2018年12月26日(水)
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お名前(漢字): K
住所: 兵庫県養父市
上森さん。おひさしぶりです。ブログの12月20日を見て、養父市のほうに線を引
いてくれてうれしいなと想いましたよ。
噂によれば但馬妙見の日光院は
徳川家康が厚く崇拝していたと聞きました。
そのため亡くなったら但馬妙見に行きたかったそうです。でもそれは無理なので
但馬妙見を真似して
日光東照宮を作ったという話です。
なぜ家康さんは但馬妙見に興味を持ったのでしょうか?それは蘇我氏と関係がある
と僕は思いました。名草神社は和歌山の神様の名前ですよね。そして、名草神社に出
雲大社にあった三重塔が運ばれて残っている。
律令国家になった時の日本の全体地図を見てみると、大和の国とくっ付いているの
は紀伊国ですね。大和・紀伊・出雲そして、妙見信仰ということになると僕は蘇我氏
と関係があるんじゃないかと思いましたよ。
それと、僕の住む村の近くに
進美寺山(しんめいじさん)と
須留岐山(するぎさん)という小さな山が
ありますよ。
するぎ山の下の浅間の寺は
空海さんも訪れている所だそうですよ。
いつも、なぜ浅間という名前が
こんな所についているんだろうって思うのですが。 僕の情報は以上です。さような
ら。
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・・・
Kさん、情報ありがとうございました。
教えていただきました情報から、その場所場所が、能勢妙見と大いに関係していることが分かりました。
そしてそのことは、イエス・キリストの墓との関りが浮き上がります。
ありがとうございました。
妙見山は、現在次の本の原稿を書きつつありますが、現在の私とシンクロしています。
Kさんは、「循環調律」という造語まで考案し、独特の研究をしています。
2014年3月29日(土)
山口県から藤井さんが事務所を訪れてくれました。
そして・・「私は以前から茨木によ~~く来ていたんです」と言われるので、
「茨木ですかぁ~」と私。 それで・・ 昼食をした後、
「今から能勢の妙見山に行きませんか。藤井さんはイエス・キリストに関係していますね」と私。
そして・・、即、 能勢妙見山へと行きました。
私は能勢妙見山の神様にご報告とお礼を言いに行きました。
「お陰様で、妙見山の郵便番号とケーブルカーの長さの666の資本金に増資することができました。新資本金が6660万円になりました。これも岐阜の石子さんからのメッセージとして教えていただきまして、本当にありがとうございました。感謝いたします」
登るときから、「帰りのケーブルカーもリフトももうありませんが・・」と言われ、それを了解の上で、とりあえず登ったしだいでした。
お陰様で、歩いて下山する間に、沢山の鹿に出会いました。
全ての出会い、その全てが神様のお導きのようです。 感謝いたします。
能勢妙見山は完全にこの国の秘密をご存知のようです
空海様~~! 最澄様~~! ヤ~~ッホ~~~~~!!
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2014年2月9日(日)
9日は京都セミナーが午後からあるので、前日、能勢妙見に行って自宅に帰るのも大変なので、能勢から京都までの沿線で泊まることにしたものの、タバコを吸わない私は禁煙の部屋を探しても、何処も満室でホテルがとれません。
やっと探しに探して泊まったところが、大阪と京都の中間点にある高槻でした。
「どうして高槻なんだろう!?」 これも何かの力が働いているようで、午後のセミナーに間に合うように行かされた所が、カトリック高槻教会でした。
行って分かったのは、高山右近という御方の御霊に呼ばれたようでした。
高山右近と能勢と空海様の再度山大龍寺と、橿原神宮の神武天皇陵と、「とうりゃんせ」の舞台である生野にあるイエス・キリストを祀る地下神殿との位置関係が見事に教えられています。 神武天皇=イエス・キリスト と空海様と高山右近様が教えています。
さぁ~いよいよ、鶴と亀の地上絵がある生野が、ただならる場所であると言うことがそろそろ皆さんに分かってくることでしょう。
かごめかごめの唄は「後ろの正面だ~~れ!?」と、そのことを教えてくれていましたよ。
後ろの正面には、「イエス・キリスト様を祀る地下神殿がありますよ!」と、教えていましたね。 その地下神殿への入り口を私は教えられ掘らされていたんですね。
