ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 02/24 田川建三『原始キリスト教とアフリカ━━帝国主義の宗教思想』

2015-02-26 08:23:21 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。整形外科からコミセン、ユリックスに回るがいずれも休館。午後、家内を病院へエスコート。『キリスト教とローマ帝国』読了。面白かった。読書ノート作成中。夜は「警部補・杉山真太郎」、「渡る世間は鬼ばかり」(後編)を見て11時半就寝、6時起床。体調、快調。チュン、チュン。

播 稔さん、北村 良輔さん、森内 幸春さん、他19人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 おはようございます。

村田 多鶴子 おはようございます~♪先生にお尋ねです。:『キリスト教とローマ帝国』は、ロドニー・スターク著(新教出版社)でよろしいですか? (私も読んでみたいので、発注致す為です。)
ご夫妻の、今日の歩みが守られ、祝されますようにm(__)m

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。

文屋 善明 コミセン(コミュニティーセンター)、ユリックスを回った理由は、そこの図書館で読売新聞2月20日号を読み、コピーするためでした。そこには「一神教は不寛容か」という特集が組まれているとのことです。
posted at 06:06:37


文屋 善明
2月24日 6:51 ·
今日の名言:RT @Michael_Ende_jp:
私たちのドイツ語でSinnという言葉には、奇妙なことにニ重の意味がありますね。複数のSinne(感覚)と単数のSinn(意味)。そして、「感覚」を通じて語りかけてくる「意味」、それが芸術なのです。(エンデ『闇の考古学』)
<一言>成る程、そうなんだ。

播 稔さん、北村 良輔さん、宮脇 温子さん、他20人が「いいね!」と言っています。
posted at 06:51:32

「昨日のツイート 02/22」をブログにアップしました。
http://blog.goo.ne.jp/jybunya/e/99358d9370543dfb7015bb41e7c040d…
posted at 08:18:05


文屋 善明
2月24日 6:46 ·
お目覚めの花。「寒かったり、暖かったり、どうなっているの。でも私たちはそういうことに惑わされず、自然体で咲いています。確実に春は近づいています」。

竹本 耕造さん、播 稔さん、宮脇 温子さん、他31人が「いいね!」と言っています。


文屋 善明
2月24日 6:39 ·
2015日々の聖句 02月24日(火)
お前たちの悪い道や堕落した行いによることなく、わが名のゆえに、わたしが働きかけるとき、イスラエルの家よ、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。(エゼキエル20:44)
イエスの名によってあなたがたの罪が赦されているからである。(1ヨハネ2:12)
私の黙想:
エゼキエル書は捕囚中のイスラエルの民に対する預言集である。エゼキエル書は基本的には、なぜイスラエルは滅ぼされ捕囚という悲劇に陥ったのかということを語り、完全な神の働きによってイスラエルが復活することを語っている。今日の聖句はエゼキエル書の観点からのイスラエル史(5〜31節)が述べられ、32節以下で捕囚からの解放を語る。ほぼ同じ時期に書かれたと思われる申命記神学における歴史観と対照的である。ここでは神は人間の行為には全く依存することがないことが強調されている。ここで注目すべき点はイスラエルが自分の罪を自覚し反省し、悔い改めたから、バビロンからの解放(赦し)があるのではないという点が強調されていることである(43節)。逆に、罪の自覚と反省は赦しの後に続くのである。赦された後に、罪の大きさを自覚し、悔い改めが起こる。ここに新約聖書における「福音」への通路がある。

竹本 耕造さん、播 稔さん、北村 良輔さん、他24人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 おはようございます。エゼキエル書よく読んでみたいと思います(^_^)

松浦 慶子 イエスの名によって、アーメン。

植村 光郎 旧約聖書の不可思議なところです。


文屋 善明
2月24日 8:30 ·
小さな子どもの「言い訳じみた嘘」はかわいいいが・・・
今朝の朝日新聞によると、「過激派組織「イスラム国」による人質事件で、日本政府はフリージャーナリスト後藤健二さんの妻に届いた身代金要求のメールなどを分析し、1月前半までにはISによって拘束されたと認識していたことが分かった。複数の政府関係者が明らかにした」とのことである。だとすると、首相はそれを知った上で、1月16日、中東歴訪のたびに出かけ、あの演説をしたことになる。この問題について政府は、1月20日まで、拘束の事実を確認できなかったとするが、それは嘘であることが明らかになった。小さな子どもの「言い訳じみた嘘」は可愛いが、権力者の言い訳じみた嘘は「可愛いい」では済まされない。

