これぞ
驚 天 動 地。
ターゲットアース×メディコムトイのコラボレーションソフビ、
「双頭原人」のヘッダー。
いったい何が生み出されたのか?!
そしてもういっぴき。。。いやもう一機。
これはヒトも通わぬ怪奇な南の島で戦場カメラマンが撮影したおそるべき映像である。
島全体が原爆にでも吹き飛ばされたように灰色の岩が転がる、南洋の
奇怪なモンド島。波濤が低く静かにいけるいけとしこの島に住む棲む者たちを
怒り、糾弾する荒波が打ちつける白い終末の浜辺にて、
今、鉄の怪物の目に灯が点された。
島の中央に極東の都市のモニュメントである東京タワーを形どった
建造物が据えられている。
そう、鉄の怪物の生みの親は、最初の攻撃目標を東京と定めていたのだ!
悪い科学者がついに完成させたサルの姿をした巨大デストロイマシーンの
テストが開始された。その震撼すべき性能を
各支部の部下たちや、各地から集まったシンパのテロリストたち、
極秘で招かれた得体の知れない商社から派遣された
死のセールスマンーーといった面々に披露する。
戦闘機による攻撃テストでは、頭上を飛行する戦闘機がいともたやすく
巨大なマニュピレーターによって瞬時にわしづかみで捕縛された。
目元をマスクで隠した招待客たちから、戦争まがいに繰り出される
攻撃に対し発揮される鉄のサルの防衛・攻撃能力に驚きのどよめきが上がる。
そしてテストの最終段階は、危険な陽電子ミサイルによる国家への脅迫。
つまりは実戦投入だ!
鉄のサルの拡声器を通して
悪の科学者のアジテーションと哄笑が島内に響く。
「ふははは ついに完成したぞ これぞ鉄の要塞・ロボットゴリラ!
ついに我がセカイ征服の野望が実現へと近づいた!!
われわれと鉄のサルはセカイのすべてを、そして我々に荒ぶる何もかもを
容赦なく破壊し、殺戮する!!
この灰色の島はヤツにプログラムしたWorld Sacrifice Tour終了後の
セカイの風景そのものだ!!」
ターゲットアースさんの暗黒魔道大戦シリーズの延長にある怪獣ソフビシリーズ、
ロボットゴリラとメディコムトイさんとのコラボレーションオリジナル怪獣ソフビ
第一弾、双頭原人!
発表時から明記されているのはメディコムトイの赤司竜彦社長が
「双頭原人」のキャラクター原案で、
ターゲットアースの佐藤元将氏が造形製作を担当したこと。
ソフビファンにとっては「双頭」「原人」などと聞くと
インディーズソフビ界で過去に登場している
インパクトの強いアンダーグラウンドマニアックスな
ソフビキャラクターたちのハードコアレベルを示すキーワードとしての意味合いが
いやがおうにも想起されるところだ。
そういった名を記号として冠することで、そのアイテムはざっくばらんに
言ってしまうなら、
「過去の人気商品へのブツケ的アイテム」と称される。
この「双頭原人」ははたしてそのブツケ怪獣ソフビなのか?
ソフビ界の成功したイメージを動員したいわゆる「いいとこどり」製品なのか?
なぜ彼は生まれたのか?
実際にソフビファンを「驚天動地」させた彼(双頭なので彼ら?)
の誕生した深層の部分を実際に製品を間近に見ながら検証してみたい。
再度、明記しておくべき前提がある。
「巨人」「原人」などと聞けば濃度の高いソフビファンには
いやがおうにもすでにあるソフビキャラクターたちのイメージがつきまとう。
あえてその名を冠したところにソフビ怪獣商材に本来あるパチものとしての
猥雑なミリキが発動した気配は見受けられるものの、
そこに果たしてオリジナリティは獲得できるところなのか?
