ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

犬も猫もまずは好かれるところから

2014-11-29 17:41:59 | 犬の勉強

さっきチニタとネコジャラシで遊んでいたんですけど、
私はどうしたら彼が獲物に惹きつけられて、どうしたら彼が身体のバネを思う存分使って獲物をしとめられるかな、なんてことを考えながらネコジャラシを一生懸命動かしていました。彼がうちに来た頃は、出会いで追い詰めてしまったのもあって警戒心バリバリ、何かにじゃれるなんて余裕は一切ありませんでした。



それで思ったんですけど、人は猫と付き合うとき、一生懸命彼らと仲良くなろうとしたり好かれようとしたりします。警戒心の強い猫に対しては、彼らに好かれる為に声をかけないとか目を合わせないとか向こうから来てくれるのをとにかく待つとか、心を開いてくれる瞬間を気長に待ちながらなんとか仲良くなろうとします。もうホント、身をささげる思いで猫に尽くします。^^;(という人が猫好きさんには多いだろうと思われます。)

なのに犬はどうして”好かれようとする”ところをすっ飛ばして人間のいう事を聞かせることばかりに重点が置かれるのだろうか?

もちろん犬は人間のいう事を聞いてくれますし、犬が人間と共に共同作業をすることが好きな動物だとも感じていますが、嫌いな人とするより好きな人とする方が絶対に楽しいだろうし満たされると思います。
犬が自分の意思で動くことをほとんど許さなかったり、叱りや強制ばかり強いた関係での共同作業はやっぱり犬にとっても楽しくないだろうと思うのですよね。

種の違う生きものと生活するのだったら、まずは”好かれること”から始めないと・・・。
そうでないとお互い楽しくないし、好きな人が伝えようとしていることには、犬も喜んで耳を傾けようとするのではないでしょうか。犬は猫と違ってもともと社会的な動物であることで、人間から我慢ばかり強いられているのかもしれません。

まずは仲良くなった上で共同生活を送るようにしたら、今までと違う関係が見えてくるかもしれません。私もルビーとの関係はそこからやり直しました。そしてもっともっと彼女を満たせる自分になれるのではないかと模索しながら日々を過ごしています。


そんなことを、チニタと遊びながら、そして過去の自分とルビーとの関係を回想しながらふと考えたのでした。
本当はFBに投稿しようと思ったんですけど、せっかくなのでブログに出来るだけ書いて行きたいと思います。犬と猫、両方と生活して、勉強してみて今思うことです。


犬の嗅覚恐るべし( ̄∇ ̄)

2014-11-28 13:11:13 | 猫の勉強

多少バタバタしながらも、今日は午前中から少しゆったりと時間をとってお散歩してきました。



公園でノーズワーク。・・・やろうと思ったらタッパ忘れた。( ̄∇ ̄)
ジーウィーピークのトリーツを袋ごと持って来ていたので袋の口を開けて、それでやりました。

今丁度「犬から見た世界」の”嗅ぐ”という章を読んでいて、犬の嗅覚がどれだけ人間のそれと違うかということが書いてあります。
鼻の中に既にあった空気と、新たに入ってきた空気が交わらない様にすることができる(鼻の中で匂いをリフレッシュし続けている)とか、視覚・聴覚と違って嗅覚情報は大脳皮質に最速で届くだとか、犬の嗅覚情報には「時間」の情報が含まれるとか、”情動”をも嗅ぐことができるとか。
人間がどんなに五感をフルに使っても知りえない情報を、犬は”嗅ぐ”ことで知る事ができているんですよね。人間の能力が遠く及ばないものを犬は持っている、ということを本は教えてくれます。

犬は匂いの世界に生きているとよく言われますが、それを知ったからと言って、じゃあ具体的にどうすると彼らを喜ばしたり満たしたりできるのだろうか?って最近つくづく考えます。答えはでてないんですけどね。匂いって人間の目に見えないだけにとっても扱いづらいですしね。^^;

