昨夜に続き俳句系です。寒の字がありませんしこの季語には季感がない、
というような説明もありますが、晩秋の冷然とした雰囲気には気候の寒さも
含まれています、寒さいろいろに加えて例句も二句。
冷まじ
山畑に月すさまじくなりにけり 原石鼎
流木や白鳥の白冷まじく 殿村菟絲子
岩波『古語辞典』によれば、≪スは接頭語でスナオ(直)のスに同じく、サマ
はサメ(冷)・サム(寒)と同根か。期待や熱意が冷えてしまう感じがする意。ま
た、そのような事態から受けるしらけた気分をいうのが原義。≫とあります。
そして、枕草子の二十五段より「すさまじきもの。……ちご亡くなりたる産屋(う
ぶや)、~婿取りして四五年まで産屋のさわぎせぬ所」などを例に「(期待の気
持が冷えつくような事態jに直面して)しらけた感じがする。」との説明です。
こう書き写しますと、民主党政権を生みだした国民的期待のその後を現代の
清少納言の筆なら、まさに冷まじきものとして描いたという思いがします。また、
政権を投げ出した者が政権奪還のトップに就く、あるいは職員を思想調査で
追い込み人心を凄まじい心情の景に向かわせる者が国政に影響を及ぼそう
としているこの国の政治的風景は、「冷まじく凄まじい」と記すべき景だと言った
かもしれません。
そして、清少納言から夏目漱石に、「枕草子」から『草枕』へ移り、冷まじき世
から越すことができなければ、趣味の世界などにこころ遊ばせて暮らすのも良
しとする、と漱石が書いたかといえば、否というべきです。
『草枕』の冒頭で「人の世を作ったものは~向う三軒両隣りにちらちらするた
だの人である」と、その「ただの人」が「束の間でも住みよくせねばならぬ。」と
詩人画家等の「使命」を論じています。漱石がロンドン時代の下町での生活と
英国社会に対する批判的見解に立って「カールマルクスの所論~今日の世界
に此説の出づるは当然の事と~」とも述べています。
ここには、秋から冬への冷まじき景と政治社会の景の凄まじさを、凝視しつ
つ新たな景に臨むべき者が「本物の思考と豊かな想像性=創造性」を獲得す
る上での先人の残した蓄えがあります。