ルビーとフーラは犬と猫

愛犬ルビーと愛猫チニタ。罰や「NO!(ダメ)」を一切使わず彼らと楽しく暮らす為の勉強をしています。

新しいブログ始めました

2015-04-06 14:43:29 | 諸々

新しいブログ始めました。
犬についての学びや、それに付随した私とルビーの経験、考察などはこちら↓に書いて行きたいと思います。

「犬といつでもいつまでも」
http://inutoitsumademo.seesaa.net/

ルビーやチニタとの日常はこのブログ(「ルビーとフーラは犬と猫」)で綴って行きますので、引き続きよろしくおねがいいたします♪


見送るということ

2015-01-16 10:32:38 | 諸々

今まで全員自分で看取ってきたから、もうあんな辛い思いをするのは嫌だから任せた、って。
まるで彼らを見送る作業をしたことが損だったような言い方。
その子(伴侶動物)が病気になった途端、自分は怖いから辛いから疲れるから関わりたくないという意思表示をする人が身近にいて本当にびっくりしてしまいます。

でももしこれを読んでいる人の中に上記の様な人がいたら、
「最期はなんとしても自分の腕の中で」
と、そう思える自分を育んでくれるような情報に日々触れる事ができますように。

最期の瞬間に立ち会う自分を支えるものはひとことで言えば”愛情”なのではないでしょうか。
だから日頃から愛情あふれる言葉かけ、態度で接することが出来る様に自分で自分を安定させることが大切なのだと思います。そういうものは相手だけでなく自分のことも支えてくれるものなのだと、フーラを旅立せる時に私は強く感じました。(フーラは2012年に旅立った私の猫です。)

じゃあ愛情ってなに?

暴力や支配、傲慢やもろさとは対局にあるものかなと思います。
そして相手を知ろうとする姿勢かな・・。

例えば犬は、理由があるから吠えるんですよね。
だからなぜ吠えているのか(咬むのか)、その理由を知る為には日々の観察や犬ってどんな生きものかを勉強する必要があると思いますし、そうしていく過程でなぜその子がそうだったのか分かれば(またはたとえ分からなくても、分かろうとすることで)、彼らの寛容さに気づく事になるでしょうし、すると増々その子を知りたい、わかりたい、、、そして愛しい。
そんな風に思える様になるはず・・。
本当にそう思えたら、その子の最期の瞬間を応援できることは感謝に値するとさえ感じる様になると思うのです。

彼らを見送ることに悲しみや寂しさがない訳ではなりません。(私は、ですけど。)
もうずっと会えなくなるということを知っている私には、悲しみを感じるなという方が無理で。
でも悲しみを感じることと、彼らの命を称える事、そして命の終わりを見守れる喜びとは別のもの。

CDSで犬のことを学んでいるうちにそんな風に思える様になりました。
犬の事を学んでいたけれどその学びは、フーラ(猫)を見送るときの(お互いの)支えになったのですね。だから命って根本的なものは一緒なのかなと思います。
1人で旅立つフーラを自分は応援できる、安心させることができる、そういう自信があの時の私を支えてくれたのだと思います。

だから、少しでも多くの人が愛情あふれる犬(猫)との暮らし方を知る事ができますようにと願っています。そして私もそんな発信ができるように、自分を磨いて行かなくては思っています!


沢山の人が大切にされますように

2015-01-05 18:34:29 | 諸々

2015年がやって参りました。もう5日過ぎちゃったけど。^^;

ルビーとの生活も今年の夏で丸7年になります。 ああ・・もう7年も経ってしまうんだと思うとなんとも言えない気持ちが湧き上がってきます。

2008年にルビーを迎え、留守番吠えに悩み、部屋中におしっこされては悩み、それを叱っているうちに(今だったら勿論叱りません。^^;)散歩や一緒にいることさえ楽しくなくなり、、、。 でも犬との生活ってこういう感じではないはず、何かが間違っているに違いない。そう思ってネットをさまよっているうちにチャーリーママさんのブログに出会ったのでした。そして私は救われたのでした。

私達を救ったものは一体何だったのか?

