さっきチニタとネコジャラシで遊んでいたんですけど、
私はどうしたら彼が獲物に惹きつけられて、どうしたら彼が身体のバネを思う存分使って獲物をしとめられるかな、なんてことを考えながらネコジャラシを一生懸命動かしていました。彼がうちに来た頃は、出会いで追い詰めてしまったのもあって警戒心バリバリ、何かにじゃれるなんて余裕は一切ありませんでした。
それで思ったんですけど、人は猫と付き合うとき、一生懸命彼らと仲良くなろうとしたり好かれようとしたりします。警戒心の強い猫に対しては、彼らに好かれる為に声をかけないとか目を合わせないとか向こうから来てくれるのをとにかく待つとか、心を開いてくれる瞬間を気長に待ちながらなんとか仲良くなろうとします。もうホント、身をささげる思いで猫に尽くします。^^;(という人が猫好きさんには多いだろうと思われます。)
なのに犬はどうして”好かれようとする”ところをすっ飛ばして人間のいう事を聞かせることばかりに重点が置かれるのだろうか?
もちろん犬は人間のいう事を聞いてくれますし、犬が人間と共に共同作業をすることが好きな動物だとも感じていますが、嫌いな人とするより好きな人とする方が絶対に楽しいだろうし満たされると思います。
犬が自分の意思で動くことをほとんど許さなかったり、叱りや強制ばかり強いた関係での共同作業はやっぱり犬にとっても楽しくないだろうと思うのですよね。
種の違う生きものと生活するのだったら、まずは”好かれること”から始めないと・・・。
そうでないとお互い楽しくないし、好きな人が伝えようとしていることには、犬も喜んで耳を傾けようとするのではないでしょうか。犬は猫と違ってもともと社会的な動物であることで、人間から我慢ばかり強いられているのかもしれません。
まずは仲良くなった上で共同生活を送るようにしたら、今までと違う関係が見えてくるかもしれません。私もルビーとの関係はそこからやり直しました。そしてもっともっと彼女を満たせる自分になれるのではないかと模索しながら日々を過ごしています。
そんなことを、チニタと遊びながら、そして過去の自分とルビーとの関係を回想しながらふと考えたのでした。
本当はFBに投稿しようと思ったんですけど、せっかくなのでブログに出来るだけ書いて行きたいと思います。犬と猫、両方と生活して、勉強してみて今思うことです。