ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

問題はどこから? ~横浜座学

2015-01-30 09:16:32 | 犬の勉強

1/20、チャーリードッグスクールの横浜座学
『犬の言葉が聞こえますか?イヌという動物を考える。ブリーディングから成長過程、流通、社会化』
の、またまた続きです。^^;

これは書かないと!と思っていたことがまだあったので時間が経って忘れてしまわないうちに記事にしておこうと思います。


写真はまたまた記事とは関係のない^^;昨日のお散歩のルビー♪


皆さんもご存知のように、世の中には問題を抱えたワンコさんと一緒に暮らしている飼い主さんが沢山います。
チャーリードッグスクールのお仲間さんにも沢山いらっしゃいますが、本当に真摯にワンコさん達と向き合って、良い時も悪い時もそれなりに受け止めて日々を乗り越えていかれる姿は私に勇気を与えてくれます。

先日の横浜座学では、そんな問題を抱えたワンコさんや飼い主さんに思いを馳せずにはいられないお話しがありました。

犬の成長過程についてはみなさん様々なところで勉強したり聞いたりしていらっしゃるかもしれません。生まれて2週間くらいまでが新生児期で、社会化期は4週齢から12週齢(もっと伸ばしても良いのでは?という新たな解釈もあるそうです。)、思春期はだいたい7から10ヶ月、もちろん小型犬・大型犬の差や個体差がある・・・などなど。ご存知の方も多いと思います。

ただ、その頃にその子犬達に必要なものは何か?というところを深く考えた事がある方はどのくらいいるでしょうか。

「一番対大切なのは母犬の状態なんですよね」

というチャーリーママさんの言葉が印象的でした。

私なりの解釈でお伝えすると、

仔犬たちは母犬から様々なことを学びます。なので、その母犬自身が欲求階層が満たされて精神的・肉体的に安定している必要があると思います。
安定した母犬から歯の使い方や噛み加減や、犬本来の犬同志の接し方を学ぶことができると思うからです。

母犬が特に好んで介入するのは生後2ヶ月くらいまでだというお話しがありました。それを過ぎると、今度は人間社会になじみにくくなると・・・。

そうであれば、子犬の頃から健全な母犬と過ごすことは勿論、母犬や子犬自身をサポート出来る、犬に信頼される人間の存在が子犬の健全な成長を助けるのではないでしょうか。

 

でも日本のほとんどの犬の現状はそうではありませんよね。
ペットショップの子犬達は、生後数週間で母犬、兄弟犬から離され、本来の犬としての教育を母犬から施されることもなく、兄弟犬たちと体当たりで遊び、その中で得られる刺激や体験から様々なルールや経験を学ぶこともできず、一人ぼっちまたは(正しい介入のない)子犬同士のみでショーケースに入れられてしまいます。
母犬との触れ合いの中で得られる教育や、安心感を伴った刺激のないところで、それとは別の自分ではどうすることも出来ない外からの刺激(・・逃げ場のないショーケースの中で人目にさらされる、寝ているところを無理やり抱っこされる、など。)の刺激にさらされたりします。

必要な刺激はないけれど、子犬を追い詰める刺激はある、というような中で、子犬の脳は正常に発達するでしょうか。感覚は正常に機能するでしょうか。

肌感覚妙に敏感だったり、音に過剰に反応したりなど、刺激を受け入れるキャパの狭さから来る犬自身が抱える問題 = 飼い主が抱える問題は、飼い主さんが犬を迎える前から始まっているかもしれないということですね。
更に、迎えられた家庭で敏感であることを(吠えが出やすいなど)を叱られたりしたら、犬達はますます混沌としてくると思うのです。

伴侶動物を取り巻く世界でも、動物愛護、動物福祉、という言葉は様々なところで使われています。
それを言うならば、私たちはもっと犬というものがどんな動物なのか勉強する必要があるのかもしれません。(犬にとっての福祉、愛護なのだから)そうすると、犬の問題は果たして犬だけの問題なのだろうか?私達人間が作り出しているのではないか?というところに行きつくはず・・・。

私も昔は知らなかったこと。でも今は知ったのだから・・だから私は勉強したことを少しでもこういうところでアウトプットして行きたいなと思っています。
そして問題を抱えていてもそれを楽しいことで上書きできれば犬との暮らしが好転していくこと、またそれが可能であることをもっともっとお伝えしていければいいなあ。可能であることはお仲間さんが証明してくれているのですから。
そして、そんなお仲間さん達のエネルギーに勇気を頂きながら、私も引き続き動物達の勉強を頑張って行きたいと思いました。

