあたり東西・鴨川の中央あたりから西へ柳馬場通、南北・五条以南正面通あたりまでの大邸宅であった。この榎の大樹はこの邸内にあった森の名残といわれる。

 すぐそばには、小さな社と鳥居があり榎大明神が祭られている。この榎はその神木として崇められ、平成十二年には、京都市の「区民の誇りの木」に選ばれた。

 また、この河原院の名から河原町という通り名が生まれたといわれている。

 平安朝の初期には、この院の邸内の林泉に鴨川の水を引き、「殿舎・楼閣」をその間に点在させて風雅を極めた生活がなされていたとのことで、源氏物語 第一部 最終章「藤裏葉(ふじのうらば)」では、冷泉帝・朱雀院がこの河原院を訪問するところが描かれ「六条院行幸」という場面が出てくる。なお、朱雀院は光源氏の兄帝として描かれている。

 また、この邸宅の中にあり、元は歓喜光寺の鎮守社であった天満宮と歓喜光寺の鎮守社とが一旦合併し、今の錦天満宮に移り、その後、明治の神仏分離で、寺は東山五条(現在は山科大宅)に移築されている。

 富小路五条下るにある上徳寺辺りは、その昔、陸奥(みちのく)・塩竈の風景を模して造られた邸内の池が在った所といわれる。現在の町名、本塩竈町は錦天満宮の末社で源融公を祀るという塩竈社に由来しているといわれる。


  菊浜高瀬川保勝会
  京都市




 この榎(エノキ)があるあたりは「籬(まがき)の森」があったのだそうで、これは河原院の池の庭にあった「籬の島」のなごりだと伝わるのだとか。
※籬の島は、宮城県塩竈市の浦にある小島のこと。



 河原町五条の大きな交差点は河原院跡の北東部に相当します。
これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、花散里が住んだ「夏の町」にあたります。「丑寅の町」とも呼ばれました。


 



 以上、源融の河原院跡を歩きつつ、『源氏物語』における大邸宅「六条院」の冬の町秋の町春の町夏の町を訪ね思いを馳せてみました。




 「河原院」跡を訪ねたあとお時間がおありの方は足をのばして、錦天満宮とその末社・塩竈神社をお参りしてはいかがでしょう。神様となった源融にお会いできます。


錦天満宮



ご祭神:菅原道真公
ご神徳:智恵・学問・商才・招福・厄除け・災難除け

 菅原道真は『源氏物語』光源氏のモデルのひとりとも。

 『源氏物語』<須磨>において、京から須磨に退居した光源氏が、京から大宰府へ左遷された菅原道真の漢詩「九月十日」の一節を口ずさむ場面があります。光源氏の口から菅原道真が大宰府で詠んだ漢詩を言わせることで、『源氏物語』の読者が道真のイメージを光源氏に投影させることを狙っているのかもしれません。


錦天満宮 末社・塩竈神社(しおがまじんじゃ)



ご祭神:源融公(みなもとのとおるこう)
ご神徳:安産

 源融公の河原院跡に歓喜光寺が創建された際、源融公をご祭神として創始。その後、天満天神(のちの天満宮)とともに現在の場所へ移動したそうです。



【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く 本覚寺・上徳寺

2018年11月24日 17時00分00秒 | 「PICK UP」から移動
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く渉成園>本覚寺・上徳寺>河原院址碑


 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
 本覚寺


●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)



 源実朝<鎌倉右大臣>の正室・坊門信子ゆかりのお寺です。
 
 本覚寺の看板に ここは嵯峨天皇の皇子・源融の河原院塩竃(しおがま)の第があったところで、今この辺りを本塩竃町という。 と書かれておりここが「河原院」跡であることを記してあります。

 源融は「河原院」に難波の海水を運ばせて陸奥(みちのく=奥州)の塩竈(しおがま)のような風情を楽しんだのだとか。


 かつて本覚寺の境内に塩竈神社があったそうですが五条通の強制疎開によって取り払われ、そのご祭神・源融像は本堂に安置されているそうです。


こちらの写真は2009年に京都市下京区で開催された「源融が結ぶ塩竈の縁」というイベントで撮影させていただきました。






 上徳寺<世継地蔵>

●所在地:京都市下京区富小路通五条下ル本塩竈町(もとしおがまちょう)

