夏のワンフェスも終わりましたが、まだまだ暑い夏はつづきます。
今日はいきなり夕立が来てびっくりしたな。タコはワンフェスの疲れが今頃来て
本日は朝からちょいヘタってたんですが。
バテてたけど、メールなど見たら、当日ワンフェスに行き現地でも
お会いした方から今回のイベントの感想とか、タコブログに載せた展示品の
話など、何件かありがたくもいただきました。
一様に、今回のワンフェスはソフビ関係でも久々の大イベントなので
期待も大きかったということがうかがえます。
そんなわけで、せっかくだから買ってきたばかりのソフビ談義的なことをして
みたくなりました。
ワンフェス2012夏のリンデンさんのブースでリリースされた版権ソフビ。
水木しげる「ゲゲゲの鬼太郎」妖怪ソフビシリーズ第3弾・
さざえ鬼Death。シンプルなデザインの妖怪ですが、実はシンプルなラインほど
造形ポイントをハズさないで作らないといけないので、難しいのではない
でしょうか。このさざえ鬼はよく水木漫画独特の描線を捉えています。
さざえ鬼は実は昔から伝わっている妖怪画(栄螺鬼・さざえおに)で、
鳥山石燕による妖怪画集・百器徒然袋にある日本の妖怪の一つとして
描かれており、着物を着た胴体にさざえを模した顔という異形の姿をしています。
今回リンデンさんが立体化したのはさざえ鬼があたかも貝のように
その身を隠している(そして漫画の中で活躍している)
活動用の外身、義体ともいえる部分にあたります。
本体のさざえ鬼は、足がなく上半身のみの姿(絵では霊のように尻尾が
ついて飛んでいる姿)です。
さざえ鬼はこの、口の中から出ている舌の一つ目の部分が実は本体だったりします。
鬼太郎と戦う上で妖怪画のさざえ鬼は格闘シーンなどを描きにくいので
水木先生が自作した仮の胴体を考えたのでしょう。
鬼太郎自身も片目がなく(目玉のおとうさんが鬼太郎の目に入って
その役割を果たしたことがありましたが)いわば片目のみが本体から分離している状態、
敵妖怪の「手の目」も顔には目がなく手にあり、
このさざえ鬼も今回ソフビ化された外身の部分は顔が半分髪の毛で覆われていますが
目がなく、舌についている一つ目が視覚の役割を果たしているようです。
前回ソフビ化されたエロモドキも、オカマの姿の時についていた首はダミーで、
実は腹のほうに目や口がありました。
このほかにも妖怪「尻目」は尻に目があり、頭部には顔に本来ある器官がなく
ぬっぺらぼうです。
水木先生がクリエイトした妖怪たちの目の配置を見ていくと、目の位置は本来ある
顔の部位になく他の器官に配置している=目の位置を体の別な場所にスライドさせる
というデザイン処理事例が多くないですか。
この独特のキャラクター造形の癖というか配置の妙には注目したい感じですね。
水木先生のことだから描いていた当時は強く意識していたかわからないですが。
そしてソフビになったりするとその「ずらし」感が立体としてまた
シュールな視覚的快感をもたらすことになるのです。
たぶんリンデンさんも水木ソフビを作るうえでその面にも潜在的に注目しつつ
ソフビ化で立体映え、キャラに沿ったパーツ構成の妙から
ソフビになったときの可動の面白さを増すよう、そして
「ソフビ化するモチベーションを感じる妖怪」をよく
煮詰めて毎回キャラのセレクションをしているのではないでしょうか。
部品でいうと、目だけではありません。
サンガッツさんのソフビ化した「あの世の案内人」を見ても、手と足のみで
構成されているデザインですが、元絵にシュールレアリストのデザインが
あるとはいえ、やはり水木先生のキャラクターのシュール感アップを標榜した
デザイン的な嗜好を読み取ることができます。
しかし水木妖怪はゆっくり妖怪図鑑などを見返してみると、サイクロプスの
キャラが多いですね。
リンデンさんはそのうちの特にキャラが立った3体、
土ころび、エロモドキ、さざえ鬼を製品化しています。いずれも鬼太郎との
戦いはかなり異様なシチュエーションが展開している、ファンも名勝負に
挙げそうな敵妖怪ばかりですね。
今後リンデンさんが製品化する妖怪もこうしたいくつかのポイントから
「今度はいったい何をソフビ化するか?」予想してみるのも楽しいかもしれません。
前に食玩で「鬼太郎VSさざえ鬼」というスバラシイアイテムがありまして、
それについていた「大きな皿に載せられて今にもさざえ鬼に食われそうな鬼太郎」
があります。ここぞとばかりに稼動の時Death。このシリーズはなぜか、鬼太郎の
ヤラレシチュエーションのヴィネットのものが多く、ほとんどVSになってないですが。
リンデンさんの造形で感心するポイントというと、胴体のイボイボというか
