幼い頃、みんな多かれ少なかれそうだと思いますが、幼いなりの悩みというものが私にもあって、気持ちが沈んだりパニクッたり。友達がなんの苦もなく出来る事が自分にはできないとか、自分にはみんなと同じだけの価値がないとか。とっても・・・本当にとっても自尊心の低い^^;小学生でした。
その一方で、
”そんなはずはない。自分は大丈夫である。”
と思う時もあって、どうしてかその頃はわからなかったけれど、それを繰り返し確認し続けて、そうやって混とんとした幼少時代を乗り越えてきたような気がします。
不安な時悲しい時、部屋に引きこもれば猫がいて、椅子の上なんかで淡々と毛づくろいをしていました。あったかいお腹に顔をうずめると、動きを止めるかと思いきや、淡々と毛づくろいを続けていました。
部屋にいたくなくて庭にでると、無意識のうちに探していたのはニラムシの穴。
ニラムシってハンミョウの幼虫の事です。^^;固く踏みしめられた土にとても小さな穴が開いていて、ありんこなどがそこを通るとハンミョウの幼虫がガバーーっと出てきて蟻を捕まえて穴の中に引きずり込んで食べるのです。
その穴を探したり、なければなんとなく地べたにしゃがんで土に触れながら低い位置から庭を眺めたり。すると家の壁に地蜘蛛の巣を見つけたりして、今度は地蜘蛛の巣を取る事に専念したりしていました。
そんな地味~^^;な活動をしているうちになんとなく気持ちが落ち着いて。
するとふと風が吹いて、何かの花の香りや水にぬれた土の匂い、それになんだかわからないけれど懐かしいような香りが鼻をかすめていきます。
そういう時に私は
「ああ!」
って思ったのです。
「ああ!」
っていうのは、
涙が出そうなほどの・・・
幸福感。
今だからわかるのですが、あの”幸福感”は”肯定感”だったんだなあと。
ユラユラと、今にも崩れそうな私の心を支えたターゲット達。
彼らはいつでも安定していて、脚を一本なくした甲虫でさえも、私の目の前を淡々と歩いていくのでした。
自分がどんな状態であってもみんなは淡々と生きて行く。世界は淡々と続いてゆく。
私を拒否することもなく、ただただ続いて行くこの世界。しかも美しい。そんなものに私は包まれている。私もそんなものの一部である。
そう感じる事、これは私にとっては肯定感につながるものでした。
何かあったら猫に会う。虫に会う、風にあたって匂いを感じる。
それを繰り返すことで
「自分は大丈夫である」
を確認し続けていたのだと、私は思っています。
だから、
そういう世界を成している彼らが虐げられたり軽んじられたりするのは嫌だし、
間違っていると思うのです。
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