 上徳寺は塩竈山(えんそうざん)と号し浄土宗に属し「河原院」跡に建つお寺です。通称「世継地蔵(よつぎじぞう)」として親しまれています。ご住職さんの姓が「塩竈」さんでいらっしゃいます。






世継地蔵

 上徳寺の西裏の墓地は窪地になっており、「河原院」の池の跡とも伝わるのだとか。
墓地には徳川家康の側室・阿茶局の墓もあります。(実際に葬られているのは東京都内の雲光院だそうです)





現在、本覚寺や上徳寺があるあたりは「河原院」跡の北西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する「六条院」の図に重ねたとしたら、明石の君が住んだ「冬の町」にあたります。




 『源氏物語』においては明石の姫君がのちの東宮を生んだ六条院冬の町。

 そんな六条院冬の町にあたる場所に現在、上徳寺こと子授け・安産で信仰されている世継地蔵さんがあるのは不思議なご縁ですね。






本覚寺・上徳寺の近くにある見どころ。


 市比賣神社(いちひめじんじゃ)

 女人守護で知られる神社です。私たちがお参りした日も女性のご参拝がとても多かったです。
神社の近くの住居を見上げると仁丹の「六條通河原町西入 本塩竈町」が掲げられていました。






 市比賣神社があるあたりは河原院跡の南西部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、秋好中宮が住んだ「秋の町」にあたります。




 河原町通を横断して住宅街の細い道へ。この細い道は御土居の名残りとも。
この辺りは河原院跡の南東部に相当します。これを『源氏物語』に登場する六条院の図に重ねたとしたら、光源氏と紫の上が住んだ「春の町」にあたります。




 次回の記事では、高瀬川沿いの道路にある「此付近 源融河原院址」碑をご紹介します。


 「此付近 源融河原院址」碑へ続きます。





【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く 渉成園(枳殻邸)

2018年11月24日 15時00分00秒 | 「PICK UP」から移動
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>渉成園>本覚寺・上徳寺


 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く
 渉成園<枳殻邸>


●所在地:京都市下京区下数珠屋町通間之町東入東玉水町
●交通 :京都駅から徒歩12分


 渉成園は真宗本廟「東本願寺」の別邸で、かつて周囲に植えられていた枳殻(からたち)の生垣にちなんで枳殻邸(きこくてい)とも呼ばれています。

 嵯峨天皇の第八皇子で『源氏物語』の主人公・光源氏のモデルのひとりともいわれる源融(みなもとのとおる)の河原院を意識して作庭されたものです。河原院の苑池では奥州塩釜の風景を模して難波から海水を運ばせて塩焼きを楽しんだといいます。

 現在の渉成園の庭園は1641年(寛永18年)徳川家光から寄進を受けた本願寺宣如上人が、1653年(承応2年)、石川丈山らとともに築いた池泉回遊式庭園です。




渉成園<枳殻邸>には、印月池(いんげつち)と呼ばれる大きな池があります。



塩釜
石組みの横穴が設けられ、底に井筒があります。
形が塩を製造する「塩釜」とそれを屋根で覆う「塩屋」の様子に似ていることから塩釜と呼ばれています。



塩釜の手水鉢


源融ゆかりの塔(供養塔)









渉成園<枳殻邸>の広大な印月池(いんげつち)にはふたつの大きな島があります。これらの島は豊臣秀吉の「御土居」の跡を活かした作りなのだとか。
※江戸時代には治水を目的とした新たな「御土居」が渉成園の東側に在ったのだそうです。

四季折々、楽しめる庭園です。




渉成園の近くにある見どころ。


 文子天満宮

 菅原道真の乳母だった多治比文子にゆかりの天満宮で「天神信仰発祥の神社」という碑や文子の像があります。御祭神は、菅原道真公。

 菅原道真もまた光源氏のモデルのひとりとも言われています。






 六條院公園

 『源氏物語』ファンが思わず足をとめてしまう六條院公園という名の公園があります。
 現在の六條院公園があるあたりは、平安末期、白河上皇とその第一皇女・郁芳門院媞子内親王が過ごした六条内裏跡です。六条院とも呼ばれました。





 さて、白河院と『源氏物語』の関係といえば…1119年11月27日に三条西殿(現在のスターバックスコーヒー京都三条烏丸ビル店があるあたり)にて白河院と待賢門院璋子によって「源氏物語絵」の制作が注文されたことが知られます。
この時、発注された「源氏物語絵」が現存する国宝「源氏物語絵巻」である可能性もなきにしもあらず!?