その場所へ行くのに最初に3つの十字架を描かされたのも重大なことを教えてくれていました。
日本という我が国は、それはそれは大変な世界の聖地であるという事実を世界中の人達が認める日がそう遠くないうちにやって来ることでしょう。この日本という国土は地球上で何人も犯すことのできない神聖なる聖地なのです。
私は日本人としてこの日本に生まれたことを強く誇りに思います。
日本人こそが、争いの無い世界平和を実現させる重大な鍵を握っているようです。
その為にも、いよいよキリシタンの方々の御霊鎮めをやるようにと言われているようです。
2014年2月8日(土)
前日の大阪セミナー後の懇親会の席で、イワクラ学会のEさんから
「能勢に行かれるんだったら、七宝寺ですね!」と教えられた私は、神河町の七宝寺さんにも大きな意味があったので即座に「分かりました。行きます!」と応えていました。
「能勢の妙見に早く行きなさい!」と二年前に言われていた私でしたが、やっと行くことになりました。・・が、当日は大雪で、川西能勢口の駅近くのトヨタレンタカーでスタッドレスタイヤを装備した車を用意してもらっていたお蔭で、雪道でも安心して一応、七宝寺さんへの上り口までは行くことができました。上がり口近くの民家の方に車を置かせてもらって歩いて登って行きました。私にはそれはもうバチバチの意味ある場所であることが分かりました。
他にも妙見山奥の院や行者山などをEさんに教えられたいましたが、なにせ大雪なので行くことはできませんでしたが、後日改めて来る事にして雪景色を焼き付けて帰ってきました。 ここ能勢妙見は、生野の姫宮神社と橿原神宮・再度山大龍寺と能勢妙見の位置を結ぶと見事な図形が描けます。 この図形の意味することは重要にして重大です。
歴史も知らない、今まで一切、魏志倭人伝なるものも読んだことがない私が、それを読んで、女王国との境界を解釈して近畿地方の地図に素直に線を引いてみました。
そうしたら・・・ 描き出された女王国とは・・・
但馬、丹後、丹波、摂津、大和 と繋がった国土になりましたね。
邪馬国(京都府、京都市北部、亀岡、園部、丹波高地)の台になるから邪馬台国・・??
女王様は但馬で祈り事をやっていたのかな・・??
福岡から福津(津屋崎)、福津から船で行くこと20日で、鶴島、亀島を両サイドに観ながら港へ滑りこみ、惣堂神社(大門)でご挨拶をしてそこで一泊。そこから船で行くこと10日で西宮の港へ。 そこから山また山を越えて1ヶ月で但馬の地、生野へ到着します。
西宮の由来は・・? 女王国が、、西の宮 東の宮に国が分かれるような地形になっていて、女王は西の宮に居て、そこへの入り口だったので・・西宮 ?? 意外とそうかもしれません。そして福の神「えびす様」の総本社でもある西宮恵比寿(えびす)がこの地にあるのも、そのような歴史を教えてくれているようです。
福の神「えびす様」はどこからやって来ていたかと言えば、 釜山から船に宝物を積んで、対馬 それから 壱岐を通って、西の鎮の地 鎮西に呼び込んで(呼子)、福吉(前原) そして福岡、福津(津屋崎)・・そこから20日で福山(大門)、 そこから10日で福の神「えびす様」は福の神の総本社西宮へやって来てたようですね。 誰もがえびす顔になる福を運んでくる宝船のルートが、女王国へのルートだったようです。そして、西宮から福知山を通って1か月かかって女王が住むシオン(聖地)に到着します。
生野の史実では、昔は 死野と呼ばれていたと言うことです。
死野・・、シノ ・・ シノン ・・ シオン ・・ そうです。 聖地と呼ばれていた時代が確かにあったのです。 ある時期、天皇の命により死野から生野とよばれるようになったということです。
奈良の纒向は、邪馬台国の首都ですね。
そしてそして・・、不思議ですねぇ、今日も空海様が教えてくれました。
「姫宮神社と橿原神宮を結んでみなさい。そして、大龍寺(再度山)まで線を引いてみなさい。また、能勢妙見山へも・・」と。・・ひぇ~~!! ですね。 ゾォ~~~!! ですね。
空海様は今でも大龍寺の亀石のところで立って居られると信じている私ですが、まちがいありませんでしたね。 見守っていますね、皇様たちを・・・。
橿原神宮が神武天皇のお墓でしたら・・、姫宮神社は女王卑弥呼のお墓・・!? いえいえ、もっと凄いどんでん返しがありそうです ひぇ~~~~~~~
・・・
2012年7月9日 卑弥呼のお墓を探査レーダーで調べると・・
2012年11月7日 ちょっと整理してみました
2013年1月18日またまた邪馬壹国としてまとめてみました