2023年12月25日(月)
昨日私は、奈良県下北山の土砂崩れのニュースを何度も聞いた。
そのたびに、近くにある道鏡の墓のことを思っていた。私が何も行動に移してないので、「どうなっていますか」と何度も言われている気がしてなりません。
「お前が一日遅れれば、どれだけの命が亡くなるかお前は分っているのか!」と、響いてくるのです。
2023年12月25日(月)
昨日私は、奈良県下北山の土砂崩れのニュースを何度も聞いた。
そのたびに、近くにある道鏡の墓のことを思っていた。私が何も行動に移してないので、「どうなっていますか」と何度も言われている気がしてなりません。
「お前が一日遅れれば、どれだけの命が亡くなるかお前は分っているのか!」と、響いてくるのです。
2023年4月1日(土)
龍興寺の道鏡塚は、コンパスグラスで20度方向に向けて造営されていましたから、地理院地図で20度方向にラインを青森まで引いてみました。
そうすると岩手県八幡平市不動川原に「竜ヶ森554.7m」という山が目につきました。
「龍興寺」の先に「竜ヶ森」。コンターラインから女性の墓だということが私には伝わってきます。でも誰の墓なのだろうか? 国土地理院地図では情報不足なのでグーグル地図を見てみることにしました。・・すると、竜ヶ森の北方向に『だんぶり長者屋敷跡』という文字をクリックしてみました。そして・・、「だんぶり長者物語」という説明板を読んでみると、継体天皇に嫁いだ吉祥姫(桂子姫)の物語でした。
これはもう継体天皇の皇后である手白香皇女の墓であると私には響いてきました。
地域の伝承や物語には意味があるものと常々私は思っていますから、これはもう私しか知らないフェニックスコードと照らしてみることにしました。
すると・・、道鏡塚から道鏡の墓までと竜ヶ森までの三点は二等辺三角形を描きますし、継体天皇の墓と竜ヶ森とを結ぶもう一点で二等辺三角形を描くポイントに大日岳(新潟県南魚沼市山口)がありました。これだけでも説明するに足りると思いましたが、手白香皇女であれば、子に欽明天皇が居ますから、欽明天皇の墓と手白香皇女の墓である竜ヶ森とを結んでみました。
するとどうでしょう・・、私が以前行かされていた「滝尾神社」が求められました。ここではその時、不思議な忘れることのない体験をしていましたから驚くばかりでした。そしてその近くには日光東照宮があることも偶然ではないでしょう。 つづく
上に書かれた金堂の説明には、金堂の向きは最初は南向きだったと言うことですから、おそらく道鏡塚と同じく20度方向に手を合わすように建築されていたと私は推測します。
だんぶり長者物語・・の動画の最後に道鏡の名が出てくることにも私は、竜ヶ森が手白香皇女の墓であると確信を持ちました。
また、五ノ宮嶽と竜ヶ森(手白香皇女の墓)を結んで、正五角形の一部を成す直角三角形を描く場所に「花輪」という地域名を残しているのも重要な意味を伝えていると思います。
2023年3月26日(日)
私は山門前左手の案内板で「道鏡塚」の場所を確認し、山門から入って左手にある道鏡塚の前に急いだ。
どこか懐かしくて・・、嬉しくて・・。でも時間はかぎられているので、さっそくコアロッドを取り出して金の反応を探ることにした。塚の正面に立ってロッドを操るとすぐにロッド先端は閉じた。そしてその幅は凡そ1.2m。それでそこから右手90度方向から塚に向かって同じ動作をすると、これもすぐさま反応し同じく1.2mほどであった。それで私は、塚の上に立って詳しくし調べたくなって、住職に合って許可をもらうことにした。私はそこからそのまま本堂左手を歩き、本堂と講堂のつなぎ廊下の下をくぐって庭を歩きしめ客堂玄関前に立った。入口の引き分け戸は閉まっていたので左手のチャイムを鳴らした。するとほどなくして中から声がして引き戸は開いた。そしてそこに女性の姿が・・。私は早速名刺を差し出して、「神戸から来ました上森と申します。やっと来ることができました」と言って、『不死鳥のあしあと2』をおもむろに出して、「あっ、ものを売りに来たのではありません。ここに道鏡さまのことを画きましたので、ちょっと住職様が居られましたら・・」と告げると、「ちょっとお待ちください」と言われて奥へと・・。ほどなくして住職らしき男性が現れて、「どうぞお上がりください」となって、上がってすぐ左手の応接間に案内されました。
