「無言で犬と歩く」
を経験したと書きました。
あの経験が、後になってジワジワ来てます。
どうジワジワきているのか・・・。
その前に書いておかなくてはならないなと思っている事があります。
それはルビーと私のチャンネル作りの経緯なのですが、
私は初めてお散歩トレーニングに参加させて頂いた時に
「ルビーが立ち上がって足をかけたらくるっと後ろを向いてください」
と自己紹介の時にお話したのでした。
足をかけるのはどんな場合でもNGなのだと思い込んでいたからです。
つまりは、”お行儀の良い子”をつくりたい、という事だったのだと思います。
さらに、
楽しい気持ちが満ちてついついルビーが走り出すのを、
一生懸命木になって止めようとしていました。
「あれはだめ、これはダメ」の塊の様な人間だったのですね。
興奮しているのではなく楽しんでいるルビーに共感する余裕もない、
「NO」だらけの人間だったのです。
ルビーが人に興味を示して立ち上がり
なんの躊躇もなく足をかけてその人を確認しようとする
”人に社会化された”その素晴らしい資質や、
走り出すほど楽しいというポジティブな気持ちに共感する
(グッパーしながら一緒に走る、という選択をする)、
そういう姿勢が私には全くと言っていいほどありませんでした。
ルビーを迎えて一緒に生活をし始めて、
自分の対応や理解がまずかったにも関わらず
なぜだかルビーを叱っている(怒っている)自分がいて、
でも心の奥では
「ルビーは叱られる様な子ではない」
と感じていた。
でもどうして叱っているんだろうか?
もうね、クセになってしまっているんですね。^^;
「あれはダメ、これはダメ」
が。
これにはものすごく根深いものを感じています。
何かが違う・・・
私が求めている動物とのくつろいだ関係ってこういう感じではないはず。
うちにいた猫達とは全く違う対応をルビーに対してしている自分が嫌で嫌で、
ネットの中を彷徨いました。
辿りついたのがチャーリーママさんのブログ
でした。
「あれーーー??!!」
というのが第一印象で^^;、(巷にあふれている情報とはあまりにも違うものだったので)
でも「やっと見つけた・・・!」という喜びもあり、
時に笑い(笑い泣き)時に泣きながら(どっちにしろ泣いてるんですが)、
自分の中にあった間違った知識、感覚、思い込みを排除する努力をしながら
全ての記事を読みあげ、
そして意を決して秋ヶ瀬公園お散歩トレーニングに参加したのでした。
でも甘かった・・・。^^;
ブログを読ませて頂きながら
”自分の中にあった間違った知識、感覚、思い込みを排除した”
と思っていたけれど、実際にお散歩トレーニングに出ると
それが出来ていない事がわかりました。
そのくらい、長年培ってきた”自分”というものを崩すのは難しい事でした。
そういうところからのスタートでした。
で、ルビーを肯定し、共感し、私の近くにいると楽しい、を感じてもらう
為に、時に逃げながらも自分を変える努力をし^^;
自分を変えることと並行して、
ルビーと基礎トレをしたり(最初は意味もわからずやっていました^^;)、
チャーリーママさんのブログに書いてあることを自分なりに実践してみたりしていました。
この一連の行動がルビーとのチャンネル作りに繋がっていると思うのですが、
その中で、
『お散歩中、歩きながら少しでも飼い主の方を気にする素振りがあったら
「タンタンマーク♪」そしておやつ』
というのがありました。
「歩行にはおやつを極力つかわない」
とおっしゃるチャーリーママさんですが、
私達の様な普通の飼い主が犬にとって”良いもの”と条件付けられるように、
色々な方法を駆使して提示してくださいます。
これは、”飼い主さんのそばを歩いているとなんだか楽しい”
が条件付けられ、そのうちタンタン♪もおやつもいらなくなるのですが(と思ってますが^^;)、
ルビーもそうでした。
いつの間にか「タンタン♪」も「おやつ」もないのに凄く楽しそうに横を歩くようになりました。
なり・・・
ました。^^;
が!
