【再拡散希望】2017/7/10(月)15:00東京高裁 第424号法廷 判決言渡 控訴人(黒岩知事)敗訴
平成28年(行コ)第325号 神奈川県議会議員政務活動費不正受給確認請求控訴事件
控訴人:神奈川県知事
非控控訴人:県民
参加人:中村省司県会議員
コメント:横浜地裁に続き神奈川県敗訴
(判決書)http://fujikama.coolblog.jp/2017/20170710T.pdf
この件の原告岩田氏による判決文中の注目部分が送られてきましたので載せます。
【再拡散希望】2017/7/10(月)15:00東京高裁 第424号法廷 判決言渡 控訴人(黒岩知事)敗訴
平成28年(行コ)第325号 神奈川県議会議員政務活動費不正受給確認請求控訴事件
控訴人:神奈川県知事
非控控訴人:県民
参加人:中村省司県会議員
コメント:横浜地裁に続き神奈川県敗訴
(判決書)http://fujikama.coolblog.jp/2017/20170710T.pdf
この件の原告岩田氏による判決文中の注目部分が送られてきましたので載せます。
この件に関し「不正受給」との判断が横浜地裁に続き東京高裁でも下されました。
下記は原告の石田薫氏のメールです。
【 横浜地裁判決(平成28年8月3日)に続いて、東京高裁(河野清孝裁判長)がこの7月10日画期的な判決を下した。中村省司神奈川県議の518万8050円にのぼる政務活動費(平成23年7月~25年11月)の不正を認めたのだ。領収書は架空、『県政レポート』の印刷は実態がないと認定。会派の年度の収支が赤字でも不正利得(実態のない支出)は返還すべきと認めた。これは地裁に続き高裁レベルで全国初の判断。いままでは赤字なら返還しなくていいとしていた。
この判決を受け、中村省司神奈川県議は辞職するか判断を求められることになった。もちろん、利息をつけて518万8050円は返さなければならない。もっか不起訴不当の申し立てを審理している検察審査会も判断を迫られる。地検は詐欺容疑の告発を不起訴にいったんしたが、再告発を4月27日付けで受理している。こちらも判断を迫られることになった。いずれにしても中村省司県議には厳しい判決となったのは間違いない。 原告(被控訴人)岩田薫】
以下はカナロクの関連記事です。
http://www.kanaloco.jp/sp/article/263533
判決文です。
昨日はICP7期の仲間と参詣のあとの歓談中の写真を載せました。自分のスマホでも写真が横向と逆さまになっていました、このアイパッドでは正常なのですが。
神武寺のことはつぶやいていませんでしたので、今日は神武寺のフェイスブックに紹介された神武寺住職さんのニュース記事を載せて、風邪気味の身体を休ませます。
神武寺の秘仏本尊の薬師三尊像の御開帳は5月28日までです。
神武寺についての参考に、
袖触れ合うも縁、パソコンの学びを共にした縁も他生ならぬこの世の縁だとうれしく受けて、今日は逗子の醫王山神武寺に連れだっての参詣。
逗子市の「逗子の古文書・公文書等の保存と公開を進める会」作成の小冊子『醫王山 神武寺』によれば、当山の秘仏薬師三尊像の三十三年に一度の御開帳がこの五月二十八日までとのことです。
遠い古から現代まで人は何らかの縁でつながるものと、時には思いを深める機会にもなろうと今回の顔ぶれで参詣してまいりました。
今日は神武寺33年振りのご開帳に招待されて多謝します。
mammaレストランは前のカヤの木邸でした。
大変美味味でした。斎藤
楽しかったです。場所を間違えて認知機能に疑問を感じるこの頃です。小林
天野さん、今日は素晴らしい企画を、有難うございました。33年に一度のご開帳、だけあって見がいがありました。久保田さん、吉野さんがご一緒できなくて残念でしたが、有意義なひと時を持てましたこと感謝です。高橋
次は古賀さんです
お陰様で楽しい思い出が出来ました。皆さんのお元気な顔に接して幸せでした。