私はコアロッドをテーブルの上に置いて、本の71ページを開いて道鏡の墓と下野薬師寺跡について説明し、「実は、本を完成させた後に、こちらに道鏡塚があることを知りました。安国寺六角堂から日月の山までもそうなのですが、ここの道鏡塚から日月の山までも全く同じ距離であることにビックリして今日、真っ先にこちらに来ました。そして・・、この本にも紹介していますが、これがコアロッドと言うものです。たったいま今、これで塚に向かって探査しましたら、金の反応を得ました。それでお願いなのですが、塚の上から詳しく調査したいのですが・・」と言って、「私は道鏡さまは、非常に無念の御霊だと思っています。無念を晴らさなければと思っています・・」と一方的に話していた私でした。すると住職はおもむろに私に一冊の本を差し出されました。そこには「道鏡を守る会」と書かれてありました。そして住職が今度は道鏡について全く私と同じような思いを語られ、私はそれを聞いていました。そして話が終わるころ私は、「塚に上がって調べることをお許し願いますでしょうか」と切り出すと、「どうぞ・・」と許可をもらい、嬉しくて早速、塚へと急ぎました。 つづく
2023年2月3日(金)
空海さまの母君の生誕地が特定できました。お生みになられたのは孝謙天皇ですよ。
「誰との子供ですかぁ」って・・? それは道鏡さまですよ。 見事な空海コードです!
孝謙天皇の墓と空海さまの母君の墓と道鏡の墓との二等辺三角形の重心となる場所が生誕地で『蓮生塔』の場所です。
2023年1月31日(火)
空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。
でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。
このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。
空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。
2022年10月10日(月・祝)
道鏡の墓に行ったのは、9月11日(日)でした。それから、「道鏡さんはどこへ行きたいのだろうか・・」と、ずっと思い続けていました。それが先週の金曜日ごろ突然、「うちの娘がTVを見ていて、達磨寺が出ていてそれを見て、上森さんに知らせなくては・・と、言うので・・」と牧浦さんから電話がありました。牧浦さんはいつも神様なのか宇宙人なのか・・そのような目には見えない存在からのメッセージを届けてくれるので、娘さんも同じような役割を担っていると思って、国土地理院地図を開いてポイントを打って、空海コードが浮かび上がるか調べると、達磨寺から車でだったらそう離れていない場所に物部守屋(用明天皇)の墓があって、その場所と道鏡の墓と土塔との空海コードと、物部守屋の母である蘇我堅塩姫の墓とのコードなど一ケ月前には浮かび上がっていたので、「これは急いで、物部守屋の墓に行かなくては・・」と思い、「お願いします」となって、10月2日(日)に行った次第でした。牧浦さんはお墓に持って行くお供えも用意してくれていました。道鏡さんは物部守屋の血を引いていると言ってますねぇ。
なかなか穏やかないい顔をしていますねぇ、この人。だれ!?
2022年9月29日(木)
昨日、大発見でした。もうビックリ仰天でしたぁ~~~!!