これが私らしいというかなんというか
せっかくタンタン♪もおやつもいらなくなったのに、
ある日突然、
「またあれやってみたらどうなるのかな?」
なんて思いがフツフツと湧き、やりだしてみたところ・・・
ルビー、おやつを要求して時々立ち止まるようになりました。^^;
あたりまえですよね~。^^;;;;;
今日、丁度チャーリーママさんがツイッターでつぶやかれていましたが、
『過剰な報酬は犬の欲求を膨らませるかと思います。』
まさにこれですね。
で、この修正は
「タンタン♪+おやつ」の代わりに「そうそう♪」という
二次強化子として作り上げた言葉のみを使って
歩くようにしてみたところ、
おやつを要求して立ち止まる事がなくなりました。
そして立ち止まる事があったことを忘れてしまうほどの月日が流れ、
ほ~っと一息。
・・・だったのですが、
最近また立ち止まるようになったのですね。^^;
これにはもしかすると2つ理由がある気がしています。
一つはルビーの歩く姿に「そうそう♪」とか「凄いね~」という声を
かぶせすぎ(過干渉でた!^^;)、
せっかくいい気分で歩いてたのにウザかった。(かもしれない。^^;)
そしてもうひとつは、
多分拾い食いをしそうになっているルビーを
一旦止めてパー(グッパーですね)、
↓
するとこちらを振り向くので
↓
タンタン♪→少し歩いておやつ
というのをやりだしたのですが、
この一連の動作の「一旦止めて」のところからを
ルビーが先にやりだしたのです。(と思われます^^;)
つまり立ち止まる、ということ。
で、公園などのスペースのあるところではそのままリードを
伸ばしながら無反応を返しつつ歩いていくと
後を追ってくるのですが、街中など、
人や自転車の往来の多いところではどうしたものかと思いチャーリーママさんに伺ったところ、
やはり無反応を返す・・・
この場合はそのまま立ち止まって進行方向を向いたまま待つ、ですね
という助言を頂いたのです。
で、次の日からやってみました。
秋ヶ瀬で体験した「無言で歩き出す」から散歩をはじめましたが、
途中やっぱり立ち止まるルビー。
私の様子を伺っているのがわかります。^^;
どれだけ待ったらこちらに歩いてくるのかな~と思っていたら、
15秒位だったでしょうか、トコトコと私の横に戻ってきて歩き出しました。^^;
15秒位で良かった。私だったら多分15分くらいはがんばりそうです。^^;
その後も何度か立ち止まって同じことを繰り返しましたが、
その日はほとんど声もかけず(秋ヶ瀬でやったのと同じように)、
リードも張らせない様にし、
匂い嗅ぎは十分にさせてあげ、
嗅いだ後頭をあげたらまた歩き出す、
拾い食いしそうな匂い嗅ぎの時にのみ、
拾い食いになる前に「ルビー」と声をかけついてこさせ(とても反応が良かったです)、
その他はひたすら声かけなしで並んで歩いたり、
時々小走りになってリズムを与えたりしながら散歩してみたところ・・・。
一時間弱のお散歩の後半20分位は、
黙々と二人で同じ空気をまとって歩いているような一体感を味わうことができたのでした。
これって凄く幸せな時間&空間です。
ここはイギリスの森の中~・・・とか想像しながら(実際は埼玉の小さな公園^^;)
無心で、でも何とも言えない幸福感に包まれながら歩いていました。
ノーリードでのお散歩ってこんな感じかも!という感覚でした。
公園を出て街中に入っても同じ感覚は続いていました。
スーパーなどの広いガラスの壁面に映ったルビーと私の姿を横目で見てみると、、、
リラックスして楽しそうに、そして頻繁に私の顔を見上げる彼女の姿が見えました。
おやつも声かけもいらないんですね。
一緒に歩く、というその事自体で満たされる感じ。
「タンタンマーク♪+おやつ」を卒業し、
「そうそう♪という(二次強化子を使った)声かけ」を経て、
そして今はただ一緒に歩くだけで満足。
これがルビーと私が辿った道のりでした。(あくまでもルビーと私の場合です。)
歩行に関しては。^^;
それもまた安定していないですけど。
私が色々やらかすので。^^;
でも、
その時ルビーには何が必要で、何が必要でないかを見極められるように
(つまりは共感だと思うのですが)ならなくては!
そんなことを思った体験でした。
そして、そんな充実したお散歩をしていたら、
嬉しさ倍増してしまいました!
やはり「無反応を返す」からヒントを得たジーコタさんの記事です。↓
ジーコタさんが、ツイッターでこの幸せな感覚を
「お互いが満足しているから得られる感覚」
とおっしゃっていたけれど、本当にその通りだと思いました。
そういう感覚を感じ取れるところまでやっときた・・・
しかもオンリードのお散歩で・・・!
でもこれって、普段から行っている基礎トレなどで
ルビーとのチャンネル作りを並行して行っていなければ
多分味わえなかったものだと思っています。
そしてまだまだ私の普段からの接し方の中に、
共感や満たすという部分で足りていないものや、
もしくは干渉的なものが残っている可能性が多々ある、
という事は頭の隅においておかなくてはと思ってはいます。
またおかしな条件付けを私がしかねないという事もありますし。^^;
犬との生活って、自分を省みるチャンスをくれるものです。
自分のダメな部分と向き合う事が多いので辛い作業とも言えるのですが、
向き合って次どうするかで何か新しいものを得られたりするものですね。
犬を学ぶ”人”の為の学校。
そんな場所を見つける事ができて感謝しています。