 宗仙寺(そうせんじ)

 六條院公園のお向かいにある、宗仙寺には「籬井(まがきのい)」と刻まれた井戸があるのだとか。
そして源融の念持仏をまつる社もあるのだとか。



※宮城県塩竈市には籬島(まがきしま)という島があるのだそうで、源融の河原院の池にはそれを模した島があったと伝わります。


こののち、五条通を西から東へと進みました。
このあたりには「塩竈町」や「本塩竈町」といった地名があります。



※六条院小学校は2010年に3月に閉校されました。



 次回の記事では源融の河原院跡に建つ本覚寺・上徳寺をご紹介します。



 本覚寺・上徳寺へ続きます。




【PICK UP】 『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く <京都市下京区>

2018年11月19日 17時45分00秒 | 「PICK UP」から移動
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 『源氏物語』 光源氏の邸宅「六条院」を歩く

 『源氏物語』の主人公・光源氏は35歳の年の8月、秋好中宮が母・六条御息所から伝領した邸宅を含む敷地に「六条院」を造営しました。
 物語の中で登場するこの「六条院」は、平安時代前期に実在した源融(みなもとのとおる)河原院(かわらのいん)がモデルだといわれています。


 河原院は、平安前期に栄えた邸宅でしたが、のちに数度の火災に遭い荒廃していきました。平安時代後期には悪鬼が出没すると考えられていたようです。『源氏物語』で若き日の光源氏が夕顔と一夜を過ごした「なにがしの院」もこの荒廃した河原院が想定されていたと思われます。(夕顔は「なにがしの院」で亡くなります。「なにがしの院」については諸説あります。)


 光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。そして、春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影 六条院 模型>


 河原院は、北を六条坊門小路・東を東京極大路・南を六条大路・西を万里小路に囲まれた一画であったと考えられています。『源氏物語』作中の「六条院」も同様だとしますと以下の図のようになります。

 敷地の中には小路を含むため、約252メートル四方で、総面積約6万3500平方メートルの巨大な邸宅でした。






 さて、平安時代の六条坊門小路は現在の五条通付近。六条大路は現在の六条通にほぼ一致します。そこで京都アスニーで販売中の「平安京図会・復元模型の巻」平安京・市街地地図を参考に現在の地図に照らしあわせてみました。


で囲んでいる付近が河原院跡と思われる所です。

※六条院小学校は2010年3月末をもって閉校されました。



 次回の記事では、河原院を意識して江戸時代に築造された東本願寺の飛地境内地「渉成園(しょうせいえん)<枳殻邸(きこくてい)>」をご紹介します♪



 渉成園<枳殻邸>へ続きます





【PICK UP】 『源氏物語』六条院 冬の町 

2018年11月19日 17時20分00秒 | 「PICK UP」から移動
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>冬の町



 『源氏物語』 六条院 冬の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>


<宇治市源氏物語ミュージアム「六条院模型」 冬の町部分>



明石の君
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>

 「冬の町」は明石の君の住む住居があり、北には御蔵町がありました。「北大殿(きたのおとど)」・「戌亥の町」とも呼ばれました。

 寝殿を設けず、大きな二つの対があるのみの質素な住居で、庭は松の木を多く繁らせ雪景色を鑑賞するのを楽しみました。

 明石の君が産んだ明石の中宮は、紫の上が後見していたため「春の町」を里邸としていましたが、出産の折にはこの「冬の町」に移られました。


御帳台の中にいる明石中宮
※出産の際、調度品や衣裳はすべて白に統一されます。



【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行


 春の町
 夏の町
 秋の町



【PICK UP】 『源氏物語』六条院 秋の町 

2018年11月19日 17時15分00秒 | 「PICK UP」から移動
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>秋の町



 『源氏物語』 六条院 秋の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>


<宇治市源氏物語ミュージアム「六条院模型」 秋の町部分>



秋好中宮
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>

 「秋の町」は、秋好中宮(あきこのむちゅうぐう)が住んだ住居で、「中宮の御町」・「西大殿(にしのおとど)」・「未申の町」ともよばれました。

 もともと、「秋の町」は秋好中宮の母・六條御息所の邸宅跡地であり、それに手を加え、滝を造り広々とした秋の野のように造られました。

 また「秋の町」と「春の町」とは池でつながっていました。紫の上と秋好中宮は春秋優劣論をし、それぞれの使者である女童が廊を渡り、手紙のやりとりをしていました。


 明石の姫君の裳着(もぎ=成人式)は「秋の町」で行われ、秋好中宮が腰結役をつとめました。この時、秋好中宮と紫の上はここで初めて直接に対面します。



明石の姫君の裳の小腰を結ぶ秋好中宮


明石の姫君の育ての親である紫の上






【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行




 春の町
 夏の町
 冬の町




【PICK UP】 『源氏物語』六条院 夏の町 

2018年11月19日 17時00分00秒 | 「PICK UP」から移動
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>夏の町



