昨日はチャーリードッグスクールの横浜座学に参加させて頂きました。
先生はチャーリーママさんです。
テーマは「吠えについて」でした。
が、その吠えについて(また吠えの対処について)学ぶ時に必要な基礎的な知識はいつも一緒で、「古典的条件づけ」について理解していると座学内容もとてもわかりやすいのではないかなと思います。
で、昨日の座学で印象的だったことを書きたいと思います。
■ボディーランゲージとスペースの概念
「吠え」や「攻撃性」がテーマの時、必ず「犬のスペースについての概念」を一緒に学びます。
最初の頃は、どうして「吠え」についての勉強なのに「スペース」の話しがでてくるのかな~と思いました。(呑気ですみません。^^;)
でもわかってくるとこれってとっても重要な事なんですよね。(今さらな感じですが。^^;)
なぜ重要なのかというと、犬はスペースに関してとても敏感な動物なのだそうで、例えば犬と犬が出会った時、お互いの距離(スペース)が近すぎると、犬達は距離を取りたいということをボディランゲージで表すからです。(具体的には後ろを向いて関わりたくないという意思を示したり、そこに居ないかのようにふるまったり、かな?と理解していますが、これはまたチャーリーママさんに確認したいと思います。)
で、どちらかの犬にそういうそぶりが見えたらそれ以上無理して近づけない、距離を保ってあげる、ということが飼い主として出来る訳です。
つまり、ボディランゲージから、「あ、距離が必要なんだな」という事がわかるようになってくる、という事ですね。
と、書きつつも・・・
散トレの時私それを意識できているかというと、まだまだな自分がいます。
視野を広く持って、お仲間さんのワンコさんがどんな言葉(ボディランゲージ)で話しをしているか、ちゃんと見られる様にしたいなと改めて思いました。
吠えと距離の概念についてのお話しの中で一番印象的だった言葉が
”吠えるんじゃなくて距離をとるということを教えてあげる”
というものでした。
その為にはやっぱり人間側が犬のボディランゲージに気づいて、吠えなくて良い距離を保ちながらお散歩したり、散トレに参加したり、という事が大切になってくるんですよね。
■吠えには応えてあげないとコミュニケーションが成立しない
”無駄吠えには無視を”というのが世間一般的なセオリーだと思いますが、
犬の吠えには理由がありますよね。その理由のことを座学では”吠えの機能(原因)”とおっしゃっていました。
そして、吠えもボディランゲージの一つだ、ということ。
だから犬的には”無駄吠え”というのはなくて、何か伝えたくて吠えている訳です。
ということは、吠えには応えてあげないと、犬の中の気持ちがいつまで経ってもおさまらないという事になりますよね。
確かに、意識がはっきりしている上での吠えには伝わっていることを示してあげないと、「なんで聞こえないの?なんでわからないの?!」と犬の中ではもっと吠えなきゃ!という事にもなりかねません、そしてそれを更に無視されていたら、いつまで経っても飼い主さんとのコミュニケーションが成立しませんよね。
吠えは吠えでも、情動行動的な吠え(意識がどっかいっちゃってる吠え)に関しては、応えるというよりも止めてあげないと体に負担がかかってしまうので、そういう意味でも吠えに対しては無視(何もしない)というのは違うのだろうなと思いました。
この無駄吠えの”無駄”ってどこから来てるんだ?^^;という話しになったのですが、
私的には「人間からすると吠えてる意味が分からないから
<意味もなくただ吠えているから”無駄吠え”>と表現しているのかな~なんて思っていましたが、どうなんでしょうか。^^;
■いさめる事のできる強さ
犬達が人間社会の中で心地よく安全に生きて行く為には、飼い主が絶対的なアンカー(チャーリーママさん用語では心の港、でしょうか)である事と同時に、相応しくない行動をいさめることの出来る強い人でなければならない。
というお話しもありました。
強く優しい人であれ、とチャーリーママさんはよくおっしゃいますが、優しくある為には強くなくてはなりませんもんね。
■在り方で導く
昨日はCDSのお仲間さんの歩行動画を見せて頂きました。
散トレに初めて参加された時の動画と、3回目(だったかな?)の参加の動画を見せて頂いたのですが、飼い主さんとワンコさんの様子が初参加の時からはガラッと変わっていて(もちろん良い方向に、です)、飼い主さんの強い決意が感じられて眩しかったのです。
お仲間さんの在り方で自分はこんなにも勇気付けられるんだなって思ったのでした。多分犬も同じなんでないかなあ。いや、犬は言葉を持たない上に鼻がいいから、もっともっと人間側の在り方というものに敏感なのかもしれませんね。
また色々な動画を見ていると、
人間との間にコミュニケーション上の齟齬を抱えながらも、大きくは壊れることなく生きて行く犬達が沢山いるであろう現実を知ってしまうと、彼らの忍耐や寛容、懐の深さに呆然としてしまう自分がいます。
