これは一昨日の話、もう旧聞に属すると言わないで読んでください。
句会の主宰が手術後も順調で二ヶ月空きがありましたので3ヶ月目の句会でした。私の句の出来が悪かったので俳句の話は後にして、主宰の快気祝いの集まりの後のことだけ。
快気祝いは大船駅近くで、その後二次会へ男性だけ五人、1人が案内してくれた店が満員、それならばと2対3に分かれた2の方に私、飲屋街は全く不案内で相棒に付いていくしかありません。
入ったお店で貰ったのが、これです。
真面目なお店でしたの証でもありますが、このチラシを見て持っていた私の方のチラシをママさんと相棒に渡しました、これです。
先日紹介したばかりの勉強会の案内です。今日もその資料づくりで半日過ごしました。「 進める会」の会員さんが書いてきた原稿の清書を兼ねてタブレットで文字情報にする役割です。寝転んでできるのでやらせてもらっています。楽をしながら勉強できるという有難い役です。
逗子の古い歴史は鎌倉との関係でみる、近世は?江戸との関係でしょう。近代現代は海軍基地及び米軍基地横須賀との関係です。この3日には「逗子市独立記念特別講演会」が開かれました、これです。
ある町のこんにちまでの歴史のなかに町の現状の本当の姿があります。歴史的理解を軽く見ては現状を深く知ることはできないでしょう。現状を深く知らずして現状を深く変えることもできないでしょう。
趣味としての歴史から自分の立ち位置を確実にする歴史認識へ向かいたいものです。
10年前20年前50年前100年前と
地域の変遷がまだまだ理解されていない
知られていない、間違って教えられていた
そんなことが沢山あります。
それを自分なりに紐解いていくその
楽しさは、入り込むと抜けられません
鎌倉 逗子 葉山 三浦・・
まだまだ知りたいことばかりです
涯をまっとうされた、何故か?
そんなこともふくめてその地に生きるこ
とその地の歴史を知ることを考えてみた
いとも思います。
当然尽きることのない作業でしょう。
大和朝廷と戦い結局は坂上田村麻呂軍に捕えられましたが、その武勇をたたえて坂上田村麻呂は朝廷に嘆願書を出しましたが聞き入れられず、阿弖流爲は処刑されます。その顕彰碑が清水寺にあります。阿弖流爲は人々にとっての郷土というものを大切にした人だったのでしょう。
き方を見るということでは、先生という
側面と合わせ丸ごとの「黒田康子さん」
と呼びたいです。
そしてひとりの先達の生き方、特に戦後
をどう生きるべきかの問いかけへの答え
としてその背中を見て生きたいと思いま
す。郷土史はその手がかりになります。