2023年1月31日(火)
空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。
でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。
このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。
空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。
2022年12月21日(水)
藤原百川の墓と和気清麻呂を祀る和気神社と行基の墓は、2:1:√3の直角三角形。
藤原百川の墓と、和気神社と恩知神社は、1ラジアンを用いた直角三角形である。
宇佐八幡宮神託事件で和気清麻呂が大隅国へ流された時、藤原百川が、清麻呂の忠義と正直に感心して、清麻呂のために秘かに仕送りを続けていたと言う。
清麻呂は藤原百川に大変な恩があることでしょう。これらの空海コードを描かせていろいろ私に教えることは、先日、神護寺から私について岡山まで本当に清麻呂君は行ったのかもしれませんねぇ。
私の不思議な物語の最初の頃、夜の真っ暗い時間に恩智神社の近くの社に連れて行かれて、大太鼓をドンドンと打ち鳴らす不思議な儀式めいたものを体験したことを今になって思い出します。
不思議な物語は最初から今も続いているようです。不思議すぎますねぇ。
2022年9月7日(水)
道鏡は、空海様の祖父にあたります。
その道鏡の先祖を遡れば、用明天皇(物部守屋)と蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)が浮かんできます。
もっと遡れば、モーセの直系だと言っておられますよ。
空海さまが教えられているのは、お祖父さんは山伏だったと言ってます。
そして、お祖父さんには湖の広さや深さ以上の恩があると言って居られます。
下の図形は、基本形である2:1:√3の直角三角形を大小2つ組み合わせた図形です。
その二つの図形が上記のようなことを語りかけてくるのです。
そして、役行者堂と土塔と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形ですし、役行者・行基の墓と荒神社と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形です。
実に素晴らしい位置出しです。
そして、蘇我 堅塩媛の墓から孝謙天皇の墓までと道鏡の墓までは、全く同距離で二等辺三角形を描くポイントに定められ、他の重要ポイントと直角三角形を描きます。
このように空海コードは、緻密な関係の上に定められています。
高野山も全て幾重にも計画的配置の上に開発、造営されていることが分かります。
・・ということで、モーセの直系である武部さんと近々、道鏡さまのお墓参りです。
武部さん、よろしくお願いいたします。
2022年6月19日(日)
奈良時代の高僧、行基の墓は、竹林寺にあります。
そして、蘇我入鹿の次男、漢皇子が役行者でしたが、その役行者の子が行基でした。その行基の墓がある竹林寺裏山に役行者も葬られました。
私はこの前のツアーで大変な間違いをおかしていました。役行者の墓を竹林寺古墳と説明してしまいました。これは大変な誤りでした。以前、竹林寺に行った時に本堂の裏手にある役行者堂があるその場所近くに葬られたと教えられていたのに・・、何故か、何故か・・。皆さんに謝らなければなりません。 訂正し深くお詫びを申し上げます。
ツアーで竹林寺の後に役行者堂へと行きましたが、バスから降りてほどなくして両足のふくらはぎがけいれんし出しました。
初めての経験でした。行者堂までずっとその状態で、テラファイトアースでさすっては歩き、歩いては止まってさするという繰り返しで、又、三女神に助けられながらやっとの思いでかなり遅れて辿り着いた状態でした。
帰りは、全く引きつることもありませんでしたが、それにしても長い道のりでした。
あの日あの時、間違いなく役行者に、「違う、ちがう!」と怒鳴られたようです。「足腰が動かないようにしたる!」というようなお怒りでした。当然だと思う私です。
竹林寺古墳は、空海コードからは継体天皇と関係ある人が眠って居られるようです。
父、蘇我入鹿の墓から清水寺三重塔までと、役行者(漢皇子)の墓までは、共に24.4㎞と同距離の二等辺三角形を描きます。
2020年9月20日(日)
釈迦山百済寺は、ひゃくさいじと呼ばれて、滋賀県東近江市にある天台宗の寺院です。
又、奈良県北葛城郡広陵町にある高野山真言宗の寺院、百済寺がありますが、こちらはくだらじと読みます。
私としましては、滋賀県東近江のほうも素直にくだらじと読ませて良いし、そのほうが分かりやすいとおもうのですが、いかがなものでしょうかねぇ・・。
その二つの百済寺と直角二等辺三角形を描くポイントに、京都府右京区高雄にある高野山真言宗の神護寺金堂があります。
そして神護寺のご本尊様は、行基の墓を見つめ見守る角度で造営されています。
そしてまた不思議なことに、百済寺と百済寺との中間点あたりに、『童仙房』という不思議な地名が存在します。
かなりの重要な古代の歴史が封印されているような地域ですね。
そして、神護寺にこそ重大な秘密がありそうです。
2020年1月17日(金)
そして、竜神山が空海様の墓を知る重要なベンチマークの山だった。
イエス・キリストの墓を中心にして半径103㎞の円上に比叡山延暦寺根本中堂が在ったり、
天台宗系の天台宗系の修験道総本山があったり、真言宗系の修験道総本山など重要な寺院や役行者や行基の墓が並んでいることは、
タレスの定理の基準になるもう一点があることが推測できる。
・・それで延暦寺根本中堂からイエス・キリストの墓を通って円と交わる点に何があるかを見ると・・・!
