ヨーロッパのとある国では、
”犬を叱らないで育てる”って
当たり前なんだって
どなたかが言ってました。
ここでいう
「叱らない(罰しない)」っていうのは、
「NO!」とか「コラ!」とか大声で怒らない、
という事です。
安易に怒りを爆発させない、という事です。
さらに
リードショックや天罰法などで犬を怖がらせない、
飼い主に警戒心を抱かせない、
という事も含みます。(と思います。)
もっと深くなると「否定しない」という事に繋がっていくのですが。
「否定しない」っていうのは、
その子自身を、その子の存在を肯定する、とか、そういう意味です。
だからその子(犬)自身を肯定しつつ、
だからと言ってさせたい放題にさせるのではなく、
許可できない行動には「その行動は許可できないよ」を伝えます。
叱りなしで育てると、「その行動は許可できない」という飼い主の意図を
犬が汲んでくれるようになる・・・と思います。
飼い主は、
叱らないで良い環境を作り、
そして叱らない自分を作り、
また一方で、許可できない事に対しては叱りでない介入の仕方を学び、
犬に提案し、導きます。
そういう事をチャーリードッグスクールで学んでいます。
って、
違うんです。^^;
あっと言う間に話がそれてしまったけれど、
「叱らないで育てるのが当たり前」
について。
「叱らない」
「その子(犬)の存在自体を肯定する」とか、
「その子(犬)は自分とは別の、れっきとしたひとつの命なのだ(種の違いも含めて)」
ということとか・・・
それが当然の事である成熟した社会では、
犬と人がお互いを信頼し合うという事が
そう難しくはない事なのかもしれないなあと想像します。
また、そういう事を意識できる人々の作り上げる社会でこそ、
システムも正常に機能するのではないかなあとか、
そんな事を思います。
でも多分、日本はまだまだそうではないのですよね。
まず、「叱らない」という事自体が受け入れられない人が多いのではないかと思います。
だから、その「叱らない」という事が具体的にどういう事で
なぜ大切なのか、とか、
「その子自身を肯定する」とはどういうことなのか、
とか・・・
その辺の事を明確に捉えられるようになる為に、
また、いずれ人に説明できるようになる為に、
学習理論(主に『古典的条件付け』)を学んでいるんだなぁ、
と最近強く思うようになりました。
そうしていると、いつの間にか犬の事だけでなく、
自分はどんな人から学びたいのか、
また自分はどうなりたいのか。
そういう事まで考える様になるんですね。
犬(動物)が好きだから、犬にとって良い存在になりたい。
そう思うから頑張れます。
だから、「犬を育てる」って自分を育てる事だなって
つくづく思います。
「当たり前の事」って、
当たり前すぎて説明が難しいから、
そこを突破する為に
言ってみれば”当たり前の事”を”解剖”して、^^;
ここはこうでそこはそうで・・・・・
どう説明したらいいんだろう~??
みたいな事を最近やっているような気がしてきました。
えっと・・・・・
楽しいです!^^;
♪わんこさんぽ、一緒にしませんか?^^
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