 


ネガティブな感情をほぐすもの ~横浜座学

2015-01-28 12:32:42 | 犬の勉強

1/20のチャーリードッグスクールの横浜座学の「犬を犬として愛する ~横浜座学」の続きです。

今回は予告通り”ゆるゆる”について書いてみたいと思います。^^;
この日の座学でチャーリーママさんが特に強調されていたことではないのですが、日頃から私が思っている事を書いてみます。


例によって写真は座学と関係ありません。^^; 雪が降った日に撮った写真♪


座学中、何回かチャーリーママさんの方から参加者のみなさんに向けて質問というか問いかけがあったりするのですが、それがこんな感じなんですね。

「犬の行動ってなんだと思いますか?」

しばし考える私達。

犬の行動・・・匂いを嗅ぐとか吠えるとか、犬だけじゃないけど食べるだって犬の行動だよね、、、と頭の中ではグルグルと色々考える訳です。
するとチャーリーママさんは

「犬の行動って、犬がする行動のことなんですけど」

って。( ̄∇ ̄;)確かに。

あとはこんなのもありました。

「犬に引っ張られながら歩いて行ってしまうのはどうしてだと思いますか?」

またもや考える私達。
脇が開いてしまって腕だけで止めようとするから力負けしてひっぱられていってしまうとか?

でもチャーリーママさんの応えは

「”歩いちゃうから”なんだと思うんですけど・・」

って。( ̄∇ ̄)


こういう時、私は心の中でドリフ並みにずっこけてます。(笑)

ここで
「何ふざけてんのよ!」
ってキリキリしてしまう人はもっと力を抜きましょう。( ̄∇ ̄)

こういう身体から力が抜けるような、そんなゆるさがないと動物って息苦しくなるんじゃないかな?と私は思うのです。(ゆるさはこういうことだけでなく、座学中いろんなところに散りばめられています。)
これはもちろん座学だけでなくお散歩トレーニングでもそうです。散トレではそれぞれの飼い主さんがそれぞれの学びの上で対処しながらその場にいるので、色々小さな間違いが起きたり(私もいつもやらかしましてすみません。^^;)、ワンコさんが吠えたりことがあります。
そんな時、

「がはははは!な~に吠えちゃって~~」

という様なゆるさがチャーリードッグスクールの散トレにはあります。
これってとっても大切なことなんですよね。なぜならそういうものって警戒心や深刻な雰囲気を一掃する力があるから。それ以上の警戒心を掻き立てたりするものではないからです。

そういう対応をされるとハっと我に返って「キョトン?」とするワンコさんなんかもいます。
それが狙いなわけで。
そしてこの「キョトン?」
を座学ではチャーリーママさんの前で私達飼い主がしてるんだろうな~( ̄∇ ̄)・・・なんてこの日感じたのでした。

(ちなみに、ここで吠えた犬や、近づけすぎた飼い主さんや、それを笑ってやり過ごしている私達にイラっとしてしまう人は、その”イラッ”が無くなる自分づくりをする必要があるかもしれません。)


こういうユーモアやゆるさって、自分に余裕とか自信とか、あとは自分が何をしているかわかっているという安定感がないとできないことだと思うんです。だからまずは自分。自分が安定しましょうね、ということになるのではないかなと。

”何をしているのか分かるほど落ち着いている自分”が犬や人を安定させる(=幸せ)ことができるんだろうな~・・・って。

でも安定させるというと、穏やかでいつも静かで、、、と考える方もいるかもしれませんがそれもまたそういう事ではなくて・・・。(と私は感じています。)
楽しい時は楽しめてはっちゃける時ははっちゃけて、でも自ら(犬だったら飼い主の手を借りてでも)興奮を鎮めることもできる、というのが安定というものではないかなと思っています。
その為には、飼い主さんがそういう存在であることが大切なんですよね。なぜなら感情の浸透性(『犬の心へまっしぐら』マーク・ベコフ)という現象があるから・・・。

犬の勉強がいつの間にか自分の勉強(自分が成長しなければいけないんだ)になっているのは、こういうことからだろうなと、いつも感じています。
書きながらまだまだ精進せねば~と思った私でした。^^;