円錐形に尖った山が存在した。
・・それは『竜神山(たつがみやま)』。 山の名前からしても重要な山であることが分かる。
延暦寺根本中堂とタレスの定理から求められた竜神山を底辺として、円に交わる点に位置する行基の墓や役行者の墓など、直角三角形になる重要な寺院など沢山浮かび上がる。
そして、重要な竜神山と空海様の墓とを結んで、二等辺三角形になる点を見ていくと、
・・弘法大師廟、藤原武智麻呂の墓や斉明天皇の墓などが浮かび上がる。
そして、空海様の墓の位置決めは、竜神山と七宝山と2:1:√3の位置に決定していることが分かる。
そして、七宝山と八国見山と空海様の墓は、正五角形の一部の直角三角形を描くポイントであり、
七宝山と高島と空海様の墓は、同じような直角三角形を描く。
それにしても・・、空海様の墓の位置を教える、七宝山 竜神山 八国見山 全て綺麗な山ばかりですねぇ。
2020年1月16日(木)
イエス・キリストの墓を中心に103㎞の円に重要な寺院が並んでいます。
103㎞の円には、役行者堂と行基の墓もあります。
イエス・キリストの墓から行基の墓までと比叡山延暦寺根本中堂までも103㎞です。
イエス・キリストの墓と役行者堂と比叡山延暦寺根本中堂は一辺が103㎞の正三角形を描きます。
そして、比叡山延暦寺根本中堂でご本尊に手をあわすと、卑弥呼の墓とイエス・キリストの墓が重なるように設計されています・
又、イエス・キリストの墓から、天台宗系の修験道総本山である五流尊瀧院と真言宗系の修験道総本山である醍醐寺は共に103㎞で三点は二等辺三角形を描きます。
これらの配置は、偶然では絶対にできません。 計画的な配置です。
見事です!
2019年10月24日(木)
比叡山延暦寺根本中堂と高野山金剛峯寺金堂と公的なイエスの陵墓の三点は、凡そ一辺が99㎞の綺麗な正三角形を描きます。
又、イエスの公的陵墓にある大歳神社で手を合わす先にあるイエス・キリストの墓と、延暦寺根本中堂と、修験道の開祖と言われる役行者を祀る役行者堂の三点は、一辺が103㎞の正三角形を描きます。
ちなみに、イエス・キリストの墓から行基の墓までの距離も103㎞です。
二つの正三角形を重ねる支点は延暦寺根本中堂です。
行基は東大寺大仏殿の造営にあたり、延暦寺根本中堂と大仏殿とイエス・キリストの墓や卑弥呼の墓の位置関係からしっかりした未来予想図のプランを描いていたことになります。
それは又、役行者の願いでもあり卑弥呼の願いでもあったように私には響いてきます。
東大寺大仏殿で手を合わす先には延暦寺根本中堂があり、そこでご本尊様に手を合わすと、先には兵庫県神崎郡神河町南小田の山中にあるイエス・キリストの墓です。
イエス・キリストの墓の5㎞手前には女王卑弥呼の墓も重なります。
天台宗系の修験道総本山と言われる御庵室 五流尊瀧院(ごあんしつ ごりゅうそんりゅういん)の三重塔と、
真言宗系の修験道総本山と言われる醍醐寺の五重塔とは、イエス・キリストの墓から共に凡そ103㎞で、イエスの公的陵墓から共に95㎞と同距離です。
役行者は全て知っていましたね。
そして修験道の「心」を受け継いだ 行基・・最澄、空海も全てを知っていましたねぇ。
今こそ、修験道の心を受け継いだ先人先輩諸氏は「成就」の時を待っていることでしょう。
26日(土)11時 醍醐寺五重塔を眺めたいと思います。
岡山方面の方で、その日その時間に、五流尊瀧院の三重塔を見つめていただけたら嬉しく思います。
祈りは、11時11分です。
出かけられない方は、自宅から意識合わせをしていただけましたら有難く思います。
この情報、 助さん 隠さん 龍拡散!
