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教会用語豆事典補遺2

2017-02-19 09:28:01 | 雑文
教会用語豆事典補遺2

(31) 祝日と斎日
教会暦には通常の「主日」の他に「祝日」と「斎日」とがある。祝日は、復活日を中心にした移動祝日と、降誕日を元にした固定祝日とがある。復活日は3月21日以後の満月の後の最初の主日(もし満月が主日にあたるときは、その次の主日)である。

(32) 斎日
斎日には「大斎節」と「聖職按手節」大斎節は大斎始日(灰の水曜日)以後主日を除いた40日で、とくに大斎始日と受苦日(聖金曜日)とは「断食日」とされている。
古い祈祷書では、聖職按手節も斎日とされる。冬期聖職按手節は降臨節第三主日後の、春期聖職按手節は大斎第1主日後の、夏期聖職按手節は聖霊降臨後の、秋期聖職按手節は9月14日(新しい祈祷書では「特定19の主日の)後の、水、金、土曜日である。ただし、新しい祈祷書では、「古来の慣習に従い守ってもよい」とされている。
その他、昇天前祈祷日、昇天前の月、火、水曜日。
および、毎金曜日、ただし降誕日から顕現日までと復活日から聖霊降臨日までの金曜日、および主の祝日と重なるときの各金曜日を除くと定められている(祈祷書8頁)。が、実際には毎金曜日の斎日はほとんど無視されているのが現実である。(2016.11.29)

(33) 斎日の習慣
古来からの伝統として、斎日には断食または節食する習慣があり、結婚式等の祝いごとは差し控えます。また、金曜日には肉食を避け、魚肉ならば許されるという習慣を維持している国もある。

(34 大斎節と大斎前節
古い祈祷書では大斎前節という期間が大斎節の前にあり、3週間続いた。それは大斎節に準じる期間で大斎節に向かっての心の準備期間であった。大差以前第三主日、大斎前第2主日、大斎前第1主日、大斎始日と続いた。それが現行の祈祷書では大斎前主日の週に短縮された。それだけ大斎節への取り組みが軽くなった。昔からの言い習わしに、「大斎節を克服する者は一年を制する」と言い習わされたものである。ローズンゲン、つまりルター系のドイツ教会ではいまでも「受難節前第3、第2、第1」が行われている。

(35) 大斎懺悔式
古い祈祷書では「大斎懺悔式」の式文があった。「この式は大斎始日その他主教の定める日に用いる」と定められていた。この式文で重要なことは、「説教のないときに司式者が行う「勧告」があったことである。現行祈祷書において、この勧告文がなくなったことは非常に残念なことである。ここに貴重な歴史的文書として勧告文を掲載しておく。

兄弟よ、むかし公会には明らかに大罪を犯したる者を大斎の初めに当たり、会衆の前にて懲らしむるならいあり。これ、この世にて罰せらるとも、主の日に救われんため、また他人にも戒めとなりて罪を犯すことを恐れしめんためにして、罪に対する神の大いなる怒りと、悔い改めざる者にきたるベきさばきとを思い、罪と怠りとを嘆き、行いを改むることを決心し、神のあわれみを願うためなり。
今や木の根におのは置かる、ゆえにすベて良き実を結ばざる木は切られ火に投げ入れらる。主の日のきたるはぬすびとの夜きたるがごとし、人びと平和無事なりと思うとき滅びたちまちきたらん、主言い給う、「その時かれら我を呼ばん、されど我こたえじ。ひたすら我を求めん、されど我に会わじ。彼ら知識を憎み、主をおそるる事を喜ばず、わか勧めに従わず、すべてわが懲らしめを卑しめたるによりてなり」と 。門を閉じて後たたくは遅れたり、さばきのときあわれみを願うはおそし。その時かれらの罪を正しく定めたもう主は、いと畏るべき声にて言いたまわん。「のろわれたる者よ、我を離れて悪魔とその使いらのために備えられたる消えざる火に入れ」と。
ゆえに兄弟よ、救いの日の過ぎざるうちに慎むべし、夜きたらば、たれも、わざをなすことあたわず。されば光あるうちに光を信じ、光の子のごとく歩むベし。神の恵みをなみするなかれ。神は大いなるあわれみをもって我らを悔い改めに導き、また真心をもって帰る者の罪を赦すことを約したまえり。我ら罪を犯したれども、我らをとりなす義なるるイエス・キリスト父のまえにあり、彼は我らの罪のために、なだめの供え物なり。彼は我らのとがのために傷つけられ、我らの不義のために打たれたまえり。
ゆえにあわれみ深き主に帰るベし。必ず我らを受け、我らの罪を赦したもうことを疑うなかれ。常に主にならいてへりくだり、耐え忍び、愛する心をいだき、聖霊の導きに従い、主の栄光をあらわし、感謝して主に仕うることを努むべし。
願わくは大いなるあわれみによりて、我らを御国に至らせたまわんことを アーメン(旧祈祷書515~516頁)