小さなことにくよくよせず(小さなことではないのではないか?と思える様な事もあるにもかかわらず)、とりあえず争わない姿勢でシグナルを出しあい、一方楽しい嬉しいという事には純粋に感応しながらその時々を生きる命の強さに、尊敬の念でいっぱいになります。
また、犬語が少しでもわかるようになってくると、
あれれれれ?私今まで自分の犬の何を見てきたんだろう?^^;犬からしたらちゃらんぽらんな飼い主に見えていただろな。^^;;;
というような、犬の気持ちを想うと何とも言えない切なさが込み上げてくる事があります。
そして、犬達が一生懸命人間に向かって
「落ち着け~( ̄∇ ̄)」と・・・
あ、じゃなくて、^^;
「落ち着いて。それ居心地悪いんだけど。争いたくはありません」
と言っているのがわかってきます。
よく考えてみるとこれもまた、在り方で導く、という事だなあと。
平和に暮らす事を犬達に教わっているんですよね。人間である私達が。
* * * * * * *
実際の座学では、距離の概念をもっと詳しく教えて頂いたり、動物の欲求階層についてや、まだまだ確立されていない”吠えの分類”について勉強したり「古典的条件づけ」やハズバンダリートレーニングについて復習したり、、、もっともっと様々なことを勉強しています。参加者のみなさんの質問に対するチャーリーママさんの答え(応え)もとっても勉強になります。
そして私の思考も四方八方に広がって、^^;ところ構わずインプットした情報を頭の中で整理するのが本当に大変。
でもいつか整理出来た時、また一歩、犬の気持ち、飼い主さんの気持ちに寄り添うことが出来る様になるのかな・・・。
それを自分でも楽しみに、少しずつでもがんばっていきたいなと思いました。
チャーリーママさん、ご一緒したみなさま、有意義な時間をありがとうございました!
最後に、FBの方にアップした記事も記しておきますね。
昨日の座学で思った事。(なるべく難しい言葉を使わないで表現してみようと思います。^^;)
犬と向き合う時に大切なことは、まずは彼らに受け入れられる存在になること。 これはCDSの生徒さんなら当たり前の事になっているかもしれませんが、でもふと自分を顧みたときに、本当にそういう存在になれているかな?なんて思う事があります。 また、一歩外へ出てみると、この一番大切な部分を意識している犬飼いさんや専門家の方が自分の周りにどれだけいるだろうか?
自分は今まで犬との間に、問題という問題も抱えたことはないから犬に受け入れてもらっていると思う人は結構いるかもしれないけれど、本当にそうだろうか?(自戒を込めて)
犬のボディランゲージを真似して彼らとコミュニケーションをとっている人が日本にどれだけいるかなあ?なんて。
犬達に「この人わかってくれてる!頼りにできる!」と思われる存在になる為には、 まず彼らにとって危険ではない存在であること(犬に脅威を与えない) そして、彼らの気持ちに応える事・・・つまり彼らの言葉であるボディランゲージを読んで応えること。 更に自分も彼らのランゲージを使って”友”であること(友になりたいこと^^;)を伝える事。 そして欠かせないのは、強い人(=優しい人)であること、なんだなあと思いました。
チャーリーママさんは散トレ中、器の大きいオス犬(つまりはポリスマン?)のボディランゲージや行動をまねさせてもらっている、とおっしゃっていました。 なんとな~くチャーリー組さんのワンコさんの中ではあの子かな?というのが浮かびます。
散トレ中のチャーリーママさんはスッと姿勢よく立って、大声で話さない。おどけたりすることはあっても(ユーモア)、高い声も出さないし何かあっても慌てたり走ったりすることも絶対にない。 多分何か起こりそうな気配を感じると、そのワンコさんの中にスーッと入って行ってインターセプトをしてたり、まばたきや体の向きを変えたりなどのシグナルで犬と会話していらっしゃるのかなと思います。 でもその様子を端から見ると、ただ姿勢よく歩いて(または佇んで)いるようにしか見えないのですよねきっと。
そうやって、人間目線では何をしているのかわからない、ただ歩いているだけにしか見えないような雰囲気で、犬語を使ってあの場を制していらっしゃるのだろうな~と思いました。
そして昨日も見せて頂いた、レスキューされたワンコさんの動画。 いつも泣けてしまって仕方がないのですが ”ある一瞬で「この人!」と思ってもらえるような存在になるにはどうしたらいいのだろう?” という視点で見ていると泣かずにすみます。^^;
ああいう存在に・・・なりたいな~ヽ(;▽;)ノ
「この人!」と思ってもらえるような存在になるには・・・? ”犬”に何かをさせるという視点ではなく、”人”が犬にとってどう在るか?
そういう観点からの学びがもっともっと一般的になるといいなと思いました。それはきっと犬にとっても人にとっても喜びをもたらす学びであると思うからです。 そして私はそれを体現できるようにさらに頑張りたい!そんな事を思った座学でした。 |