昨日の木下夕爾の俳句は、『折々のうた 三六五日』(大岡 信・岩波書店)
の十月一日の「うた」として挙げられていたものです。もちろん「俳句二題詠」
などというものはkaeruのつくり話です、ご容赦下さい。
タイトルの「闇の形」とは、十月二日の「うた」です。
ある闇は蟲の形をして哭けり 河原枇杷男
以下丸ごと大岡 信の言葉【内】です。
【闇が「虫の形」をして「哭く」なんてことがあるのだろうか。その現場を肉眼で、
また耳で、とらえることはできまい。しかし私たちには「予感」とか「予兆」の世界
がある。そこでは、闇が「虫の形」で「哭く」こともある。いわゆる現実世界の事象
より一層現実的に、それは私たちに肉薄する。なぜならそれは「心」そのものの
出来事だからだ。】
現実社会の「闇」に目を凝らして「形」をとらえようとします。闇に潜むものも含
めて闇全体の「形」を、虫であるか獣であるか、資本の増殖のみをめざし「あとは
野となれ山となれ」という輩であるか。
普天間にオスプレイ配備が強行されました。大間原発の建設再開を当該社長
が表明しました、野田政府の着工済み原発の建設継続容認の考えを受けての
ものです。 この闇の形をとらえ闇の正体をあばきだす力が3・11以降の運動の
なかで着実に蓄えられつつあります。
kaeruもその力の一員として「本物の思考」と「予感=豊かな想像力」を養い
続けていきたい思います。