「てんがらもんラジオ」336回を聴き終わりまして、こんなイメージでした。4人のレギュラーを四つ葉のクローバーに例えてみます。子供の幸福を保育士としてあるいは家族として、願ってきた姿が互いにクロスされ、更に葉の一枚が湯上りの肌色(ピンク色)をしていた、という感じです。
その肌色がこちら、
作家の田辺聖子さんが「川柳というもの自体が人肌なつかしい文芸ジャンルである」(『道頓堀の雨に別れて以来なり 川柳作家・岸本水府とその時代』)と書かれていますが、それが川柳の基本にあると思います。
例えば、紅雀さんの手作り句集から
「他には何も見えませぬ」とは言いますが、
浮かんでくるのは梓みちよの、♬ こんにちは 赤ちゃん ♫
ですから紅雀さんは川柳で、
湯上りの赤子のように抱かれよう
とも詠むのです。
放送のなかで「エロ川柳」 とか「エッチ川柳」 とか言われてますが、川柳は人間の百様百態を詠むのですからエロもエッチも視野のなかに入って当然です。ただ川柳を通じて人間の面白さー古語辞典的に「面前が白じろと明るくなり、様々なことが見えてくる」ー自分の人間としての面白さ、そこには醜さ非情さなどもある、それも含めてです。それだけにヒューマン・人間愛に裏付けられた生きるエネルギーを感じられる句こそ川柳の面白さと言えます。
映画評論家の水野 晴郎(みずの はるお)さんの「いやぁ、映画って本当にいいもんですね~」にもじって言えば「本当に、川柳って面白いものですね〜」。
注:明日、孫の見送りで横浜港へ行く打合せ等で、息子等とやりとりをしつつの「つぶやき」でした。再放送を聴いたうえで補足したいと思います、とりあえず第一稿とします。