それはやっぱり”命を大切にしたい”という想いの籠った温かくも厳しい^^;言葉達でした。
そんな風に、自分も大切にされたかったし、それに私自身も本当はルビーを大切にしたいと思っていたからです。 そして、どうしたらそれが出来る様になるのかわからなかったからそれを知りたいと思って散トレに参加しはじめたのでした。
だけど・・・
最初の頃は辛かった~。^^;
自分の中に直さなくちゃならないものが沢山ある事に気がついて、頭の中グワングワン^^;してました。

だけど、間違いだらけの自分だけれど、それでも散トレや座学など学びの場には笑顔は溢れているし、お互いがお互いを大切にしていることが感じられる空間でした。だから通い続ける事ができたんですよね。

 『子供の「脳」は肌にある』という本に

「思いやり」はまず自分が十分に思いやられたという経験を通してしか身に付かない。

というような事が書いてあったのですが、まさにそんな感じです。
大切にされた私だから、今度はルビーのことも大切にできるようになった(またその過程にいる)、そう感じています。 なぜそういう事が起こるのか、という事はここには書かないでおきます。^^;体験してみたい方はぜひブログを読んで座学、そして散トレへ。^^;(宣伝?^^;;;)

そうは言っても、私には今でも修正すべきところ、できないこと、知らない事が沢山あることを知っています。でも、だからこそ学ぶんですもんね。
ルビーを大切にする為には”犬とは?”をもっと学ぶ必要があると感じています。人としての学びもまだまだ~。

それにしても、小さい頃は苦しかったり辛かったりしないと何かをやったという気持ちがしなかったけれど、楽しく学ぶということを教えてくれたのは犬の世界だったなあ。 でも本当は、小さい頃から好きだったものには色々学ばせてもらっていたんだなという事にも気づけました。心から感謝してます。
彼ら生きものに、犬や猫に、そして大切な人達の為に何かできたらいいな。そんな心持ちで今年も歩んで行きたいと思います。

2015年もどうぞよろしくお願い致します!

 あ、『子供の「脳」は肌にある 』はとってもおススメ本です。問題を抱えている犬達にも通じる部分があるんじゃないかなと思うことや、CDSで勉強した事と繋がる事が沢山詰まってます♪


埼玉県動物指導センターを見学会

2014-06-14 09:58:17 | 諸々

昨日13日(金)、埼玉県動物指導センターに見学に行ってきました。
彩の国愛護推進員としても、またいち飼い主としても一度は見学させて頂きたいと思っていた地元のセンターです。
職員さん、お忙しい中貴重なお時間を割いて下さってありがとうございました。


見学会後、みんなで食べたランチ♪

今まで神奈川県、茨城県、そして東京の動物指導センター(名称はそれぞれ少しずつ違います)の見学会に参加させて頂きましたが、自分が住む地域のセンターを見学させて頂くのは今回が初めてでした。

業務の説明をして下さった職員の方の様子からは、動物達にとても愛情を注いでらっしゃることが伝わってきました。
レクチャーの中でおっしゃっていましたが、やはり埼玉県も他県と同様猫の殺処分数(特に仔猫の持ち込み)がなかなか減らないということ。職員の方もそこがお悩みの様でした。

生きている動物を処分して下さいと他人に頼む行為・・・。
そういうものがどこから発現してくるのだろうかと考えると途方にくれそうになりますが、途方にくれても仕方がありません。人に言われて正せる、というものでないと思うので、まずは届く人に届くように発信すること、そうやって地道に環境を変えていくこと、そして見て納得して頂ける自分をつくることをがんばらなければと思いました。

職員の方のお話しからは、持ち込まれる動物達と持ち込む人との間の様々な問題と長年向き合ってこられたご苦労がうかがえ、頭が下がる思いでした。

人間っていつからこんなに動物に寛容でなくなってしまったのでしょうね。
でもよく考えるとそれは動物に対してだけではないですね。人間同士も、です。
だからまずは人間同士がお互いに安心できる存在にならなくては何事も良い方向へ進まないのかなあと考えさせられました。そしてその為にまず自分がどうあるべきか。それは普段参加させて頂いているお散歩トレーニングの場でも勉強していることです。せっかく勉強していることをどこででもどんな時にも体現できているだろうか。そんなことを意識しながらまた一歩踏み出せたらいいなと思ったセンター見学会でした。

施設見学の最後に慰霊碑に向かって順番に手を合わせてきました。
慰霊碑の前に立つといつも何とも言えない気持ちになります。処分された動物達と、それをしなくてはならない職員の方の気持ちを思うといたたまれなくなります。こんなことがなくなるように私もがんばらなくては。

貴重な時間を割いてお話しして下さった職員の方、そしてご一緒した皆様、ありがとうございました!
今回初めてセンター見学に参加されたみなさんも、一歩を踏み出して下さってありがとうございました!次の一歩につながるといいですね。私も頑張ります!