矢野さんが「できましたぁ・・」と一枚の用紙を田中さんに渡し、そして私の手に廻ってきました。
今、矢野さんは、一枚一枚丁寧に「不死鳥のあしあと」のパート2の執筆をやっていますが、「弓削道鏡の墓を発見」のタイトルでした。
手渡された原稿を見て、道鏡終焉の地が下野薬師寺跡と書いてあるので、先日行った南紀でのオリオン座を見た翌日の「目覚山」と「めざめ」が、「しっかり目を覚ましなさい」と言ってるようで、すぐさま地理院地図に下野薬師寺跡の六角堂跡と、道鏡の墓にポイントを打った。実はそれまで私は深い眠りに入っていた。
そして、もう二つのポイントを繋ぐ一点は、「日月の山」だった。
今まで関東で事件や事故があれば、私は必ず日月の山をコンパスの支点として事件現場とを結んで関西に描かれるライン上を見ている癖が出来上がっている。
今、千葉で女の子が行方不明になっているニュースにしても、日月の山から私に聞こえてくるのは、藤原武智麻呂の墓と栄山寺である。
いつも事件や事故に「藤原氏」が何かを語っているような気がするのです。 注目してほしい、国民に伝えてほしいと私に語るのである。
・・そのように私には癖になっているので、「もしや・・!!」と思って、日月の山から二つのポイントまで距離を測ると・・、「エ~~~~~~ッ!!」なんです。
日月の山から共に232.25㎞なのです。 これはもうやっぱり日月の山を造ったのは、空海でしょう。
道鏡は、弓月王の流れである用明天皇(物部守屋)の血を受け継いでいるし、空海からすれば道鏡はお祖父さんにあたる人なのですから・・。
宇佐八幡神託事件で語られていることは、和気清麻呂が正に神の使者のごときに語り継がれているのは、誤りであります。
嫉妬や妬みだけが渦巻いていた状態が読み取れます。
1250年の時を経て、道鏡の名誉を回復せねばなりません。
孝謙天皇と道鏡の間に生まれたのが、空海の母です。
この日本において、空海ほど天皇の血を濃く受け継いだ人物はいないのです。
空海の系譜は古代天皇家の核をなすものなのです。
日本国民が今、分断の危機にさらされているのは、正しき日本の歴史が捻じ曲げられているからなのです。
蘇我入鹿(皇極天皇)と道鏡・・そしてその血を受け継ぐ空海もそうでしょう。無念の御霊なのです。
向こうの世界からこの世をずっとそれらの御霊は見ているのです。
無念の御霊を鎮めなければ、ますますこの世は荒廃するのです。魂の叫びが聞こえませんかねぇ・・。
武部さん、またまた蛇岩が出てきましたよ。蛇岩から道鏡の墓と由義寺跡までは同距離で二等辺三角形を描いています。
2022年9月16日(金)
ホテルでの朝食は、8:00からでお願いしていました。
そして9:00過ぎには、ホテルを出発しました。
前日往復した道をもう一度、武部さんの運転で道鏡の墓へと向かいました。
切り立った高い山と山との間を縫うように40分前後の時間を擁して、前日入口当たりを調査するために停めた狭いスペースにピタリと道路際ギリギリに武部さんは車を停めました。
そしてそこから山へと入る身支度をして、沢の横の道を登って行きました。 林道は工事車両で搬出できるように整備されていて、30分ほどで山頂に着くことができました。
早速私はリユックからコアロッドを取り出して、先ずは空洞探査を試みました。
結果、2m×3mほどの石室をキャッチ。 次に金の探査をしましたが、これも同じ広さに反応しました。
計測が終わってから、いつものように武部さんと皆さんで、君が代とかごめの唄を歌ってもらいました。
現場での地底探査では地下の石室は、通路の方向から見て20度に向けて造営されています。
帰ってから地理院地図にそのラインを伸ばすと・・、そこには岐阜にある孝謙天皇の墓に向けて造られていることが分かりました。
そのラインに直角方向には、役行者堂とさらにその先には、広島の弘法山です。これはもう偶然ではなく必然でしょう。
そのようなことで、間違いなく大変な道鏡さまの遺構が眠っているという証拠です。
2022年9月14日(水)