 


犬を犬として愛する ~横浜座学

2015-01-22 16:55:38 | 犬の勉強

1/20、チャーリードッグスクールの横浜座学に参加させて頂きました。

今回のテーマは
『犬の言葉が聞こえますか?イヌという動物を考える。ブリーディングから成長過程、流通、社会化』
でした。

座学で思ったこと感じたこと教えて頂いたことを私なりの理解で書いて行きたいと思います。小分けになると思います。^^;


写真は座学と関係ありません。普段のルビーの姿をお楽しみください。^^;

セミナーの冒頭、チャーリーママさん からのお話し。

「犬を犬として愛してあげて下さいね」

という言葉から始まりました。

「はい!」

ってみんな思いますよね?

「わたしは自分の犬の事愛しています!本当に可愛くてかわいくて仕方がありません!」

って思うと思います。

私も思っています。

でもポイントは、

”愛する”

の前に

”犬として”

という言葉が入る事なんですよね。

では、犬を”犬として愛する”為にはどうしたら・・・?

そう。犬とはどんな動物か?という事について勉強しなければならないのですよね。

チャーリーママさんのお話しにもありましたが、例えば犬は汚い事が大好きです。( ̄∇ ̄)
ルビーも猫のウンチは大好きだし、干からびたミミズなんてスリスリしたくて仕方ないし、他の犬の排泄物の匂いだって確かめたい訳です。地面に落ちてるもの口に入れて確かめたりもします。

人間からしたら「うえ~~~・・・」となることが、犬だから当たり前の事なんですよね。^^;
これが犬達の普通の姿。だから上記の様なことを知ってもなお、犬を愛せますか?と。
私もルビーがフーラ(猫)のウンチを食べてしまった時
「こんものが好きなのか!」( ̄∇ ̄;)
と最初はビックリした記憶がありますがもう慣れました。^^;(慣れたというのは食べさせるという意味ではありません。)私も社会化されたってことですかね。^^;

それから、『支配性理論』(犬は人間のリーダーになろうとしている)が犬に当てはまらないことも、犬とは?を勉強していると知る事になります。

例えば、この理論から導き出される対応の仕方として
「犬に人の方が上だということをわからせないと」
と言って、吠えたらリードショックをしたり、大声で怒鳴ったり叩いたり・・という、犬に罰を与える方法がありますが、
”犬とは?”という行動学的な知識があったらこの方法を行うということはありえないのではないかな?と思いました。

なぜなら、犬はまず人間の上に立とうとして吠えているのではなく、何か別の理由があって吠えているはずだからです。
あちらに見えた犬を確認したいから呼んでみた^^;とか、
危険そうに感じたから警戒して吠えたとか、
ちょっと偉そうに歩いてたから注意してやったとか、^^;
「ただいまヤサグレ期です( ̄∇ ̄)」とか、
リードのテンションで吠えてしまったとか、色々・・・。

犬ってどんな時に吠えるのかという”犬とは?”という知識があれば、吠える犬に対して
「人の方が上だということをわからせないと」
なんていう考え方の上で罰を使う、という事にはならないはずだと思いますし、罰を与えること自体も間違った方法だということも分かってくるはずなんですよね。
罰は犬の警戒心を強め、最終的には咬みなどの行動に犬を駆り立ててしまう可能性や、飼い主との関係がこじれてしまう場合があるからです。一生一緒にいる飼い主との関係は心地よいものであるべきだと思いませんか?

そして難しいのが、自分は罰していないつもりでも犬からしたら罰せられていると感じる事も沢山あるということ。^^;
抱き上げ方ひとつとっても、自分が思いもよらないことが犬にとっての恐怖や痛みに繋がっているかもしれません。だからといって何をするにも恐る恐る・・・となると、今度はそれが怪しさ満載で犬は落ち着かなくなっていったりして。^^;
だから、どんなことが犬にとって罰と感じるのか(怖いと感じるのか)知る為にも”犬とは?”を増々勉強しなければならない訳です。

犬を愛していたら、犬を幸せにしたいと多くの人が思うと思います。
でも犬は
”犬とは?”
というところを理解された上で愛される事で幸せになるでしょうし、そんな幸せな犬といっしょに自分も幸せになれたら素敵ですよね。
犬と一緒に飼い主も幸せに・・・なれたらいいなあと思います。
その為に”犬とは?”を勉強して犬の脅威にならない(罰しない)、犬が好きな雰囲気の(穏やかでゆるゆる)、でも強さを兼ね備えた飼い主を目指したいな~と思いました。

