毎年6年間この時期になると娘は、クリスマスのピアノとバイオリンの発表会に向け、練習に励んでいた。
娘は1Fのリビングで、器用に黄色いバランスボールに座りながら、バイオリンの練習をするのが、いつもの光景だった。
私はバイオリンの絃やピアノの鍵盤を、踊るように動く娘の手や指を見るのが好きだった。
「花菜ちゃん、さっきの小節すごくカッコ良かったから、もう一回弾いて見せて。(お世辞にも弾いて聴かせてとは言えないレベル?)」
*****
2010年6月19日夜、
主人と私は司法解剖の終わった娘の遺体を引き取りに、マスコミの集中する管轄の浜松細江署を避け、浜松中署に向かっていた。
浜松中署1F入口近くの白い仕切で区画された、簡易な長椅子とテーブルの置かれたコーナーで、
警察署員から遺体引き取りの説明を受け、書類にサインをした。
警察署玄関に横付けされた黒いハイエースの助手席に主人、娘の遺体が固定された後部座席には私が乗り込んだ。
次々とこなさなければならない悪夢のような現実の中、ようやく娘は主人と私の元に帰ってきた。
浜松のまぶしい夜の明かりの街を走り出した車内で、運転していた専門の業者と思われる男性が、
「 お母さん、娘さんの手を握っててあげていいですよ。 」
布団に包まれ落ちないよう固定された娘の遺体から、私は必死で娘の手を探った。
私の好きだった娘の手は、もう2度と踊ることも許されず、冷たく固くなっていた。
でもこの冷たい娘の手でさえ2日後(葬儀)には、2度と握ってやることはできない。
*****
1時間以上車に揺られながら、想像を絶する怖い思いをした娘に、
もう怖がらずにすむよう、私はずっと話掛けていた。
「そろそろ花菜ちゃんといつもレッスンに通った豊橋の道だよ。」
無事マスコミを避け、自宅に娘を連れて帰ることができるのか。 自宅も近づき、そろそろ緊張が走っていた。
「 ライト消して! 俺達の車の後をついてこい! 」
突然車の前を封鎖した車に止められた。
前の車から地区の男性が走ってきて、土地勘がないとわからないマスコミから隠れる地区の道順を説明された。
だが、ゆっくり車の音をたてないよう徐行させながら、私達の車は先導車と違う道を曲がってしまった。
「指示した道と違うじゃないか!!バックして、もう一度ついてこい!!」 焦って追いかけてきた先導車の男性に言われた。
私達の車の運転手は、土地勘のない道でライトを消しても落ち着いていたが、
霊柩車ではバックは許されないのか困って、車を回転させ方向転換し前進を続けた。
*****
なんとか自宅前に車が辿り着いた時、主人と私は目の前の光景に目を瞠った。
そこには地区の女性・男性20人近い人達が私達を守るように、
何時に着くかわからない私達を、綿密な計画を立てて待っていてくれたのだ。
そしてこの後、この熱い地域の方々の力を借りて、安心して事故原因究明の署名活動に突き進んでいった私達だった。
娘は1Fのリビングで、器用に黄色いバランスボールに座りながら、バイオリンの練習をするのが、いつもの光景だった。
私はバイオリンの絃やピアノの鍵盤を、踊るように動く娘の手や指を見るのが好きだった。
「花菜ちゃん、さっきの小節すごくカッコ良かったから、もう一回弾いて見せて。(お世辞にも弾いて聴かせてとは言えないレベル?)」
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2010年6月19日夜、
主人と私は司法解剖の終わった娘の遺体を引き取りに、マスコミの集中する管轄の浜松細江署を避け、浜松中署に向かっていた。
浜松中署1F入口近くの白い仕切で区画された、簡易な長椅子とテーブルの置かれたコーナーで、
警察署員から遺体引き取りの説明を受け、書類にサインをした。
警察署玄関に横付けされた黒いハイエースの助手席に主人、娘の遺体が固定された後部座席には私が乗り込んだ。
次々とこなさなければならない悪夢のような現実の中、ようやく娘は主人と私の元に帰ってきた。
浜松のまぶしい夜の明かりの街を走り出した車内で、運転していた専門の業者と思われる男性が、
「 お母さん、娘さんの手を握っててあげていいですよ。 」
布団に包まれ落ちないよう固定された娘の遺体から、私は必死で娘の手を探った。
私の好きだった娘の手は、もう2度と踊ることも許されず、冷たく固くなっていた。
でもこの冷たい娘の手でさえ2日後(葬儀)には、2度と握ってやることはできない。
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1時間以上車に揺られながら、想像を絶する怖い思いをした娘に、
もう怖がらずにすむよう、私はずっと話掛けていた。
「そろそろ花菜ちゃんといつもレッスンに通った豊橋の道だよ。」
無事マスコミを避け、自宅に娘を連れて帰ることができるのか。 自宅も近づき、そろそろ緊張が走っていた。
「 ライト消して! 俺達の車の後をついてこい! 」
突然車の前を封鎖した車に止められた。
前の車から地区の男性が走ってきて、土地勘がないとわからないマスコミから隠れる地区の道順を説明された。
だが、ゆっくり車の音をたてないよう徐行させながら、私達の車は先導車と違う道を曲がってしまった。
「指示した道と違うじゃないか!!バックして、もう一度ついてこい!!」 焦って追いかけてきた先導車の男性に言われた。
私達の車の運転手は、土地勘のない道でライトを消しても落ち着いていたが、
霊柩車ではバックは許されないのか困って、車を回転させ方向転換し前進を続けた。
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なんとか自宅前に車が辿り着いた時、主人と私は目の前の光景に目を瞠った。
そこには地区の女性・男性20人近い人達が私達を守るように、
何時に着くかわからない私達を、綿密な計画を立てて待っていてくれたのだ。
そしてこの後、この熱い地域の方々の力を借りて、安心して事故原因究明の署名活動に突き進んでいった私達だった。