 『源氏物語』 六条院 夏の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>



<宇治市源氏物語ミュージアム「六條院模型」 夏の町部分>



花散里
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>


 「夏の町」は、花散里が住んだ住居で、「夏住居(なつのすまい)」・「東大殿(ひがしのおとど)」・「丑寅の町」ともいわれました。

 夏にふさわしい涼しげな泉があり、庭には花橘、撫子などが植えられていました。また、東側には端午の節句の遊び所として馬場殿があり、馬場は「春の町」まで続いている南北に長いものでした。

 花散里は、二条東院からこの六條院「夏の町」の東の対に移り住みました。花散里を母代わりとしていた源氏の子・夕霧はこの町を里邸として使用していました。


夕霧


 西の対には、京から筑紫へ下ったのち再び京に帰ってきて源氏の養女となった玉鬘が住んだ時期もありました。


玉鬘



左:玉鬘  右:夕霧

 夕霧と玉鬘はいとこ関係にあたりますので、ふたりの祖母である大宮の服喪中、御簾越しに対面する場面もあります。




 源氏の死後、花散里は二条東院を相続したため主不在となりましたが、夕霧が落葉の宮(夕霧の妻のひとり)をこの町に移り住まわせました。
 また夕霧は藤典侍との間に生まれた六の君を落葉の宮の養女とし、その婿として匂宮(今上帝と明石中宮の皇子)を迎えます。

 こうして、「夏の町」は、花散里→夕霧→落葉の宮→六の君へと伝領されていくのでした。








【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行


 春の町
 秋の町
 冬の町





【PICK UP】 『源氏物語』六条院 春の町 

2018年11月19日 16時00分00秒 | 「PICK UP」から移動
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『源氏物語』光源氏の邸宅「六条院」を歩く>春の町



 『源氏物語』 六条院 春の町


 『源氏物語』において光源氏が造営した「六条院」は、4つの町に分かれており、それぞれ春夏秋冬の季節に合わせた庭が造られていました。
 春の町には紫の上、夏の町には花散里、秋の町には秋好中宮、冬の町には明石の君が住みました。


<宇治市源氏物語ミュージアムで撮影>



<宇治市源氏物語ミュージアム「六条院模型」 春の町部分>



源氏・紫の上・明石の姫君
<人形の写真はすべて風俗博物館で撮影>


 「春の町」は源氏と紫の上が住んだ住居で、「春大殿(はるのおとど)」・「南大殿(みなみのおとど)」・「南の町」ともいわれました。
 庭には、春の花が植えられ趣向が凝らされていました。

 「秋の町」とは池でつながっており、龍頭鷁首の船を行き来させて舞楽を楽しみました。早春の様子は生ける仏の御国のようでした。


 「春の町」は六条院の中心的存在であり、六條院行幸などの重要な儀式の際には「春の町」の寝殿が使用されました。


 紫の上は東の対に住み、明石の君が産んだ明石の姫君を養育していました。
(明石の姫君を養育していた期間のみ、紫の上は寝殿で過ごしたという説もあります。)


明石の姫君と紫の上



 源氏に降嫁した女三宮は、寝殿西面に住むことになりましたが、源氏の死後は父・朱雀院から受け継いだ三条宮に移り住みました。


出家した女三宮



 明石の姫君は入内し、中宮となります。里下がりした時にはこの「春の町」寝殿東面で過ごしました。つまり、寝殿は東西に仕切られて使用されていました。
 明石の中宮は出産の際は、「冬の町」で過ごしましたが、出産後は「春の町」の寝殿東面に移っています。

 紫の上・源氏の死後は、明石中宮の女一の宮が東の対に住み、二の宮(皇子)が寝殿を里邸としました。


 こうして「春の町」は源氏・紫の上の死後、明石一族の繁栄の象徴となりました。






【参考】
「源氏物語必携事典」 秋山虔・室伏信助 編/角川書店 発行
「源氏物語図典」   秋山虔・小町谷照彦 編/小学館 発行
「源氏物語を読む」  山中裕 編/吉川弘文館 発行




 夏の町
 秋の町
 冬の町




【太宰府】古代食「万葉御膳」をいただきました♪

2018年11月18日 00時00分00秒 | 太宰府
平安時代好きブロガー・『源氏物語』史跡ナビゲーターのなぎです。

11月11日(日)のこと。
午前中は『源氏物語』ゆかりの地としての大宰府の世界に浸った私たち。
午後からは平安時代よりさらに古い、飛鳥・奈良時代へ!


