2016年9月6日(火)
「神様神様、教えてくださいね」
「この日月の山の地上絵は誰が造られたのですか。空海さまでしょうか」
「そうだ」
「卑弥呼さまとの意味づけを持たせて造られたのでしょうか」
「そうだ」
・・・
それはそれは人が近寄れないような場所の岩山を加工して日月の山は造られていました。
最初は当然、その日月の岩は遠くからでも長年見えていたことでしょうが、そのうち土が積もり木が生え、その樹は大きく大きくなって、それはそれは素晴らしい光景を創っていたことでしょう。
その大事な大事な日月の山の樹は、御神木も含めて皆、人の手によって伐採されて、その当時をしのばせる見事な朽ちた根株だけが寂しく何かを語りかけているようでした。
又、卑弥呼さんの陵墓の方角にはキッチリと遥拝の山もあり、そこには、わざわざ火山弾の石が運ばれて遥拝所が造られていた痕跡もみてとれました。
いつもそうですが、その場所に行くことで又又、新たな導きがありました。
そこには・・、なんと! 四国の山中に大きな大きなマチュピチュのような山頂都市が見受けられます。
地理院地図の等高線はそのことを教えています。
そこは高知県の山中にあります。 んん~~ん そこへも「行ってください!」とな。