でも・・・

匂いの世界に生きる=匂いから情報を得ている。

そう考えた時、犬が他の犬の排泄の匂いを嗅ぎたい理由も、もっともっと広く知られるようになるといいなあ・・・なんてよく思います。
外で他の犬(動物)の排泄の匂いを嗅ぎ、また自分もそれを残すのは、犬が匂いから情報を得る社会的動物で在る以上、彼らの欲を満たす為に必要なことだと感じずにはいられません。日本の犬達はそういった基本的な事さえも許されない事が多いのではないかと感じるのです。
だからもっと土の在る場所が増えるといいな~なんて。
土の上であれば犬の尿はバクテリアがあっという間に分解してくれるとおっしゃる獣医師の先生もいましたし、そうであれば犬はそこで排泄することで社会欲が満たされ、また排泄物=汚いというイメージでしかない人間にとってもありがたい事でしょうしね。

土のある場所は人にとっても心地よいですよね。
その場所を犬も人も(もちろん他のいきものも)本当の意味で共有できればもっと暮らしやすいのではないかなあと思ったりするのでした。それはやっぱり私達人間側が変わるべきところなのではないかなあと感じています。
だからまず知る事、そして知ったら発信する事。そしてまずは自分が変わる事。それを地道に続けて行きたいなと思います。諦めずに、ですね。

 


犬達にとってのプレゼント

2014-11-05 19:43:25 | 犬の勉強

”散トレは犬達にとってのプレゼント”ってかつてどなたかがおっしゃっていましたが、本当にそうなんだろうなあと最近つくづく思うようになりました。
犬達にとってのプレゼントになるような場を人間が勉強して作り出す空間、とも言えるかもしれません。

ルビーが欲していること、これをやりたいとか、楽しいとか思う事をさせてあげられる場が散トレなんだろうなあって。

ルビーが欲している事・・・。
多分彼女は犬と歩くのがとても好きで、散トレの間同族達とひとつのパックになって散歩するのが凄く楽しいのだと思う。それは彼女の横を一緒に歩いていてその生き生きとした足取りと、ふわ~~とした表情や空気感からひしひしと伝わってきます。空気に漂い伝わってくる仲間達の匂いを感じながら、誰だれちゃんはちょっと疲れ気味かな?とか思ったりするんだろうか。^^;
そして以前チャーリーママさんのブログでも取り上げて頂きましたが、
ちょっと混乱したり緊張したりしている仲間達に向かって遠隔でカーミングシグナルをバンバンだして
「こうやって落ち着くのよ」
と伝えたい子。
相手を安定に導きたい、本当に穏やかな状態が好きな、優しい犬なのだと思う。

犬語が喋れて相手に通じる(他の犬や人間と犬語で会話できる)というのは、欲が満たされるというか、安心感というか、生得的に嬉しいことと同等の喜びがあるのではないだろうか、なんて感じています。

そんなルビーがやりたい事(=自らが出したくて出したシグナル)を更に私から褒められるのだから、自信がどんどんつくのではないだろうか。
彼女は興奮気味の相手がガンガンこちらに向かって来ようとすればサッと距離をとって後ろを見せたりする。そこでやっぱり私が凄いねえ(自分から距離をとれて凄いねえ)って褒めるのだからやっぱりこれも自信につながるのだろうなあ。

その上、公園内に散らばっている沢山の匂いを思う存分嗅いで、時には乾燥ミミズの香水を身にまとったりできるのだから、ルビーにとって楽しくない場の訳がありません。^^;

自分がしたいことができて、しかもそれを褒められて、これこそ”そのままの君でいいんだよ”だし、だからどんどん自信がついて、自信がつくとイライラや不安や恐怖に陥り難くなるだろうから安定してさらに犬としての表現がしやすくなって増々幸せ、みたいな感じになったらいいな。

叱らないということは、生きもの全てに共通した”自信をつけさせること”でもあるんだなあって、本当にそう思います。

散トレが犬達にとってのプレゼントの場(=飼い主さんへのプレゼントの場)であり続けられる様、ルビーに導かれながら進んで行きたいと思います。

明日は秋ヶ瀬散トレに参加します。チャーリーママさん、みなさん、宜しくお願い致します!(^-^)/