ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 02/23 学校現場からの声「教師というくだらない存在」

2015-02-25 06:28:34 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前、宗像聖パウロ教会の礼拝に出席。昼食後だらだら過ごし、昼寝1時間。笑点をみて夕食、「花燃ゆ」、杏主演の「クロハ〜機捜の女性捜査官」を見て11時過ぎ就寝、5時半起床。体調、快調。チュン、チュン。

加藤 治さん、松井 守さん、堀 俊子さん、他23人が「いいね!」と言っています。

村田 多鶴子 おはようございます~♪お守りの内に、ご夫妻共々、穏やかな愉しい時間をお過ごしになられますようにm(__)m

文屋 善明 礼拝に出席するっていうことは、結構疲れるんですね。司式、説教する時よりも、会衆席に座っている方が疲れることを体験。

萩野 秀子 おはようございます。次男の耳鼻科、チラシ配りをします。良き日となります様に。お祈りします。
posted at 05:39:46


文屋 善明
2月23日 6:45 ·
今日の名言:RT @Michael_Ende_jp:
ユーモアは狂信的でも教義的でもない。それはいつも人間的だし、やさしい。ユーモアとは、自分の不完全さを苦渋に陥ることなくみとめ、気持ちを楽にしてくれる。あの意識の姿勢です。そしてまた、他人の不完全さも微笑んでうなずける。(『エンデのメモ箱』)
<一言>そうですね。

西堀 俊和さん、加藤 博子さん、Yutaka Tanabeさん、他22人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:44:38

「昨日のツイート 02/21」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/5c39324ba6fb0a168f11e33cd268600…
posted at 08:59:46


文屋 善明
2月23日 6:32 ·
お目覚めの花。「さぁ、新しい週が始まるよ。今週も頑張ろう。考えてみると今週で2月も終わりですね」。

Minsoo Rheeさん、宮脇 温子さん、細谷 民子さん、他34人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
2月23日 6:17 ·
2015日々の聖句 02月23日(月)
あなたがあなたの神、主の御声に聞き従うならば、あなたは町にいても祝福され、野にいても祝福される。(申命記28:2~3)
イエスは弟子たちにお語りになった。「あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」(マタイ13:16)
私の黙想:
申命記はモーセの晩年の3つの説教によって構成されている。第1の説教(1:6~4:40)、第2の説教(4:44~28:68)、第3の説教(28:69~30:20)で、今日の聖句は第2の説教の結びの部分に属する。この句は申命記神学の典型的な一句である。問題は(問題でもないが)、この「あなた」という二人称である。この「あなた」を説教を聞く個人と理解するのか、あるいはイスラエルの民全体を意味する集合的二人称と取るのか。答えは明白だし問題ではない。両方の意味を含んでいる。そもそも(なんていう言い方は偉そうに響くかもしれないが)説教における「あなた」(二人称)は原則的にそういう意味である。教会でなされる説教も「あなた」という個人向けて語られると同時に、その「あなた」は教会員全体、つまり共同体としての教会に語られているし、さらに言うならば、どんなに小さな教会での説教であれ、それは全世界に向けられた「あなた」である。今、ここで語れる説教(神の言葉)は時代を越え、全世界に向けて語られている。(一寸、大袈裟すぎて申し訳ないが)私は常にそれを自覚して説教をしている。
だから、私の場合は説教で「あなた」という言葉を殆ど使わない。と言うより使えない。アメリカ人の宣教師の説教を聞いて「you」という言葉が頻繁に出てくるのには驚かされる。そこには日本語と西欧語との違いがあるのだろうか。日本語では「あなた」あるいは「あなた方」という二人称は非常に強い。「名指しする」ということには非常に勇気が要る。

丸山 順子さん、安永 玲子さん、西堀 俊和さん、他24人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 おはようございます。僕は愚かなので、今日の聖句と黙想には、つまずいてしまいます(^^;