おお~~、二つの修験道総本山の塔とを結んだ中間点には、尾上の松がありますねぇ。
2019年10月22日(火)
20(日)は、加古川在住と言われる女性御三人さんとの待ち合わせ場所が神河町の寺前駅でしたが、急きょ生野町の姫宮神社となりました。
そして、井筒屋さんでゆっくりと話することになりました。
いろいろ・・話して、最後に「アッ!」と言って、
「イエス・キリストの墓と宮山と順礼池は2:1:√3になっています。順礼池は、間違いなく巡礼池のことでしょう」ということを告げて別れました。
「真の聖地の巡礼を始めなさい、昔のように・・」と言うことなのでしょう。
役行者は、イエス・キリストの墓など古代大王達の墓の場所とか全て知っていましたね。
役行者が知っていたことを行基さんが全て受け継いでいました。
それらのことを、藤原不比等も和気清麻呂、第50代桓武天皇も先人達の思いを成就させようと、若き最澄、空海に託した国家プロジェクトを立ち上げたのでした。
和歌山県に役行者堂があります。ここで手を合わせるとイエス・キリストの墓に手を合わせるようになっています。
イエス・キリストの墓と、比叡山延暦寺根本中堂と役行者堂は一辺が103㎞の正三角形を描きます。
又、イエス・キリストの墓から、修験道の総本山と言われる五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)までの距離も同距離です。
イエス・キリストの墓と比叡山延暦寺根本中堂と五流尊瀧院の三重塔までは二等辺三角形を描きますが、五流尊瀧院と延暦寺根本中堂との中間点に宮山(加古川市)があります。
そしてそこから二等辺三角形の底辺に沿って、イエス・キリストの墓と宮山と2:1:√3の地点に、「順礼池」があります。
この順礼池とは、正式には、「巡礼池」と書かなくてはいけない場所でしょう。
この池には今は知られていなくても数々の謂れが在るや無しや・・。
イエス・キリストの墓から103㎞地点に、醍醐寺五重塔、平等院鳳凰堂、鴻の巣山 ・・そして 行基の墓が位置しているのは、偶然ではないでしょう。
2019年3月9日(土)
行基の墓と、蘇我入鹿の墓(松尾寺の補陀落山)と、国家の寺で七重の塔もあったという大安寺内の杉山古墳は、2:1:√3の見事な直角三角形を描きます。
偶然でしょうか。
いえいえ違いますよ、この形は、綺麗な意味ある計画的配置です。
行基さんは、蘇我入鹿の血を引いていると語っているようです。
そして、大安寺内の杉山古墳に眠る方は、蘇我入鹿に非常に近い関係の人だと言っていますね。
いったい誰!?
今日、行基さんと入鹿さんのお墓参りに縁ある方々と総勢34名で参ります。 天気は快晴!です。
東京、神奈川、熊本、高知、広島、岐阜、など遠方からも早朝から沢山の方々が集われます。
皆さんを代表して、今まで誰もしなかったお墓参りをしてまいります。 合掌!
2018年12月22日(土)
武部さんは宍粟市の宝珠岩から大阪府太子町の「神山(コウヤマ)」が気になると言っています。
宝珠岩から正福寺までと赤穂の宝珠山までとは47㎞と同距離で、それで私はメッセージと思い、赤穂の宝珠山から神山までと御神山までの距離を測ってみると、117㎞と同距離です。
不思議な感覚です。
宝珠山と正福寺と御神山の三点を結ぶと、54度 36度 90度の正五角形の一部となる直角三角形を描いていました。
それで、その三角形を元に正五角形を描きだすと、即座に正福寺と宝珠山とのラインで御神山の対照地点を求めると、なんとそこには「行基の墓」がありました。
宝珠山から御神山までの距離も、行基の墓までの距離も同距離で、「えっ!」と驚きです。
そして高知のポイントには、今は在りませんが、地名としても残るぐらいの行基が創建したという「円行寺」があったことを知ることになりました。
御神山と行基の墓との間には宝珠山があり、この宝珠山から神山までとの距離はみな同じで、宝珠山のすぐ下には、秦河勝の墓である生島が綺麗に眺められる宝珠山妙見寺があります。
ここのお寺は行基の開基で、空海様も来ている大事な場所で、神仏習合時代は宝珠山麓に鎮座する大避神社の神宮寺でもあり、同神社と祭神である秦河勝とは縁が深い寺であったとのことです。
そして、建物の蛙股には東西南北の方角に合わせた十二支の彫刻が目を楽しませてくれます。
ここから眺めることの出来る瀬戸内の眺望は、生島、宝珠山霊場、大避神社と併せた坂越のパワースポットとして注目されているようです。
私以前、市川慎さんに妙見寺に連れて行ってもらいましたが、そこから生島や瀬戸内を眺めていたら、秦河勝と行基と空海さまは同じ血筋だと響いてきました。