松下 光雄さん、安部 勉さん、細谷 民子さん、他40人が「いいね!」と言っています。
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植村 光郎 そのとおりです。一応、朝日のニュースソースも検証する必要もありますが。

堀 俊明 テロリストに政治は左右されません。もし後藤さんが自分の命と引き換えで難民支援がなくなったと知ったらどう思うか考えれば分かることです

藤木 冨士子 責任重いって気がします。


文屋 善明
2月24日 16:59 ·
田川建三『原始キリスト教とアフリカ━━帝国主義の宗教思想』(「歴史的類比の思想」勁草書房に収録、1976年6月発行)
スタークの『キリスト教とローマ帝国』を読みながら、これと同じテーマを取り扱っている田川建三氏の上掲の書を思い起こし、これを読み終えたら、もう一度読み直そうと考えていた。田川氏のこの論文は氏がアフリカ滞在中の1975年10月に書かれたものである。初出は月刊誌『伝統と現代』37号、(76年1月号)である。
田川氏は次のように問題提起をしている。
<何故原始キリスト教があれ程の速度と伝搬力を持って、当時の地中海世界全体を風靡したのか、という問いである。これはむろんイエスのせいではない。原始キリスト教のせいである。イエスのあの絶望的な生き方が世界史的規模ではやるはずはない。それはむしろ、そのイエスを救済者としてうまうまとかつぎあげた原始キリスト教がやってのけた仕事である。ただし、イエスをメシアとしてかつぎあげる、というだけのことで、これほどの世界史的からくりに成功するわけはない。原始キリスト教が狭義の原始キリスト教に、つまり最初期のパレスチナのキリスト教の水準にとどまっていたとすれば、万が一今日まで生き残ったとしても、それはちようど今日のアルメニアのキリスト教がそうであるように、世界史の片隅に忘れ去られて、奇妙な古代の遺物といった感じで辛うじて生き残つているにすぎなかっただろう。イエスをメシアとしてかつぎあげた、というのはせいぜいその程度のことしか意味しない。
問題は、そのイエスをメシァとしてかつぎあげた信仰が、どういうからくりにはまりこんだ時に、一挙に世界史的な「偉大さ」になったのか、ということである。答はある意味では簡単である。ローマ帝国がつくりだした古代的な帝国主義の状況がそれを可能にしたのである。それ以外に答はない。キリスト教は(その点イエスととキリスト教の間は明瞭に区別せねばならないが)、その本性からして帝国主義の宗教である。ローマ帝国による弾圧を一定期間蒙ったため、コンスタンチヌス以前のキリスト教は帝国主義に反対する宗教であったが、コンスタンチヌスによって帝国に奉仕する宗教に変えられた、と言って説明する安上りの俗説が「学者」の間にもしみ通っているけれども、手品ではあるまいし、皇帝が一人改宗したぐらいで、帝国主義に反対するはずの宗教が帝国に奉仕する宗教に変容する、などというわけにはいかない。もともとキリスト教がそれにふさわしい本性を持っていたにすぎぬ。むしろ、ローマ帝国がそれと気づいて利用するのが遅すぎたのが不思議だ、と言った方がよい。帝国の崩壊期になってはじめて、帝国の支配者がキリスト教に乗りかえた、というのは、ローマ帝国の歴史的個性の問題として面白い問題であるけれども、そこまで行くと話が拡散しすぎるから、 もとにもどるとして、 ローマ帝国が自覚的に利用しようとしまいと、キリスト教がその本性から帝国主義の宗教であったことに変りはない。だから「ローマ」帝国は滅びてもキリスト教自体はその本性に忠実に生き残りえたのである。>本書、4頁。
表現には田川氏独特の激しさがあるが、問題点は明瞭である。しばらく、この論文と取り組むこととする。

Hanna Bunyaさん、鈴木 ゴリ 宣仁さん、播 稔さん、他16人が「いいね!」と言っています。

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