ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

”叱らない”を目指す理由

2014-09-17 10:35:31 | 犬の勉強

私は2010年からずっとチャーリードッグスクールで「叱らない姿勢」を大切にしながら犬の社会化の勉強を続けてきました。

2008年にルビーを迎えた当初、新しい環境に戸惑って後追いしたり、留守番中ずっと吠え続けたりする彼女を見て、私はいつもピリピリしていたし、彼女をいつも監視し(囲い込み)口うるさく叱ってもいました。
そんな生活がちっとも楽しくなくて、これは何かがおかしい・・・犬との生活ってこんなギスギスしたものではないはず。
そう思いました。
どうして私はこんなにピリピリしているんだろう?
私の前でどんより沈んでいるルビーの姿を見てはたと、自分が間違っている事に気づきました。
気付いたけれど・・・何をどう直せばいいのかわからなかったので、ネットを検索してチャーリーママさんのブログに行きつきました。
それが2009年の夏ごろだったと思います。
その時から”叱る”という姿勢を自分の中から追い出す作業が始まりました。

人間が犬を叱る時、その叱りの形はほとんどの場合「こら!」って大声で言ったり、叩いたりなどの人間仕様の叱りだと思います。
叱りというより怒りやイライラをぶつけているだけ、というのも往々にしてあると思います。
これらは基本的には犬を怖がらせたりびっくりさせて脅えさせたりするものだと思いますし、叱りがそういうものだと意識できていないと、犬が犬として当たり前にとった行動に対しても叱るという、コミュニケーションの行き違いが生まれる可能性が大きいということも知りました。

例えば人が来たことをお知らせする為に吠えたり、
もしくは人間側の管理がまずくていたずらしたり(=犬は悪くない)、
疾病が原因の吠え、噛みなどを叱ったら・・・?
犬は混乱するでしょうし、混乱は不安を招くかもしれません。
不安感の強い犬は警戒心も高まると思うので、より吠えやすくなったりなどの副作用も考えられます。
それにそんな訳のわからないことをする人を心から信用できないのではなかな・・?とか。

その上”叱り”はエスカレートしやすいです。
最初軽く「こら!」だけだったものが、それが効かないと思うともっと大声で脅したり、さらには叩いたりリードショックしたり。
犬が心身ともに傷つくような方法は、動物福祉の観点から見てもNGなのではないでしょうか。

ある程度叱っても平気な犬はいることや、暮らしにさほど影響のない場合もあることは私も勉強しながら知るようになりました。
が、ほんの些細な叱りや、他犬が叱られているのを見ただけでも壊れてしまうようなナイーブな犬がいることも事実です。
そういう子のことを考えたら、犬に関わる全ての人が協力して、叱らない方法へ向かって進むべきなのではないだろうか。
そんな風に思うようになりました。

犬が人間社会の中で生きて行くにあたって、人にとって不都合な行動をしないで済むように教えていくことは大切だと思いますが、それを”叱らずに教えていく”ことは同じ様に大切で、犬との暮らしを豊かなものにしてくれると感じています。

叱らない安定した自分をつくること。
これが強い優しさであり、そういうものを犬は(生きものは)大好きで、そしてそれは飼い主と犬両方の心を育むものだと感じています。そしてそうやって育んできた温かいものは、私達が彼らを見送ったあとも自分の中に残り、その後の生活をずっと励まし続けてくれるものだと信じています。

 


自分で考えるトレーニング

2014-09-10 12:21:30 | 犬の勉強

チャーリードッグスクールのトレーニングは、飼い主のトレーニングです。

私的には
”飼い主自身が考える力をつける為のトレーニングだな~”
と日々思いながら過ごしています。

考えるけれど・・・
答えはそう簡単に出る訳ではありません。^^;

 

飼い主は考えて行動して、そしてまた考えて行動して・・・。
(助言を求められる人がいるなら、考えて助言を求めて、また考えてそして行動して。)

時々間違えたりするけれど、それを笑って乗り越える大らかさがあれば、犬も飼い主も必要以上にダメージを受ける事なくなんとなくその時その時を乗り越えていけるのではないだろうか。
そんな大らかさの中でこそ”自分で考える”という事や”自分で気づく”という事ができ、それは自分の否を認め改められる、というところに繋がって行くのだと思う。
自分で考えて導き出した答えだからこそ、受け止めて、更に前進して行くことができるのではないだろうか。

最初から全てを知っている人はいない。
(というか、世の中に全てを知っている人はいない。)

何もかがもうまく行かなくて、トライ&エラーを繰り返す自分を頭ごなしに否定せず応援してくれる人に、人は助言を求めたくなるのではないかなあ。

頑なになった心をほぐすものは何か。
ほぐされた心が感じるものは?