文屋 善明 そういう石ころは蹴っ飛ばせばいい。

植村 光郎 日本語の「あなた」という表現は確かにきつい言葉が後に来るようです。


文屋 善明さんがFredy Paulさんの写真をシェアしました。
2月23日 8:46 ·
久しぶりの英語のレッスンです。これを日本語に訳す場合に、「あなた」を入れる場合と、省略する場合のニュアンスの違いを感じてください。

https://www.facebook.com/fredypage/photos/a.922594837769758.1073741834.442028079159772/944938612202047/?type=1&theater

Fredy Paulさんの写真

加藤 治さん、植村 光郎さん、柳沢 有紀夫さん、他15人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 ライオンの表情がこんなに豊かだとは!


文屋 善明さんが上田 誠さんの写真をシェアしました。
2月23日 11:00 ·
この先生の気持を考えると、どうしようもない怒りがこみ上げてくる。しかし、これが学校(中学校に限らない)の現状なのであろう。もう一歩踏み込んだら、と思うが、それが出来ないのが教育現場を覆う「空気」なのであろう。

「教師という、くだらない存在」

中3はこれから受験である。
入試前の公民の、最後の内容は
環境問題と民族紛争、地域紛争。

4大公害は説明するが
〈フクシマ〉を語らずに
学校の授業は終了したらしい。

世界の紛争の「名前」は教えるが
それが日本とどういう関係があるのかを
説明しないで学校の授業は終了する。
ISILの人質事件などは
一切の解説もなく
教師は教科書を閉じたようだ。

学校の授業を批判しているわけではない。

学校の授業というものは
私たちの時代から
ずっとこのようであったハズだからである。

フクシマもISILも
いわゆる〈教科〉の枠組みからは大きく外れる、
子どもたちの現在、未来にわたる
〈生命〉の問題である。

直接、子どもの〈生命〉にかかわる
大変な問題であり、事態である。

低線量被曝に心身が苛まれるかもしれない。
大病を患い、生涯苦しまなければならないかもしれない。
考えたくないが、命を落とすかもしれない。
チェルノブイリの28年間が、重く覆い被さる。。。

すでに
沢山の人々を殺害してきた国と一緒に
戦争に突き進もうとしている。
見たこともない人たちを、子どもを
殺すことになりそうだ。
自ら戦争に行き、罪もない命を
奪うことになるかもしれない。

そんな考えたくもない〈現実〉が
いま、ここにあるのに
これを一顧だにしない勉強とは
一体、何であろうか?

勉強を
こんなグロテスクなものに仕上げたのは
一体、誰であろうか?

そして、
教え子の苛酷な現実、未来をそのままにして
教師は何を語ろうというのだろうか?