結論からいえば、おそらくそのもくろみは成功した気配だ。
ソフビのモチーフとして国内外でのグローバルスタンダードといえる
「巨人」=ジャイガンタスにアイコンとして単眼(サイクロプス)、人形アニメの
モンスター映画で多用される双頭を加え、怪獣ソフビにおける異形の巨人として
浮かびうるアイテムをあたかもごった煮大サービスのように
猥雑ながらもすべて一体に詰め込んだ「双頭原人」。
全身にはびっしりと体毛が生えており、海外で今でも人気がある
昭和の国産怪獣映画「サンダ対ガイラ」の人食い怪獣ガイラの体表イメージなども
取り込んだ気配がうかがえる。
(そういえば「サンダ対ガイラ」の主役怪獣2匹はアメリカで「ジャイガンタス」=
巨人とまんまの呼称で呼ばれている。そしてサンダとガイラは同じ細胞から
成長したいわば双生児だった)。
「双頭原人」のボディプロポーションは海外の人形アニメを使用した怪獣映画に
出てくる猿人や巨人的な印象がある。というかおそらく造形上でそれを狙ったのだろう。
可動箇所が多く、パーツ分割の都合からかもしれないが
頭部以外に腰なども動くことで、いかにも人形アニメでぎこちなく不気味に動く
巨大モンスターのようなイメージで表情たっぷりにポージングできる。
オリジナル怪獣ソフビは作り手の脳内で製作・再生された自分だけの怪獣映画を
立体物にしているようなところがあるのだが、多くは作り手が意識しないような
領域の所作だろう。
この「双頭原人」が作り手の脳内で動いている時の映像表現手法は
おそらくは「キグルミ」ではなく「人形アニメ」ではないだろうか。
手元にある双頭巨人と比較したときに思うのは、双頭巨人はポスターアドなどにも
多用されている「仁王立ちする静のミリキ」が最大の武器となっているが、
この「双頭原人」は「双頭巨人」と同じモチーフを記号的な範囲で導入しつつ、
「より怪獣的な部分をメインに打ち出した」
巨人のソフビTOYとして造形の独自性を持たせる一方で
過去の巨人系怪獣映画の多彩なテキストを一体に盛り込もうとした
気配がうかがえる。そしてそれによりオリジナリティを獲得しえたと。
文明の負の要素が生み出した業獣である
公害怪獣たちさえもはだしで逃げ出す、これぞ驚天動地
「きゃー。」
リアビュー。双頭巨人と違い全身毛むくじゃら。ここが
アイディンティティであり、同時に野に放たれた獣としての
凶暴性を無闇にアピールすることに。
あわせてターゲットアースさんが春に発売したロボットゴリラも紹介。
処刑場の、流刑の地ともいえそうな灰色の死の島でロボットゴリラが起動。
悪い科学者の偏執狂のような研究が禁断の実を結ぶ!
「ロボットゴリラ1号!まずは東京を攻撃だ!」
ロボットであることを明示する記号である鋲などをあえて表面につけなかったので
きわめてシンプルな仕上がり。しかし少し現物を眺めているとパチ玩具メーカーの
ミニマムでストレンジなビジネスストーリーが頭に浮かんでくる。
ターゲットアースさんの製作意図がどのようなところにあるのかわかりませんが
あくまでタコ個人の抱いた「ロボットゴリラがもし昭和の時代に出ていたら」という
イメージバックボーン。。。
(ポワポワ)昭和の漫画原作の名匠・梶原某による●ングコングメディアミックスが
沸いている当時に南村原画のアニメロボットゴリラを息子の持っていた漫画雑誌の
グラビアで目ざとく見つけたパチ玩具メーカーがポリ人形で作り、
無版権で●ングコングのアニメ放映頃にあてこんで発売した
ポリロボットゴリラ。ヘッダーも「よいこのおもちゃ」
系のユルいヤツ。ただしパチ玩具メーカーの社長は
このロボットゴリラがレギュラーで登場すると思いこんでおり、主役の●ングコングの
パチは版権のがれで発売しないで脇役のほうだけの売り逃げとなり、
結局子供たちはマルサンのジャイアントゴリラを「主役」として、このロボットゴリラを
戦わせて遊ぶことになる~(ポワポワ)。。。といった
妄想バックボーンがふと頭に浮かんでくる。当時の背景を考えると
パチ業者が南村イラストのロボットゴリラをパチッたとしたら、
実際にこのようにシンプルなディティールのロボットゴリラの
おもちゃになったことだろう。
同時に当時でこのカラーだとマルサンメカニコングのパチ玩具にもなったところで
しょう。
廃墟のような孤島で出会った、鉄のゴリラと荒ぶる双頭の怪物の戦い。
孤島で眠っていた双頭の怪物は爆発の轟音で目覚めたとき目の前に現れた
自分と同じ大きさの敵にいつにない親しみを感じていた。
ただし、自分と同じ「怪物」「戦うべき敵」であるという点でだ。
血とオイルとが交じり合い、誰もいない灰色の島の覇権を血みどろで争う
ぶつかりあう狂気!
