2023年2月3日(金)
空海さまの母君の生誕地が特定できました。お生みになられたのは孝謙天皇ですよ。
「誰との子供ですかぁ」って・・? それは道鏡さまですよ。 見事な空海コードです!
孝謙天皇の墓と空海さまの母君の墓と道鏡の墓との二等辺三角形の重心となる場所が生誕地で『蓮生塔』の場所です。
2023年1月9日(月・祝)
淳仁天皇の墓から淳仁天皇陵までと淳仁の父である舎人親王の墓までとは二等辺三角形を描きます。
孝謙天皇の墓と淳仁天皇の墓と舎人親王の墓は一直線に並んでいます。
新年早々、空海コードは冴えていますよ~~!
2022年10月29日(土)
孝謙天皇の墓参りに行ってから、綏靖天皇の墓とイエス・キリストの財宝の在りかを私は教えられた。
財宝の在処の石室の大きさは、33mの長さの前部に4m、後部に4mあり、石室の大きさは20m×41mあり、黄金は20m×33mを計測しました。まるでフットサルコートが石灰岩質の岩山に造形されている様相でした。 内部を見てみたいものですねぇ・・イエス・キリストの財宝を。
2022年10月28日(金)
イエス・キリストは初代神武天皇でした。そしてその長男が、第二代綏靖天皇でした。
先日、孝謙天皇の墓参りに行ったことで、綏靖天皇の墓の場所を教えられました。
綏靖天皇の子が第三代安寧天皇でしたが、その安寧天皇陵からイエス・キリストの陵墓までと綏靖天皇の墓までは、共に119.37mと全く同距離で二等辺三角形を描きます。 見事です!
明日29日は、大勢の人達と山口にある空海さまのお墓参りに行きますが、空海さまの系譜をたどれば、このお三方にもたどり着くということを空海さまは、私達に教えているようです。
そしてそれは、「皆さんも同じですよ」と言われているようです。 そのようなことで、明日の日にギリギリ間に合ったようです。
2022年10月25日(火)
いや~~体がバリバリ、今日は起き掛けから体の動きはロボットなみでしたぁ。
階段を一段あがるのも、一段下がるのも・・、椅子から立ち上がっても・・、アィタタタ~の状態でした。
上谷山山頂までも、足が引きつるし、山頂ではもうケイレンが起こっていました。
・・それで、テラファイトアースの登場でした。
今回も改めてテラファイトの凄さを体験することになりました。痙攣で引きつる部位にテラファイトアースを開いてさするんですが、その後、ピタリ!と治まるのには、アリガタヤありがたやなのでした。
不思議な不思議なテラファイトに助けられる人生となりました。
もちろん、ゼロリストにも助けられました。
そして・・なにより、武部さん、石子さんに大感謝の日々でした。
登る時に石子さんにまっさらの鎌を渡されましたが、「熊が出てきたらこれで戦え!」と言うことだな、・・と受取ました。
宿を出発するときに、ロビーに熊のはく製が3体ありましたので、「こんなのが山をうろついてるんだな!出会ったら戦う気力が大事なんだな」と思って見ていましたから・・、素直に有難く持って登りました。
道中、ものすごく獣臭い場所が数カ所ありましたが、「出てきたらこの鎌で・・」と思いながらも、武部さんと石子さんに挟まれて登るのは、非常に心丈夫で楽しいものでした。
みなさんに大変感謝しています。 これからもよろしく!
今度の土曜日、日曜日、山口のツアーを楽しみにしています。
天武天皇の墓である衣笠山と、光明皇后を祀る地下神殿の光明山と、孝謙天皇の墓である上谷山は、見事な正三角形を描いています。三ヶ所とも、武部さんと上りました。
2022年10月23日(日)
操作風景を撮られていました。
コアロッドは、空洞探査、水脈探査、金探査がいとも簡単に出来ます。
特許申請出願の内容には、「玩具としても使える」と書いていますが、その玩具が1億円だったら・・、買う人がいるかも・・ですね。
今日23日(日)は、孝謙天皇の墓の探査です。
2022年9月16日(金)
ホテルでの朝食は、8:00からでお願いしていました。
そして9:00過ぎには、ホテルを出発しました。
前日往復した道をもう一度、武部さんの運転で道鏡の墓へと向かいました。
切り立った高い山と山との間を縫うように40分前後の時間を擁して、前日入口当たりを調査するために停めた狭いスペースにピタリと道路際ギリギリに武部さんは車を停めました。
そしてそこから山へと入る身支度をして、沢の横の道を登って行きました。 林道は工事車両で搬出できるように整備されていて、30分ほどで山頂に着くことができました。
早速私はリユックからコアロッドを取り出して、先ずは空洞探査を試みました。
結果、2m×3mほどの石室をキャッチ。 次に金の探査をしましたが、これも同じ広さに反応しました。
計測が終わってから、いつものように武部さんと皆さんで、君が代とかごめの唄を歌ってもらいました。
現場での地底探査では地下の石室は、通路の方向から見て20度に向けて造営されています。
