ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

沢山の飼い主さんに届きますように

2014-01-30 11:43:07 | 犬の勉強

去年の秋ごろ、チャーリードッグスクールのお仲間さんであるジ~コタ母さんからご連絡を頂き、チャーリーママさんのブログを紹介するチラシを作り始めました。

2人であーだこーだ内容を検討しあい、この度完成に至りました。

チラシ 

私がルビーを迎え時、犬とどう付き合って良いのかわからず右往左往している時に、チャーリーママさんのブログに出会って救われました。
だから今、吠えや噛みなど、色々な問題を抱えながらもワンコさんとの暮らしを頑張って続けている方、続ける為に必要な力や覚悟、仲間を求めている方が、どうかチャーリーママさんのブログに辿り着きますように。

そんな想いで作らせて頂きました。

 

犬の社会化のトレーニングを勉強してきて、今私が思うのは、

”犬の社会化”と”動物福祉・愛護”は切っても切れない関係だ、

ということです。


なぜかというと、この日本では重要な社会化期を適切な環境で過ごせる子犬が少なく(ペットショップにいる犬など)それは犬にとっての生きずらさに繋がり、その生きずらさは人間から見た問題行動へと発展することが多いからです。人間から見た問題行動というのは、吠えたり噛んだり唸ったりですね。
問題行動を矯正しようと、社会化を考慮しない強制的なトレーニングを施されて、ますます問題が深刻化する場合もあるようです。そして、その問題行動が原因で放棄されてしまう犬が動物指導センターなどに持ち込まれ、もしくは迷子になっても探されなくてセンターに行きつき、殺処分されてしまうケースが後を絶ちません。


こうやって”犬の社会化”を考えて行くと、遺棄の元栓を握る私達人間の何が間違っているかが見えてくると思います。
犬の社会化について真剣に考え行動すれば、また、人間が諦めなければ、助かる命があるのですよね。

その諦めないことのひとつとして、問題を抱えたワンコさんの飼い主さんが、その子と暮らす事をあきらめない、という事があると思います。
問題があっても、それでもその犬を大切にしたい、やっぱり自分の手元に来た犬を愛しいと思う、、そんな気持ちがどんどん育まれる・・・そんな場所がチャーリーママさんのブログだと思っています。
今現在頑張っているお仲間さん達もいっぱいいます。

どうか、沢山の飼い主さんに届きますように。 

 

* * * * * *


このチラシを、私は知人に配ったり動物病院などに置いて頂いたり、またフリーペーパーを置いて下さるお店などに置いて頂こうと思っています。


もし、チャーリーママさんのブログを読んで共感し、このチラシを配布して下さる方がいらしたら、私(カエデ)かジ~コタ母さんにご連絡ください。
折り返しPDFデータをお送りいたします。

 

■宛先は、
私にお送り頂く場合は happa_no_kaede★yahoo.co.jp (★を@マークに変えて下さい。)へ、
ジ~コタ母さんにお送り頂く場合は こちら へどうぞ♪

件名に「PDFデータ希望」とご記入の上、
お名前(HNがある方はそちらも)、メールアドレスをご連絡下さい。

 

厳しい日々を送る飼い主さんとワンコさん達がどうか救われますように☆


MIND SHIFT

2014-01-29 11:22:48 | 諸々

WORLD ORDER をご存知の方は沢山いらっしゃると思いますが「MIND SHIFT」という曲の歌詞字幕つきの動画を見つけたのですが、こんな詞だったのね、と今さらながら気づいた感じで。

この曲の初めの方にこんな言葉が出てきます。

-----------------------
目覚めとともに気づいた
見るもの触れるもの
感じていたこの世界
全てが幻だと
-----------------------

先週の週末、一緒に買い物に出た姉と(最近姉の登場多いですね。^^;)
この歌詞についてひとしきり話をしながら歩いていました。

人はみんな、いや人だけでなく他の生きものも、みんな自分の中に住んでいるんだよね、というお話し。

同じ空間にいても、
同じ音楽を聴いても、
同じ匂いを嗅いでも、
同じものを見ても、

”誰か”ではなく”自分が”見たことしか自分には見えない。
”自分が”感じたことしか自分は感じられない。
自分の中で起きたことしか自分は体験できない。
自分がそう感じたことが”そう”なのである。
自分を通してしか、外の世界を体験することはできない、ということ。

全てのものは、全ての”誰か”によってそれぞれに認識されることであって、
決して同じものではないということ。
そうなると”実体”とか”現実”って一体なんだろう?