長くなりそうなので”ゆるゆる”についてはまた次回書いてみたいと思います。^^;


カフェ「RAIN DOGS」さんでランチ♪

2015-01-18 09:28:27 | ルビーの日常

昨日は午前中「桜草公園」 にお散歩に行ってきました♪空気は冷たかったけど風があまりなくて助かった~。

この空の広さ。

夫がリードを持って私から離れて歩くと、遠くから私を見つけたルビーはほんのり嬉しそうに私の方に歩いてきます。
そして逆に私がリードを持って夫から離れて歩いていて、遠くに夫の姿を認めると、また嬉しそうに夫の方に駆け寄って行きます。

なんて愛らしいのだろう~。( ̄∇ ̄)

この前ここに来たのは去年の11月19日。
ルビーと2人で歩いていたらまだカマキリがいて、彼女が狩ったトンボを食べている音が私の耳に届いたのを思い出しました。もうみんないなくなっちゃったのだろうね。

のんびり歩いていたらお昼の時間が近づいて来たのでカフェ「RAIN DOGS」さんにランチを食べに行きました。

夫はタコライス、私はタイ風カレーを注文。

ピリッと辛くて美味しかった☆
実はグリーンカレーとか好きなんですよね。

ルビーは向かいにいたチワワさんに興味深々。

カフェマットに斜めに伏せながらシグナル出してましたよ♪

久々にのんびり過ごした休日でした~。


見送るということ

2015-01-16 10:32:38 | 諸々

今まで全員自分で看取ってきたから、もうあんな辛い思いをするのは嫌だから任せた、って。
まるで彼らを見送る作業をしたことが損だったような言い方。
その子(伴侶動物)が病気になった途端、自分は怖いから辛いから疲れるから関わりたくないという意思表示をする人が身近にいて本当にびっくりしてしまいます。

でももしこれを読んでいる人の中に上記の様な人がいたら、
「最期はなんとしても自分の腕の中で」
と、そう思える自分を育んでくれるような情報に日々触れる事ができますように。

最期の瞬間に立ち会う自分を支えるものはひとことで言えば”愛情”なのではないでしょうか。
だから日頃から愛情あふれる言葉かけ、態度で接することが出来る様に自分で自分を安定させることが大切なのだと思います。そういうものは相手だけでなく自分のことも支えてくれるものなのだと、フーラを旅立せる時に私は強く感じました。(フーラは2012年に旅立った私の猫です。)

じゃあ愛情ってなに?

暴力や支配、傲慢やもろさとは対局にあるものかなと思います。
そして相手を知ろうとする姿勢かな・・。

例えば犬は、理由があるから吠えるんですよね。
だからなぜ吠えているのか(咬むのか)、その理由を知る為には日々の観察や犬ってどんな生きものかを勉強する必要があると思いますし、そうしていく過程でなぜその子がそうだったのか分かれば(またはたとえ分からなくても、分かろうとすることで)、彼らの寛容さに気づく事になるでしょうし、すると増々その子を知りたい、わかりたい、、、そして愛しい。
そんな風に思える様になるはず・・。
本当にそう思えたら、その子の最期の瞬間を応援できることは感謝に値するとさえ感じる様になると思うのです。

彼らを見送ることに悲しみや寂しさがない訳ではなりません。(私は、ですけど。)
もうずっと会えなくなるということを知っている私には、悲しみを感じるなという方が無理で。
でも悲しみを感じることと、彼らの命を称える事、そして命の終わりを見守れる喜びとは別のもの。

CDSで犬のことを学んでいるうちにそんな風に思える様になりました。
犬の事を学んでいたけれどその学びは、フーラ(猫)を見送るときの(お互いの)支えになったのですね。だから命って根本的なものは一緒なのかなと思います。
1人で旅立つフーラを自分は応援できる、安心させることができる、そういう自信があの時の私を支えてくれたのだと思います。

だから、少しでも多くの人が愛情あふれる犬(猫)との暮らし方を知る事ができますようにと願っています。そして私もそんな発信ができるように、自分を磨いて行かなくては思っています!