私は、六甲道駅を11:00過ぎの快速に乗って、大阪まで行って環状線外回りで天王寺まで行き、そこから歩いて大阪阿部野橋へ。
そして12:10発の近鉄南大阪線 特急・吉野行に乗って 大和上市駅に着いたのは13:24だった。
ホームに降り立つと、列車の後列の方から女性の親子連れも降り立ってにこにこ顔でやって来た。
まさか、その日の主人公的二人になるとはその時は思いもしませんでした。
無人の改札口を出てロータリーを見回しても武部さんの車はまだ来てる様子もないので、私たちは駅の待合室で待つことにした。
でも・・数分もしないうちに武部さんの車が見えたので、すぐにリュックを背負って、外に出た。
車に乗ったのは武部さんを入れて総勢5人だった。乗り込んだ時は、「良い天気で良かった~」と思っていましたが、五社トンネル(1360m)を出ると入った時の天気とは全く逆で、土砂降りの雨で川上村は私たちを迎えてくれた。
「おお~、道鏡さんは感激のあまり大泣きして居られますよ」と私。
でもその日に私達が行くということは、向こうの世界の人達も分かっていますから、打ち水をしてお墓参りにくる私達をお迎えする所作だと思っていました。
目的地に着くころにはその日も雨が上がるといういつもながらのパターンでした。
でもまだ道鏡さまの涙は完全に止まらず、わずかにパラパラ残っていて、山に登るのには問題がない状態でしたが、道鏡さまは、打ち水をまきすぎたら地底探査ができないことをご存じなかったようでした。
そうしたら、一緒に来られた女性の方の故郷が近くなのでお墓参りに行きたいという話になって、すぐに武部さんは車を走らせました。
そこからほんとに遠くない、直線距離にして8㎞程のところに墓碑はありました。
「私の故郷は、湖の下に沈んでしまったのです」と。
そして、今、オーストラリアから帰ってきているという娘さんも、お母さんと共に手を合わせて居られました。
私は、皆さんがお墓参りをして居られる間に、コアロッドを取り出して、金の反応があるかどうかを調べると・・、一か所、反応しました。
間違いなく千両箱一つぐらいの反応をキャッチしました。
湖の中なのか、湖のほとりなのか・・、金額にして3000億円?
それにしても不思議な話です。日本全国たくさんの故郷があるのに、どうしてまた道鏡さまの遺構がある、しかもその墓参りに行くのにその母娘さんの故郷があるというその確率は・・。これはもう間違いなく作られた仕組まれたマトリクスの世界です。
そのようなことで、一日目は思わぬ墓参りをして、ホテルに向かうとちょうど予定の夕方5時前に着くことができました。
2022年9月7日(水)
道鏡は、空海様の祖父にあたります。
その道鏡の先祖を遡れば、用明天皇(物部守屋)と蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)が浮かんできます。
もっと遡れば、モーセの直系だと言っておられますよ。
空海さまが教えられているのは、お祖父さんは山伏だったと言ってます。
そして、お祖父さんには湖の広さや深さ以上の恩があると言って居られます。
下の図形は、基本形である2:1:√3の直角三角形を大小2つ組み合わせた図形です。
その二つの図形が上記のようなことを語りかけてくるのです。
そして、役行者堂と土塔と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形ですし、役行者・行基の墓と荒神社と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形です。
実に素晴らしい位置出しです。
そして、蘇我 堅塩媛の墓から孝謙天皇の墓までと道鏡の墓までは、全く同距離で二等辺三角形を描くポイントに定められ、他の重要ポイントと直角三角形を描きます。
このように空海コードは、緻密な関係の上に定められています。
高野山も全て幾重にも計画的配置の上に開発、造営されていることが分かります。
・・ということで、モーセの直系である武部さんと近々、道鏡さまのお墓参りです。
武部さん、よろしくお願いいたします。