kaeruのつぶやき

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楽屋吟の楽屋話

2018-08-17 01:50:30 | 「てんがらもんラジオ」

楽屋話に入る前に、気持ちの良い話からします、

今日の「川柳教室」の特選です。

この句と全体の句と講評は、「てんがらもん」334回 で見て頂くとして、kaeruが上目づかいで読んだ感想は、ひげさんのヒューマンな心、子供の下校を見守る心が被災地へと向けられているとの思いです。

その被災地を酷(むご)くも照りつける陽、その天空が豪雨の元になっていた。下五にはそういう天空への無意識な怒りが、講評で言われている「唐突な感じ」として表現されたのではないだろうか、そんな風に読みとれます。

さて、kaeru の句と楽屋吟については、以下の通りです。

実はこの句のことはまるで忘れていました。読まれるまで「空」ではどういう句を出したのか、「暑いねを」の方は覚えていましたが……。いま、ひげさんの句を読み解きながら自分が何を詠みたかったか、わかりかけてきました。

それを手繰(たぐ)り寄せるためにも、楽屋吟について先の講評をもとにしながら考えてみます。楽屋吟という言葉ではありませんが、川柳で川柳を詠まないということは、この教室のはじめの頃に石神さんから指摘されていました。

それを忘れていたこともありますが、自分の句でいうと戸惑いの表現という面についてです。何かがはっきりしていればあとはどう詠むかですが、その何かが在るのだが掴みきれない、それでも一句にするとなると表面の浅いところで題と感情を結びつけてみる、感動もないから忘れる、という見本のようなものです。

こういう句を詠み続けると多分川柳が面白くなくなり、離れていくか、月並川柳を続け仲間にも悪影響を広げることになるでしょう。楽屋吟という言葉があるくらいですから、ある時期には広がったのではないでしょうか、「気をつけよう、熱中症と楽屋吟」です。

熱中症は時期物ですが、楽屋吟はずーっとです。

最後に、三省堂『新 現代川柳必携』から、


16日の幸漢字「氣」ー4ー

2018-08-16 20:40:33 | いち日の言葉

   

気になったこと。

昼間このブログを描き始めていて、途中で「あ!こうしたい」と思いその物を取りに一階に下りたのです。そしたら何を取りにきたのか? しばらく部屋の真ん中で周りを見回したが、思い出せず。もう一度二階に戻りブログの画面に目をやっても思い出せず。

ところ夕食後トイレで便器に座ったら、分かった!

これを取りに降りたのでした、

今日は盆の十六日「盂蘭盆会施餓鬼会」、お寺さんへ我ら夫婦と長男夫婦と孫兄、弟の方は部活だとか、五人で出席してきました。毎回のことですがこの聖典を広げ坊さんの読経にあわせ字面を追ってきました。

そこでブログの件、お経のなかに「氣」がどう読み込まれているのか? と思ったわけです。この聖典は薄いものですし、印刷文字は大きいので全部目を通しました、無い……。

お経といえば般若心経ですね、そこで般若心経のなかで「氣」は?これも無しです。

こんなことをして知ったのは、日蓮宗では般若心経を認めていないようです、浄土真宗も。経文ではどういう漢字が多く使われているのか、教えの内容と当然関係しているでしょうから。

般若心経では「無」が目につきました。一度全文266文字中「無」が何文字あるか、「日めくり」では20日が「無」です、4日後に調べてみましょう。