ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

立ち会いで両手を付くこと

2008-09-17 14:25:35 | ときのまにまに
不祥事続きの相撲界も、新しい理事長を迎え、体質改善に取り組んでいるようです。理事構成や、日本相撲協会の組織上の問題は、ファンとしては、いわば「どうでもいいこと」です。要は、土俵の上での一番一番の充実が第一で、その点で、新理事長のもと、立ち会いの際に両手を土に付けるという原則が厳しく指導されていることはいいことです。以前から、気になり、このブログでも指摘してきたように、「立ち会いの張り手」という邪道は両手を地に付けないことの結果です。両者が両手を地に付けて立ち上がれば、張り手をする余裕はほとんどありません。手を付けていない、あるいは片手がぶらぶらしているからこそ、立ち会いにおける張り手が流行ることになります。今場所を見ていると、張り手がほとんどなくなりました。そうなると、今まで「勝ち急いでいた」力士は、淘汰されるでしょう。
仕切り直しの所作を観察していますと、今までもだいたいは時間制限前までは、両手を付けていたようですが、いざ時間いっぱいが宣告され、「待ったなし」となってからの立ち会いで手を付けていない力士が多かったようです。そこには、時間前にでも「呼吸さえ合えば」立ち上がるという立ち会いの大原則が、無意味化し、仕切り直しの緊張感がなくなっています。
今場所でも、片手だけを付けて、もう片手の方をぶらぶらさせ、立ち上がる瞬間に「ちょっと手を付ける」だけの力士が多く見られますが、それはなぜ立ち会いにおいて両手を付けなければならないのか、ということについての根拠付が薄弱だからだと思います。考えてみますと、両手を土に付けるということは、いわばヨツバイになることで、力士の姿としては堂々としており、最も美しい姿です。それと同時に相手に対する敬意も感じられます。それに対して、両手をぶらぶらさせている姿は、まして腰まで大きく揺らす立ち会いは、いかにも「勝ち急ぎ」が感じられ、「いやしさ」と「いじましさ」がにじみ出ています。
相撲の美学は、力が美しい形となり、形が鍛えられた力によって整えられるところあります。そこに凡人にはない、普段からの修業による「異形の美」があります。

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