帰ってから地理院地図にそのラインを伸ばすと・・、そこには岐阜にある孝謙天皇の墓に向けて造られていることが分かりました。
そのラインに直角方向には、役行者堂とさらにその先には、広島の弘法山です。これはもう偶然ではなく必然でしょう。
そのようなことで、間違いなく大変な道鏡さまの遺構が眠っているという証拠です。
2022年9月7日(水)
道鏡は、空海様の祖父にあたります。
その道鏡の先祖を遡れば、用明天皇(物部守屋)と蘇我 堅塩媛 (そが の きたしひめ)が浮かんできます。
もっと遡れば、モーセの直系だと言っておられますよ。
空海さまが教えられているのは、お祖父さんは山伏だったと言ってます。
そして、お祖父さんには湖の広さや深さ以上の恩があると言って居られます。
下の図形は、基本形である2:1:√3の直角三角形を大小2つ組み合わせた図形です。
その二つの図形が上記のようなことを語りかけてくるのです。
そして、役行者堂と土塔と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形ですし、役行者・行基の墓と荒神社と道鏡の墓も2:1:√3の直角三角形です。
実に素晴らしい位置出しです。
そして、蘇我 堅塩媛の墓から孝謙天皇の墓までと道鏡の墓までは、全く同距離で二等辺三角形を描くポイントに定められ、他の重要ポイントと直角三角形を描きます。
このように空海コードは、緻密な関係の上に定められています。
高野山も全て幾重にも計画的配置の上に開発、造営されていることが分かります。
・・ということで、モーセの直系である武部さんと近々、道鏡さまのお墓参りです。
武部さん、よろしくお願いいたします。
2022年7月15日(金)
774年7月16日は、空海生誕の日です。 どこにも書いてないと思います。
私にはどんどん教えてくる何者かがまとわりついています。 そして空海さまのルーツもほぼ分かりました。
その過程での安倍元首相銃撃事件です。 それは、空海誕生秘話を知った聖武天皇の御霊がショックを受けてから数日のことでした。
聖武天皇にはあまりにものショックでしたね。
自分の娘と思っていた阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)が自分の娘でなかったというショック。
しかも・・、自分の子供と思っていた娘は、光明皇后と吉備真備の子だった・・というショック。
空海さまは父不見山(ててみずやま)という名の山を国土に遺して、弘法大師廟から空海の墓までと父不見山までとを同距離とする二等辺三角形を形成することで、「父親の顔を見たことがない」と教えていました。
大仙山は吉備真備の墓ですが、そこから八祢宜山までの距離と空海の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。
そして・・、孝謙天皇の墓から吉備真備の墓である大仙山までと父不見山までとが同距離で二等辺三角形を描きます。
弘法大師廟と八祢宜山と孝謙天皇の墓は、直角三角形を描きます。
空海さまも孝謙天皇も、吉備真備の墓である大仙山と『父不見山』を使って、「私は父親の顔を見たことがないのです」と語っているのです。
お二人が、吉備真備という同一人物にたいして言って居られるのです。どういうことか理解ができますでしょうか皆様。
「吉備真備!どういうことなんだ!!」
「光明皇后!どういうことなんだ!!」
「阿倍内親王!お前までもが・・」と、聖武天皇は大変なショックで大激怒なのでした。
初対面の時にも私に、「それは本当か!」と言われて、「本当です」と応えると大変に大喜びされていましたが、
今回もまた私に、「それは本当か!」と言われるので、前回同様冷静に、「本当です」と応えると、大変ショックなご様子でした。 つづく
2022年6月9日(木)
瀬戸内海に浮かぶ弓削島の古法皇山は、弓削の道鏡を祀る山だともう10年前になるでしょうかぁ・・私は教えられていました。
その古法皇山と、応神天皇の代に弓月の国から19万の民を連れてやってきたという弓月王の墓と、道鏡の墓は、2:1:√3の直角三角形を描いています。
孝謙・称徳天皇の墓との関係性も見事に空海コードで成立します。
大西さん、メールに書かれていた推理は正しかったですよ。
そして・・道鏡の父親も分かりました。
武部さん、道鏡さんの墓参りに行って、それから孝謙天皇の墓へと道鏡さんをお連れせねばならないようです。
重要な任務です。よろしくお願いいたします。 ・・つづく
2022年6月1日(水)
橘三千代の墓と光明皇后の地下神殿と孝謙天皇の墓は直角三角形を描きます。
そして、橘三千代の墓と孝謙天皇の墓と竹生島はケプラー三角形を描きます。
また、孝謙天皇の墓である上谷山(1083m)の磁北の990m部分には山頂を崇める遥拝の丘も存在します。
この場所から山頂を崇めるその遥か先には、斎宮があることは、これも偶然ではなく計画的配置だと私には見えます。