そこが”自分で考えることができる”ということの始まりかもしれません。


動物先進国と日本

2014-09-06 22:27:38 | 犬の勉強

去年と今年と、様々なセミナーでヨーロッパ(特にDog Actuallyでおなじみのデンマークのヴィベケ・リーセ先生や、スウェーデンの藤田りか子先生)のお話を伺うチャンスがあって、とてもエキサイティングだったと共に、また日本との犬事情の違いに愕然とする部分が正直ありました。


ルビーと私のお気に入りの散歩コース♪

特に藤田りか子先生の講義で伺う倫理観の高いスウェーデンの犬事情は、日本に住む私から見ると別世界の様に感じてしまいます。

日本の家庭に迎えられる犬達の多くは、幼齢期を健全な環境で過ごしてきていません。
ほとんどの犬達がペットショップを経由して家庭に入るからです。

ペットショップに陳列(という言葉は嫌だけれど)されるまでに卸しを経由し・・・ということを考えると、生後数週間で親元から離されているはずです。
生後数週間・・・まだまだ母犬や兄弟犬の温もりや教育が必要な時期だと思いますが、そんな子犬達が母犬から離されショップに陳列され、ガラス越しに人目にさらされるわけです。

このことは、犬達の精神の安定や健全な成長の妨げにはならないだろうか。

ペットショップでの生活空間は果たして犬の習性にかなったものかな?
頼れる存在を失った子犬が人の視線をよける事もできない状況は恐怖ではないだろうか。
トイレが寝床のすぐ近くで、犬の本能とはかけ離れた生活を強いられたりしてはいないか。
思う存分お腹いっぱいご飯が食べられているかな?


匂い取り中♪


世の中にはペットショップに卸す子犬を産むためにだけ存在し、汚れたケージの中でネグレクト状態で生かされている犬もいます。
8終齢経過していない子犬はペットショップで販売できないことになりましたが(8終齢規制)、
もしその期間そんなネグレクト状態の母犬と一緒にいたとしても、狭いケージの中で糞尿まみれの生活を強いられるのであれば、健全な精神が育まれるはずもありません。

成熟した健全な親犬の元で子犬が得られるはずだったものを、日本では飼い主が母犬の代わりになって与えてあげなくてはならない現状があるのですよね。

だから犬が家庭に入る時、その犬達の状態が日本とヨーロッパでは違いすぎるのではないだろうか。
そう感じずにはいられないのです。
(これは勿論犬が悪い訳ではありません。)

チャーリードッグスクール夏目真利子先生の著書「私は社会化のドッグトレーナー もう、バカ犬なんて言わせない」にはこんなくだりがあります。

『深刻な咬み付きの場合、第一は犬の心のリハビリを考えましょう。
これは叱らない、飼い主さんが安心できる存在でいる、しっかりくつろげる飼育環境を見直す。
まずこれをお願いしたいです』
(p.35)

心のリハビリ・・・。
咬みの問題がなくても家庭に迎えられる全ての犬に必要なことだと思います。
保護犬などはもちろんのこと、ペットショップなどを経由してきた犬達は特に必要な気がしています。
まずはここ。これを抜かしてしまっては何も始まらない。そんな風に感じます。
(だから”古典的条件づけ重視のトレーニング”が重要になってくるのだと思っています。)

 

* * * * *

 

今日チャーリーママさんがシェアして下さっていたサイトを私もリンクします。
オランダの犬事情についての記事です。

『動物先進国と日本 一人ひとりの意識の違い』
http://bullio.jp/tsunagu/column/column1a.html#para1

この記事を読みながら、犬や猫を商品として陳列して販売することに疑問を感じる人間がもっと増えなければ、その先に望まれるアニマルポリスも、殺処分ゼロの保護施設もペットと一緒に入居できる老人ホームも、健全に機能しないのではないだろうか。
そんな風に思いました。
形だけ真似すると、必ずどこかに歪みが生まれてくると思います。
もっと根本的なもの。命に対する意識が変わって行くことがこれからの私達の社会に望まれることなのではないでしょうか。

 


※参考記事
「完全ブリーディングコントロールで犬の殺処分ゼロへ!」セミナー感想
http://blog.goo.ne.jp/kaedekko/e/7b009f8c9af4249be760d84646225ec1


犬の学びは人の学び

2014-09-03 15:31:33 | 犬の勉強

最近FBへの投稿ばかりになってしまって、ブログにアップする事が減ってしまい・・^^;
座学記事などもまだアップしていないものがあるのですが、
もしかしたらFBに投稿するような呟きに近い事もこちらへアップすればいいのでは?って思って今日はこちらへ。

「犬の事を学んでいたら、どんどん自分のこと(人間のこと)が見えてくるようになった」

チャーリードッグスクールのお仲間さんと話していてよく出てくる言葉です。

社会性の高い”犬”という命と向き合っているからこそ見えてくるものなのかもしれません。

他人と自分を比べてそこに優劣の差を見出してばかりいないだろうか。
そういうものを犬にもあてはめていないかな。
結果ばかりを追い求めて過程を大切にすることを忘れていないだろうか?

”出来る事が偉い”とか”出来ることを妬む”という感覚の裏には”出来ないことを蔑む””出来ないことが許せない”という姿勢がないだろうか。

本当は、出来る事が偉いのではなく、より良い方向へ進んで行こう、そういうものを掴みとろうとする姿勢が尊いのであって、そういうものを慮ることこそが生きものにとっての喜びなのではないだろうか。

結果ではなく過程を尊ぶ、喜ぶという姿勢は、自分のことも周りの事も幸せにすると思います。
私がCDSで実感してきたことの一つです。