一人一人に纏わり付いている「時間」には、三つの層があります。一番身体に近いのが「時刻」、自分の親とか兄弟や子供なんかにつながる時間が「人生」、この人生という時間帯のなかに世代をいくつか織込むと「歴史」、「時刻」「人生」「歴史」の三層です。この層が流動している様相を三次元で描いて下さい。
最初の「時刻」は時計を頭に描いてもらえばいい話です、話せば色々あるでしょうがここでは省略。
「人生」については、吉田拓郎の「人生を語らず」の歌詞では「今はまだ 人生を語らず」というのですが、歌っている顔を見れば人生を語る年齢ではないことは分かります。ならば幾つになったら語るのか ?
それは第一の「時刻」の連続のなかでこの連続が有限だという実感を待った時、己の寿命を感じた時でしょう。そこにはすでに寿命を終えた者、親や兄姉をはじめ年齢的に己の前を歩いていた人々。もちろん自分より年齢が若くても先に逝ってしまった者も思いのなかに描き、その流れのなかへ己も溶け込むということを意識する時です。
同時に、歴史と人生が重なって見える時期です。寿命とか人生は見えても歴史は見えない、あるいは見ない人もいますがその人にも「歴史」がまとわりついているのですが歴史不感症では、感じません。
実は「kaeru の夏休み」で集中してかかったことから、こんなことを考えてみたくなったのでした。休みを無断でのばし、結果は中途半端で終わり、引き続き関わっていかねばならないのですが、副産物として、頭の運動課題を持つことができました。
目的で、そして1ケ月収録をやって、緊張感が足り
ないことを感じ、気分転換的な気持ちでテーマも
決めず集まることに。
でも夕べになって石神さんから、何を話していいか
わからないから質問してよ・・ 本当は自分の話す
こともまとめてない、
節目の話・・とだけ。いや履歴を並べてみただけ。
2014年12月25日この日が石神さんの初めて来られた
日。ふとカエルさんのつぶやきを頼ろうと、その日の
ブログをコピーしました。さてどんな展開になるやら見
当つきません。
あっという間だと思います。人生を語ってもらうには
若すぎるし。
24時間テレビではないが、私の人生を変えたきっか
け?・変えてくれた人・そんな話でもいいかな…。
私なんて人生は自分が変えまくったとしか思えない。
いつも勝手に思い付きで‥生きてきた?
私も歴史を語り、人生を振り返る年になってしまった
そんな気がしてきました。
夏休み延長ですか?
今日は聞いていただけますか・
(上のコメント消去してください。読み返さなくて通じない)
切羽詰まらないと浮かばないちどりです。
た。耳に入る響きが良いのです、耳そのものが聴き
取りにくくなっているで当てにならない話かもしれ
ませんが。
課題は伊敷団地での受信要望に早く応えることで
しょうが、局の善処を期待するしかありません。
紅雀さんの自作を文字として確認しなければ、五七
五という短さですから、耳だけでは不安です。