だから全ては幻だと。


そう考えると、自分の身体さえ”何かを感じている自分”とは別のものであるような気がしてきます。

自分は自分の中にしか生きられない。
何を幸せと感じるかということも自分の中にある。
だから幸せは自分の中にあるのですよね。
満たされる、というのは外側からではなく内側からやってくるもの。

今まで体験してきたことの意味をいくら考えても、結局それを決めるのも自分でしかなくて、
そしてそれは、自分がこれからどう生きたいかってことにも繋がるのかもしれない。


でもこんな話・・・
ただただひたすら生きることに集中している犬や猫に言わせたら

”人間ってめんどくさい生きものだね”

って言われそうで可笑しいね。

そうだよめんどくさいのは人間の方だよね、

って、、、。

そんな事を姉と話していたのでした。


何匹いるでしょう!

2014-01-21 18:18:54 | ルビーもチニタも

問題です!!

 

何匹いるでしょう?!↓

 

正解は・・・

 

3匹でした~。

 


では次。

 


何匹いるでしょう?↓

 

正解は・・・

 



4匹でした~。

 

ではでは次♪

 

何匹いるでしょう??↓


正解は・・・

 


8匹でした~!

 

最後の問題、”ヒョウ”を数え忘れた人いたでしょ?( ̄ー ̄)ニヤリ

 

 

 


犬のボディランゲージを読む理由

2014-01-18 21:20:46 | 犬の勉強

先日も取り上げたこちらの本。

 

この本の最初の方に、

精神科の面接において大切なことは

 

「受容・傾聴・共感」です。

 

ということが書いてありました。


私はどうしてもこの”共感”という言葉に囚われてしまう、、、というか、
気になって仕方がなくて、その事が頭から離れなくてなってしまうのですね。^^;
これも私の脳のクセなのかもしれません。
気になりだすとやめられなくなってしまう。^^; 

で、”共感”ってどういう事なのかなと考えているのですが、
私の中での”共感”は、

相手の人が何かに対してある感情を抱いたら、

私も同じものに対して同じような感情を抱く事、ではなく、 

”あなたはそう感じるんですね” 

ということ。
 

かな?
 

相手と同じように悲しくなったり、同じように辛くなったりするような

”感情移入”

とは違うかもしれない、なんて思い始めました。(”感情移入”の定義は合っているのだろうか。^^;)

 

”感情移入”というのが、相手の人と同じ感情に陥ること、なのだとしたら、
もし何かを怖がっている人がいたら一緒に怖がってしまう事になるかも・・・。

それだとその人を支えられないかもしれません。 

でも”共感”というのは、自分自身は感情に支配されずに 

”あなたは今そうなんですね” 

と、その人の感情を肯定することに近いのかもしれない。

 

ただ、”怖い”という感情自体を全く知らないのではなく、

それがどんなものなのかを知ってる事は必要だと思いますが。

 

 

で、どうして”共感”にこだわっているのかというと、
犬にとっても飼い主からの”共感”というのが大切なんだな、という事を日々感じるです。

でも、、、、、。
 

彼らがどんな感情でいるのかわからなければ、共感も何もできないですよね? 

どんな感情でいるのかわかる為には、 

ボディランゲージが読めなければ。^^; 

 

・・・はっ! 

ボディランゲージを読まなければ”共感”もへったくれもない・・・んだ!

適切な対応もなにも出来ないんだ・・・!!

 

・・・という事で、やっとボディランゲージを読む重要性に気づいた犬飼い5年目の私なのでした。^^;

今さら過ぎてすみません。m(__)m

 

  
チニタを撮っていたらフレームインしてきたルビー。

 

ルビー・・・


お母さんがんばるから・・・!!^^;;;