福岡県太宰府市では11月11日(日)に
大宰府史跡発掘50年記念ウォーク・イベント
「大宰府史跡ものがたり」が行われていました。

その一環で古代食「万葉御膳」が作られるということで
事前申し込みをして「万葉御膳」をいただいたのでした。



古代食「万葉御膳」



万葉人が食した饗宴の膳の再現だそうです。

箸置きは松葉、竹のお皿、そして梅の木で作られた箸
・・・なんとこれらは松竹梅になっているのでした。
現代の遊び心もあって嬉しいですね!



赤米の御飯

もっちりして噛むとお米のうま味が広がります。
添えてあるのは瓜の粕漬けです。



根菜のゆでもの 醤(ひしお)添え

大豆のイロリ(ゆで汁)で大根・蓮根・里芋・ゴボウ・ズイキをゆでたもの
醤を付けて
いただきました

※醤(ひしお)=調味料、醤油の元祖



蘇(そ)

牛乳を10分の1に煮詰めたもの

少しぱさつき感はあるものの濃厚なチーズといった感じ。
牛乳のうま味が凝縮!おいしいです。

奇しくも蘇をいただいた11月11日は「チーズの日」だそうで偶然に驚きです。



芋粥

山芋のそぎ切りを甘葛(あまづら)で煮たもの

今回は甘葛と同じ成分で作られた甘味料(だったな?うろ覚えです。すみません)で煮たそうです。
山芋の食感と甘みがおいしくていくらでも食べられそう♪



潮汁 アサリ汁



木菓子 <干柿、木連子(イタビ=イヌビワ)、棗(ナツメ)>



唐菓子 <環餅(マカリ)、結果(カクナワ)>

米粉や小麦粉を材料に、ゴマ油で揚げたもの

やや固めですがごま油の風味豊か。
さくっとしておいしいです。



お料理を研究・用意されるにあたって
とても大変だったことと思います。

どれもおいしくて幸せでした。

貴重な機会に参加できて嬉しいです。
ありがとうございました!!




【トーク&歓談】「源氏物語ゆかりの地としての大宰府」開催しました♪

2018年11月17日 11時30分00秒 | 日記
平安時代好きブロガー・『源氏物語』史跡ナビゲーターのなぎです。

11月11日(日)のこと。

福岡県太宰府市にある太宰府館にて
【トーク&歓談】「源氏物語ゆかりの地としての大宰府」を開催しました。



当日は3名の方がお越しになり
『源氏物語』と大宰府の関係
『源氏物語』に登場する玉鬘が住んだ都市 大宰府
『源氏物語』に登場する大宰府とゆかりのある人物について
大宰府政庁跡や観世音寺などなど
お話させていただきました。

少人数での開催でしたので
みなさんと太宰府(大宰府)に関する
あれこれを楽しくお話できて幸せでした!

その節はありがとうございました。



 亥の子餅



11月のお菓子として『源氏物語』<葵>において
その名が登場する「亥の子餅」を今回ご用意しました。

「亥の子餅」はこの時期に和菓子屋さんに並ぶことが多いのですが
お店によって様々な相違点があっておもしろいです。

「亥の子餅」について当方のwebサイト『花橘亭~源氏物語を楽しむ~』内の
こちらのページでもご紹介しています。
ご興味をお持ちの方がいらっしゃいましたらご覧くださいませ。


今回は埼玉県桶川市にある栄屋菓子舗さんの「亥の子餅」をお取り寄せ。
お餅の食感、あんこの甘さ、きなこの甘さが絶妙!
とてもおいしくてご参加のみなさまにも喜ばれました。
ありがとうございます。

栄屋菓子舗 公式サイト
⇒ http://www.e-sakaeya.net/



太宰府は大好きな街のひとつです。
また太宰府でゆるっと何かおこないたいです。