(36) ハレルヤ
ヘブライ語で「主をほめたたえよ」を意味する言葉。もともと「讃える、賛美する」を意味する動詞「ヒッレール」の複数命令形「ハレルー(讃美せよ)」に神の名ヤハウェを短縮した「ヤー」を付した形がハレルヤ。ラテン語などでは、ハレルヤの頭にある「h」を発音せずにアレルヤという。カトリック教会では典礼において「アレルヤ」を使用している。日本正教会では中世以降のギリシャ語を反映して「アリルイヤ」と発音される。

(37) ホサナ
ヘブライ語で「どうか、救ってください」を意味する「ホシア・ナ(hoshia na)」の短縮形「ホシャ・ナ(hosha na)」に由来し、それをギリシヤ語化した言葉である。キリスト教においては元来の意味が失われて歓呼の叫び、または神を称讃する言葉となった。日本語でいうと「万歳、万歳」のような叫び。ラテン語では「オザンナ」もしくは「オサンナ」と発音する。カトリック教会では公的礼拝において「ホザンナ」を、日本正教会では「オサンナ」を使用している。

(38) マラナ・タ
「マラナ・タ」というのはアラム語で「主よ、来てください」を意味する祈りの言葉である(1コリント16:22)の言葉です。アラム語はヘブライ語に似た近い言葉でイエスの当時のユダヤ人たちが日常的していたとされる。そのアラム語の言葉がその発音のまま、ギリシャ語で書かれた新約聖書の中に残ったのです。それは、この言葉がそれだけよく皆の耳になじんでいたということでしょう。これは、初代の教会において生まれた祈りの言葉です。ペンテコステの出来事によって誕生した、アラム語を話すユダヤ人たちの群れである最初の教会で祈られていた祈りの言葉が、そのまま新約聖書の言葉となったのです。そういう意味でこの言葉は、初代の教会の信仰をよく表わしたものであると言うことができるでしょう。

(39) アナテマ
新共同訳では1コリント16:22で「(主を愛さない者は、)神から見捨てられるがいい」と訳されている言葉、口語訳では「(もし主を愛さない者があれば)、のろわれよ」と訳されている。実は、この部分、「アナテマ」と「マラナ・タ」とが並べられている。しかし、「呪われよ」として「アナテマ」が聖書に用いられないので「キリスト教用語」の資格はないかも知れないが、非常に重要な言葉なので敢えて挙げておく。この他にもガラテヤ書1:8,9でも用いられている。
旧約聖書では、ヘブライ語の「へーレム」が神への犠牲を意味する「へーレム」が聖戦によって滅ぼした敵を神への捧げ物という意味に転化し、それがさらに「非常に強い呪いの言葉」となり、ヘレニズム時代では不心得者などに対する共同体からの破門を意味する言葉として用いられるようになった(エズラ10:8)。
それが70人訳ではギリシヤ語のアナテマが当て嵌められたのである。パウロはこの言葉を共同体からの追放を含めた強い呪いの言葉として用いている。こうした異質なものへの「呪い」の意を承けて、カトリック教会を含む古代教会では、アナテマは共同体からの除名、すなわち「破門」を意味する語として用いられるようになった。その証拠に、ニカイア信条などキリスト教の信仰箇条には、異端の説を信奉する者に対するアナテマが付加されるものが見られる。

(40) タリタ・クム(マルコ5:41)
これが「教会用語」かどうか、難しいところですが、知ってて損ではないので、まとめておく。これは、死んでしまったと思われていた一人の少女に語られたイエスの言葉である。「タリタ」は「少女」、「クム」は「立て」あるいは「起きよ」を意味するアラム語とされている。なぜ、これが翻訳されないでアラム語のままで使われているのだろうか。この時のイエスの言葉を直接聞いたのは、ペトロ、ヤコブ、ヨハネの3弟子の他、子供とその両親だけである。おそらく、この言葉を少女が後々まで覚えていて、繰り返し自分の経験を語り伝えていたのだと想像される。それでこの言葉をギリシヤ語に翻訳して語る訳には行かなかったのであろう。おそらく、イエスが日常的に使われた言葉がアラム語であったと思われる。
この出来事と関連して、使徒言行録第9章に興味深い記事が載っている。タビタという女性の話で、彼女は「沢山の善い行いや施しをしていた」と言われている。恐らく多くの人々は彼女の慕っていたのだと思う。その彼女が病気で死んだ。それだけに多くの人が彼女の死を惜しんだ。それで、人々は急いでイエスの弟子ペトロを呼び、泣きながら彼女のために祈って欲しいと願う。その時ペトロは彼女の遺体に向かって「タビタ、起きなさい」という。これをアラム語で言うと「タビタ・クム」である。さて、これと「タリタ、クム」の話とを並べてどう考えるか。全然関係がないと考えるか、彼女こそあの時の少女と考えるか、どこかで出来事が変形してしまったと考えるか。

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