地理という紀行話や
歴史というおとぎ話や
公民という暇つぶしは

それが、
世界の一切の〈緊張〉とは
まったく無関係なだけに
これを教師という特権的な人間が語ることは
それだけでたいへんな〈犯罪〉である。
詐欺といってもいい。

子どもを騙すことによって
子どもの〈生命〉を
収奪しようとしているからだ。

おそらく、子どもたちは
このまま、何の抵抗もなく
戦後の社会を生きてきた私たちと
まったく同じように
何も知らずに生きていくに違いない。

たくさんの人々の殺戮を尻目に
自らも心身の不調に嘆きながら
「こんな世界に誰がした?」と
嘆いてみせる、しっかりとした「大人」に
なっていくのに違いない。

政治、社会問題に無関心だと
子どもを非難する。
若者の投票率が低いと
大人は嘆く。

私は、
そのような非難は
一切、当たらないと思っている。

〈学校〉は戦場だと
いつまでも気づいてこなかった
私たち〈大人〉の責任である。

さて、
原発、辺野古の問題を見ても
〈無責任体系〉は日本を覆い尽くしている。

子どもたちも、
〈学校〉という〈無責任〉の海で
溺れかけている。

〈戦場〉で助けを求めている。

こんな場所での
こんな勉強は
しない方が良いと思っている。

27年間、
ずっとそう思ってきた。

この1年間、
〈社会〉を教えてきて
昨日、その授業が終了した。

その直後の、
偽りのない、
毎年、繰り返してきた、
悔しくて、くだらない
〈感想〉である。

子どもに対しては
いつも懺悔しかない。

   イラク戦争受刑者が、我が子をあやしている写真。」
上田 誠
          教師という、くだらない存在。

中3はこれから受験である。
入試前の公民の、最後の内容は
環境問題と民族紛争、地域紛争。

4大公害は説明するが
〈フクシマ〉を語らずに
学校の授業は終了したらしい。

世界の紛争の「名前」は教えるが
それが日本とどういう関係があるのかを
説明しないで学校の授業は終了する。
ISILの人質事件などは
一切の解説もなく
教師は教科書を閉じたようだ。

学校の授業を批判しているわけではない。

学校の授業というものは
私たちの時代から
ずっとこのようであったハズだからである。

フクシマもISILも
いわゆる〈教科〉の枠組みからは大きく外れる、
子どもたちの現在、未来にわたる
〈生命〉の問題である。

直接、子どもの〈生命〉にかかわる
大変な問題であり、事態である。

低線量被曝に心身が苛まれるかもしれない。
大病を患い、生涯苦しまなければならないかもしれない。
考えたくないが、命を落とすかもしれない。
チェルノブイリの28年間が、重く覆い被さる。。。

すでに
沢山の人々を殺害してきた国と一緒に
戦争に突き進もうとしている。
見たこともない人たちを、子どもを
殺すことになりそうだ。
自ら戦争に行き、罪もない命を
奪うことになるかもしれない。

そんな考えたくもない〈現実〉が
いま、ここにあるのに
これを一顧だにしない勉強とは
一体、何であろうか?

勉強を
こんなグロテスクなものに仕上げたのは
一体、誰であろうか?

そして、
教え子の苛酷な現実、未来をそのままにして
教師は何を語ろうというのだろうか?

地理という紀行話や
歴史というおとぎ話や
公民という暇つぶしは

それが、
世界の一切の〈緊張〉とは
まったく無関係なだけに
これを教師という特権的な人間が語ることは
それだけでたいへんな〈犯罪〉である。
詐欺といってもいい。

子どもを騙すことによって
子どもの〈生命〉を
収奪しようとしているからだ。

おそらく、子どもたちは
このまま、何の抵抗もなく
戦後の社会を生きてきた私たちと
まったく同じように
何も知らずに生きていくに違いない。

たくさんの人々の殺戮を尻目に
自らも心身の不調に嘆きながら
「こんな世界に誰がした?」と
嘆いてみせる、しっかりとした「大人」に
なっていくのに違いない。

政治、社会問題に無関心だと
子どもを非難する。
若者の投票率が低いと
大人は嘆く。

私は、
そのような非難は
一切、当たらないと思っている。

〈学校〉は戦場だと
いつまでも気づいてこなかった
私たち〈大人〉の責任である。

さて、
原発、辺野古の問題を見ても
〈無責任体系〉は日本を覆い尽くしている。

子どもたちも、
〈学校〉という〈無責任〉の海で
溺れかけている。

〈戦場〉で助けを求めている。

こんな場所での
こんな勉強は
しない方が良いと思っている。

27年間、
ずっとそう思ってきた。

この1年間、
〈社会〉を教えてきて
昨日、その授業が終了した。

その直後の、
偽りのない、
毎年、繰り返してきた、
悔しくて、くだらない
〈感想〉である。

子どもに対しては
いつも懺悔しかない。

   イラク戦争受刑者が、我が子をあやしている写真。

森内 幸春さん、早乙女 実さん、望月 克仁さん、他10人が「いいね!」と言っています。

植村 光郎 同感です。現象に捉われ・・・・。

加藤 佑三 高校・大学での教育に期待するしかないですね。又は、スマホ・PCのWEB情報で現実を知って成長するか。18歳で選挙権となると益々心配ですね。

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