神武寺三十三年ご開帳参拝
友ありてこその御参り五月道 kaeru
次回は高橋さんの案内で遊行寺です。
再会を期して「mamma」の前にて
注:ブログ中の写真について、
このアイパッドでは正常なのですが、スマホでは横向と逆さまになってしまいます。対処の仕方が分かりません、位置が違ってでましたらご了承下さい。
10月に歴史講演会として開いた「神武寺を知ろう」の第2弾ともいうべき「 もっと神武寺を知ろう!」を来年4月に開催することが決まっています。
今日はその神武寺の恒例「お煤払い法要」、会長の車に同乗して行って来ました。
目指す神武寺は山の中です、マップの青丸が車の位置で、車の前を一群の人々が……
この人たち神武寺に向かう人でした。
境内はこの賑わい。写真の真ん中で石塔の前で男性に声をかけているのが会長の松本さん、男性が手にしているのは、
神武寺の受付に置いてある会の作った小冊子です、この写真に写っています。善男善女の一員になってパチリ、
ついでに、
この写真のポイントは左手の黄色いリックの男の子、ハダシです。
タブレットを向けたらパチリとやりな、の構えでした。
普段は静寂に包まれている薬師堂も参拝者が絶えませんでした。
今日の午前中は「逗子の古文書・公文書等の保存と公開を進める会」の例会でした。10月30日の歴史講演会「神武寺を知ろう!」のことは、
http://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/6c8c9150861a06f63af2926e1b7ef7b1
でこのブログでも紹介済みでが、今日は来年の企画が出されました。それは「神武寺をもっと知ろう!」です。
先の講演会の感想で多く出されたのが「もっと知りたい」でした。それを受けての企画なのですが、私の意見として「神武寺は明治維新の前後どのような状況だったのか」に焦点を当てた内容にしたら、ということです。
これは正に鹿児島・薩摩で受けたエネルギーの受け渡しです。鹿児島は2018年明治維新150周年に焦点を当ててます、「逗子の明治維新を語る」を2018年に企画したい。その前年の「神武寺をもっと知ろう」の内容を明治維新期の激動が与えた神武寺と関連地域と人々への影響などを明らかにすることにしたい、と。
それは前回の講演会用小冊子「醫王山 神武寺」、
をつくる手伝をしていて、気づいたのはここです。
丁度NHKの「真田丸」で北条対豊臣の抗争が語られていました。天下の激動の時代一寺院が、この場合北条氏の保護下にあった寺がその周辺の人々を巻き込みながらどう変化するのかを垣間見ることができ、それを短くはありましたが記すことができたのです。
明治維新期も同様に天下の激動の時代です、その時代のことを天下国家のことも知っているが我が市我が町のことも知っているという市民・町民になろう、その一助のために講演会の企画を進めようということです。
亡くなった黒田先生の前々回の講演会の取り組みに際しての発言は「観光地としての名所旧跡に歴史を!」でした。それはそこに生き、その地を郷土としていた庶民の暮らしの動向に焦点の一つを当てたものです。その思いを受け継ぐことも鹿児島・薩摩のエネルギーに重なってくるのです。
午前中、逗子でこの作業、
内容は作業というほどのこともないことなんです。27日に逗子市内の文化活動などをすすめている諸団体が活動を交流しあう集いがあるのですがその提示物づくり。左が会長の松本さん右が事務局長の山田さん、お二人で十分できることなのですが、
こうしてカエル顔を出しているのは、お二人とメル友になろうと思ったからです。
ご婦人とメル友になる、これだけで目的は十分なのですが実は会長から電話を頂いても当方の耳が悪く聴き取れない、これはメールで連絡出来るようにというわけです。事務局長とのメールのやり取りはパソコンだけでした。携帯を持っているならメル友に、と話したらアドレスはあるが使ったことがない、ということでその場でアクセスして「メール開始おめでとう」の挨拶を送れました。