フジツボが出ているようなディティールですね。ここは本来の絵のさざえ鬼では
当時のアシスタントさんによる例の水木点描でうっすらと体表が表現されて
いるわけですが、ソフビにしたときに、よりシンプルでかつ点描を簡略化する
ディティールとしての配置をよく考えてあり、製品を見たときの
ファーストルックで効果大となっています。そして外身の部分でも
「さざえの妖怪」を想起させる上で効果を上げています。
鬼太郎がさざえ鬼の海のアジト「天狗岩」を発見して殴りこみ、さざえ鬼が
鬼太郎に化けて罪もない人魚たちをさらって町で人間に売りさばく悪行を
止めようとします。
このエピソードは「鬼太郎」全話中ではごく典型的な悪い妖怪退治、
勧善懲悪話なのですが、冒頭部分でにせ鬼太郎が人魚をかかえて町に売りにやってくる
シーンがシュールで忘れがたいです。
海の妖怪と鬼太郎が戦うエピソードは別にこの話に限らなく何篇かありますが
昭和の風景である、魚の行商が不老不死を与える人魚を売りにやってきたら。。。という
奇妙なシチュエーションがこのエピソード全体を海辺への郷愁を漂わせ、
本筋以外のところで妙に「磯の香り」が漂う印象を残します。
上はサンガッツさんの鬼太郎ソフビを使って町に行商にやってくるにせ鬼太郎を
再現してみました。
鬼太郎(偽)「人魚の子はいらんかね~刺身にして食べたらおいしいよ~」
ねずみ男「ありゃー、鬼太ちゃんもすっかり変わったねえ~」
劇中にはないですが、さざえ鬼が鬼太郎をじか食いしようとする・みたいな場面。
さざえ鬼はナイフとフォークで鬼太郎をバラバラにして食べるんですが
洋式の食卓なのがおかしいです。こういう絵的な面白さに関して水木先生は
勘が働くみたいで、シュールさやユーモラスさで絶妙なサジ加減を発揮していますね。
しかしワンフェスルポのリンデンさんのブースの紹介上にも書きましたが
リンデンさんのソフビ化してきた鬼太郎妖怪たちはいずれも鬼太郎の神通力
(この言葉、古臭いけどいいな~言葉で骨董と呼べるような響きがありますね)
を狙って鬼太郎を食おうというどん欲な妖怪たちばかりですね。
鬼太郎の体を食べるとその能力を受け継ぐというのが連載の中ではいつしか
妖怪たちの周知の事実みたいになっている気配で、鬼太郎は人間のための
妖怪退治をしている中で同時に自分の能力を狙われているわけで、
いささかリスキーな戦いを強いられることが多いです。
しかし鬼太郎は人類から報いられることも少ないですね。
だから最終的には妖怪退治に疲れてしまい、南方に移住したりしちゃうんだろうな~。
鬼太郎の肉体は妖怪たちにとって人間が不老不死の効果を持つと珍重する
人魚の肉と同じような価値に置かれているのでしょう。
リンデンさんはエロモドキ、さざえ鬼といずれも
元からある妖怪画のいやみやさざえ鬼でなく
水木先生の「素」で描かれた完全創作にあたる部分を
立体化しているというのがちょっと面白いですね。
どちらかというとエロモドキとさざえ鬼は、デザイン的には
水木先生が話の展開上、そのページを描く段にデザインされたふしがあり、
非常にキャラクター造形としてはラフな存在の妖怪に見えます。
もっとも多忙な時期に描かれた鬼太郎の中で、これらの水木オリジナルデザインの
妖怪はほとんど本人の意識床下から即興で生まれたビジュアルをもつといって
過言でないと思います。
反面、そんな肩に力の入ってないデザインゆえ、こうして几帳面に作られた
ソフビになり、手にとった瞬間に2次元が3次元になった視覚的な快感を
惹起されるのではないかと思います。
土ころびは妖怪イラストとして描かれたカタマリとしての「静のミリキを放つソフビ」。
続くエロモドキとさざえ鬼は漫画内の線画として発揮される、水木キャラの奔放な
勢いのある描線のミリキを忠実にソフビ化した「動のミリキを放つソフビ」といっても
いいのではないでしょうか。
それは妖怪画の中から絵に描かれた妖怪が実体化して紙から
ひょっこりと出てくるような光景ですね。
静から動へ。
リンデンさんの鬼太郎妖怪ソフビは水木デザインを立体物として満喫できる
シリーズとなり、これからもそのミリキを存分に伝えてくれることでしょう。
【高音質】ゲゲゲの鬼太郎 60's+70's BGM集/いずみたく(1/2)
7曲目の「悲運の涙」なんてシンプルながら昭和アニメの泣かせメドレーでは
トップのデキだと思う☆
10曲目「鬼太郎大活劇」の戦闘ナンバーで苦戦系のスコアは
「チャージマン妍」の有名なキチガイレコードのフレーズにコード進行が似てる。
そう指摘してる人が居ないが、鬼太郎のこのナンバーを参考にしたんじゃないか?と
前から思ってんだが。
http://www.youtube.com/watch?v=ZW3zhWMPIA8