私は2010年からずっとチャーリードッグスクールで「叱らない姿勢」を大切にしながら犬の社会化の勉強を続けてきました。
2008年にルビーを迎えた当初、新しい環境に戸惑って後追いしたり、留守番中ずっと吠え続けたりする彼女を見て、私はいつもピリピリしていたし、彼女をいつも監視し(囲い込み)口うるさく叱ってもいました。
そんな生活がちっとも楽しくなくて、これは何かがおかしい・・・犬との生活ってこんなギスギスしたものではないはず。
そう思いました。
どうして私はこんなにピリピリしているんだろう?
私の前でどんより沈んでいるルビーの姿を見てはたと、自分が間違っている事に気づきました。
気付いたけれど・・・何をどう直せばいいのかわからなかったので、ネットを検索してチャーリーママさんのブログに行きつきました。
それが2009年の夏ごろだったと思います。
その時から”叱る”という姿勢を自分の中から追い出す作業が始まりました。
人間が犬を叱る時、その叱りの形はほとんどの場合「こら!」って大声で言ったり、叩いたりなどの人間仕様の叱りだと思います。
叱りというより怒りやイライラをぶつけているだけ、というのも往々にしてあると思います。
これらは基本的には犬を怖がらせたりびっくりさせて脅えさせたりするものだと思いますし、叱りがそういうものだと意識できていないと、犬が犬として当たり前にとった行動に対しても叱るという、コミュニケーションの行き違いが生まれる可能性が大きいということも知りました。
例えば人が来たことをお知らせする為に吠えたり、
もしくは人間側の管理がまずくていたずらしたり(=犬は悪くない)、
疾病が原因の吠え、噛みなどを叱ったら・・・?
犬は混乱するでしょうし、混乱は不安を招くかもしれません。
不安感の強い犬は警戒心も高まると思うので、より吠えやすくなったりなどの副作用も考えられます。
それにそんな訳のわからないことをする人を心から信用できないのではなかな・・?とか。
その上”叱り”はエスカレートしやすいです。
最初軽く「こら!」だけだったものが、それが効かないと思うともっと大声で脅したり、さらには叩いたりリードショックしたり。
犬が心身ともに傷つくような方法は、動物福祉の観点から見てもNGなのではないでしょうか。
ある程度叱っても平気な犬はいることや、暮らしにさほど影響のない場合もあることは私も勉強しながら知るようになりました。
が、ほんの些細な叱りや、他犬が叱られているのを見ただけでも壊れてしまうようなナイーブな犬がいることも事実です。
そういう子のことを考えたら、犬に関わる全ての人が協力して、叱らない方法へ向かって進むべきなのではないだろうか。
そんな風に思うようになりました。
犬が人間社会の中で生きて行くにあたって、人にとって不都合な行動をしないで済むように教えていくことは大切だと思いますが、それを”叱らずに教えていく”ことは同じ様に大切で、犬との暮らしを豊かなものにしてくれると感じています。
叱らない安定した自分をつくること。
これが強い優しさであり、そういうものを犬は(生きものは)大好きで、そしてそれは飼い主と犬両方の心を育むものだと感じています。そしてそうやって育んできた温かいものは、私達が彼らを見送ったあとも自分の中に残り、その後の生活をずっと励まし続けてくれるものだと信じています。