メール話は序の口で、本命は会としてHPを持つことを勧めしたかったのです。
この会「逗子の古文書・公文書等の保存と公開を進める会」は故黒田康子さんが最初の会長として10年前に発足した団体です。私が関わったのはこの3年くらいですがだんだんその重要性がわかって来ました。特に黒田さんの郷土史に対する姿勢は引き継ぎ発展させるべきものと思います。それに逗子市の「市民活動支援補助金交付対象事業」として取り組むことは、その活動は単に個人の趣味活動では済まないわけです。
平成28年度この補助金の交付を受けた団体は9団体ありましたが、そのうち6団体がHPを持ち活動していました、そこに我が会がないのです。先日の超満員の講演会も逗子市や他の団体のHPによって知ったとのアンケート回答があり、それも60歳代の人ですから会の活動水準が遅れをとっているわけです。
それで急きょ、会長事務局長と相談したというわけです。会の他のメンバーの情報環境はどうかわかりませんが、これが契機になって活動の幅が広がればと思います。
芸術の… 食欲の… などなど秋には様々な形容詞が付きます、なかでも11月3日の「文化の日」があるので文化が注目を集めます。
昨日夜、逗子で「ZAF2016 逗子アートフェスティバル」のキックオフミーティングがあり、10月30日の講演会「神武寺を知ろう」もその一環ですので、参加してみました。
上の写真の右側「市民企画」の30団体が持ち時間2分で企画内容を紹介し合う、というのですから映像と発言でどう印象に残すか、
当講演会を主催する「逗子の古文書・公文書の保存と公開を進める会」会長の松本はるこさんは元市議会議員で市長選にも立候補した人なので、手短にまとめていました。
この企画が印象に残りました、
配られたチラシには「池子の森自然公園の接収前の風景」とあります。今の米軍逗子弾薬庫でありそれ以前は日本海軍の弾薬庫でした。この地は昭和16年に政府の命によって全民家が強制立ち退きをさせられた地区です。
その頃の風景を描いた「望郷」などが展示されると話されました。
逗子にお近くの方は、http://zushi-art.com をご覧になり関心ある企画にどーぞ。
先月大船駅の近くの料理店で貰ったチラシ案内( 鎌倉は大船駅近くで )の講演会に相棒の誘いにのって出かけてきました。鎌倉は杉本寺の近くの鎌倉女子大学二階堂学舎、受付にMさんがいました、「kaeruのつぶやき」の名付け親です。講演会の主催がICP鎌倉地域振興会(http://icp2001mt.sakura.ne.jp )という団体で、そういえば以前Yさんの誘いで同種の講演会に参加したことがありました。
「未来に引き継ぐ鎌倉の歴史遺産」と題する講演ですが、思った通り私の耳では聴き取れませんでした、がかなり詳しい資料でしたので参加しておおいに刺激を受けました。「吾妻鏡あずまかがみ」に記されている記録と現在の鎌倉への変遷、段葛の保存を巡る話特に桜樹に関する話は観光地として表面だけ見ていては見えてこない問題の一端だろうと感じました。
資料のなかの「吾妻鏡」原文ーー漢字文のなかにーーに平仮名の和歌を記されていたのは面白く、それも静御前が八幡宮で義経を慕い舞う場面ですからいっそう目に入ります。原文は、
この頁の中ほどに、
よし野山みねのしら雪ふみ分けて…… と しつやしつ……
が読み取れます。
帰りは一人でしたので歩いて鎌倉駅へ、途中で
今日の講演会でも「私たちが歴史的遺産を次世代に引き継いでゆくためには何が必要なのか考える」とありましたが、その現場のひとつです。
あわせて私の手元に現代語訳「吾妻鏡」があります、原文のそれを読むことは及びもつきませんが、現代語訳でしたら読み進めることができるでしょう。原文と同じ部分でもこうあらわされています。
その努力を払うことは私にできる歴史遺産の継承です。