そして鉄の怪物と異形の怪物の戦いをあたかも神の采配で行われる
祝祭の儀式であるかのように歓迎する悪い科学者。「戦え!東京襲撃の駄賃に
まずはその得体の知れない化け物を血祭りにしろ!」
地下のシェルターに一時退避した戦争商人たちは
モニターに映る双頭の怪物と鉄のサルの予期せぬ戦いの行方を
値踏みするように見つめながら
世界中の戦争がしたい為政者により高く売るための商談を
悪い科学者と開始する。。。
このセカイを絶望や破滅の坩堝に追い込みたがっている者、
そしてヒトビトの死と絶望の瞬間に金儲けをしたい者以外の人間が誰もいない
この死の島で、セカイを滅ぼす猿のマシーンを止めることができるのは
双頭の彼らしかいなかった。。。異形の怪物である彼らはそのとき本人たちが
たくまざるところでたった一人のセカイの守護者となっていた。
大伴昌司氏・文、南村喬之氏・画の黄金コンビによる昭和マガジングラビアで
いつか観たような風味な奇想のSFスペクタクルモンスター絵巻を
ソフビで再現してミマシタ。
いきなりロボットゴリラが乱入しましたが、
ひきつづき「双頭原人」にまつわる深層をたぐってみたい。
ソフビの巨人についてストレートに語りたいなら、
表題にはないがこのアイテムを画面に出したほうが話が早いだろう。
ルーツオブ双頭、
これがすべてのはじまりとなった
SOFT VINYL HARDCORE/BEMON双頭巨人。
額の両脇に2本のツノをもち、DEMON=「悪魔」としての風貌が強調されている
BEMON双頭巨人。
双頭巨人と双頭原人を見比べると、作り手の意図したことが
造形で明確に打ち出されていることに気づかされる。
ターゲットアースさんの「双頭原人」の工夫どころとして、
面白い、というか
ここは見逃すべきでないといえるのは、頭部が中世ヨーロッパで
僧侶の頭髪としてポピュラーだった頭頂部の頭髪をそぎ落とす
「トンスラ」という宗教上のヘアースタイルに造形されていることだ。
中世の宗教裁判をテーマにした洋画「薔薇の名前」や
時代劇でのポルトガルやスペインの宣教師が登場するシーンなどでも
ご覧になったことがおありだろう。
これは何者かがかつて「双頭原人」を迷える者として、
「一度は敬虔なキリスト教徒としての立場に帰依させ自らの罪を自覚させつつ、
本来与えられるべき自罰の意識を持たせた
過程があった」バックストーリーを想像させるものだ。
「双頭原人」がトンスラの頭部になっているのは、
作り手が「BEMON双頭巨人」との明確な精神的傷痕の対比として
意図的に配置することでキャラクター性を打ち出しオリジナルとの
差異をつけようとした気配がうかがえる。
双頭原人は、想像するに、一度は敬虔な信者としての洗礼を受けながらも、
そのあと生来の野獣としての凶暴な本能のままに解き放たれてしまった、
あるいは狂信者によって怪物としての暴虐のダークサイドに結果として取り込まれて
しまった、いずれのような過去が存在するのではないだろうか。
そんな「良心の呵責に翻弄された異形の怪物」というバックストーリーが
浮かんでこよう。
ジョージ秋山作品でもたびたび描かれていたが、
「アシュラ」や「アマゾンくん」が性癖の人肉食を
心ある宗教者や文明人によってセーブされ、
禁欲の果てに人倫のセカイへと福音される過程が物語のクライマックスに置かれていた。
そしてこの双頭原人も暴虐のはてに、
何かの契機から自らを断罪した過去があったものの、
再び忌むべき獣のセカイへと回帰してきた過去があったのではないだろうか。
造形の中にたんなる立体物としての枠を超えたストーリーが沸き起こってくる。
それはあたかもソフビを相手に犯罪心理分析捜査をしているかのようで
奇妙だが同時にスリリングでもある。
かたや、BEMON双頭巨人の力の象徴であり、
ビジュアルアイコンとして注目すべきは
ソフビでない異素材であるプラスチックで製作された付属物の鉄球=BEMON BALL
が片手を繫いでいる点だ。
これは武器のようなありながら、双頭巨人のトンスラにあたる、
「巨人の持てる威力を拘束しセーブする」バランサーだろう。
このBEMON BALLは双頭巨人にとって最大の武器でもあり、
同時に彼(双頭なので彼らか?)が生来持つ強大なパワーを
鎖でつなぐことにより減衰する、重い手枷として作用している鋼鉄製の鉄球だ。
あらゆるロットで鉄球の付属するソフビ「BEMON双頭巨人」の仕様から読み取れるのは、
双頭巨人をセーブする何者かが存在し、その暴虐的なパワーの発動の
コントロールに関与しようとしているよう気配があることだ。
それにしても、巨人の偶像はなぜこうもさまざまな作り手に
よって作り継がれ、多くのファンにコアなソフビジャンルとして
消費され継がれてきたのだろうか?
つまるところヒトは罪深きチカラの象徴である巨人たちの姿に心惹かれ、
その偶像に欲望し、自らの中の悪や罪、自罰の意識を反映・化体させた
絶対的存在として偶像視することで自らの象徴交換の対象とする。
巨人の姿をした偶像はいわば自らの
精神的インナースペースにある悪や欲望、セーブできない怒りやパワーの象徴だ。
この2体のソフビでは、それが頭頂部の剃髪されたトンスラのディティールや、
暴虐なチカラへの重石である鋼鉄の鉄球という部分から巨人をとりまく
強大な力を支配・コントロール・抑圧する神話が
バックボーンで明確に語られているーーといっていい。
それでは、そこに込められたものは一体何だろう?
仮託された力=行使される父権的ファルスとして生成されるものと仮定すると
異形の巨人(のソフビ)たちは作り手は異なれど共同幻想としてみれば共に
目的を同じくした異母兄弟的関係にあるといっていいのかもしれない。
そう、巨人ソフビが好まれる深層にあるものは、何かというと、あたかも
「強靭な巨人を作る神の立場を行使される送り手、そしてそれを所持する者」が
共有する「巨人に仮託される強靭な力を手にしてコントロールする」
神のようなものへと近づきたいといった心的構造が作用してるといえよう。
巨人をめぐる寓話としてメジャーな例を挙げるなら
今夏、「特撮博物館」でも新作特撮映画が上映された宮崎駿のキャラクター
「巨神兵」も膨大な力を持つ巨人の制御不可能な
チカラをめぐる物語として画面上に畏怖すべき存在として
シンボリズムを見出すことができるところだ。
インディーズソフビにおける「巨人」という存在は
深層心理下で強大なチカラへのコントロール欲求に
つながっているものと捉えてもよさそうだ。
そしてこれからもヒトの心の中に「強大な力の象徴である巨人の存在」が
あるかぎり「巨大なゴリラ」「巨人」「原人」といった
ヒトならぬ、しかしヒトをモチーフにした大括りではギガンティックな存在の
パチ怪獣ソフビが引き続き人気ジャンルのひとつとして
連綿と語り継がれていくことになるのだろう。
【Lost: All The People Who Died】
誰かこのナンバーで「Final Dead」シリーズの最新作「~Bridge」までの
全シーン集めたMAD作ってホシイのココロ。
http://www.youtube.com/watch?v=69OXRew7v0I