日本ホーリネス教団教団委員会 委員長 江副喜介殿
「真情」
このたび、私は日本ホーリネス教団に辞表を提出いたしました。このことはホーリネス教団の信徒の家庭に生まれ、育てられ、東京聖書学院で学び、牧師になり、八年間も大阪のホーリネス教会で牧会した私にとりまして、決して軽々しい決断ではなく、重々しい大きな決断です。しかし、この決断は決して一時の迷いや、何らかの出来事に対する不満や教団の指導者たちに対する不信によるものではありません。
東京聖書学院での三年間の学びに始まり、大阪での牧会生活における信徒との交わりと関西学院大学神学部での聖書と神学との取り組みとによって深められ、さらに日本クリスチャン・アカデミーでの実践を通して徐々に成長してきたわたし自身の信仰理解とキリスト者像(生き方)とが、日本ホーリネス教団のそれとの間にギャップを持つと、わたし自身が判断するからにほかなりません。
とはいっても、わたし自身はホーリネス信仰における本来的なもの、本質的なものを否定して、捨てたというのではなく、むしろ、それの大切さを日々に感じております。
たとえば、聖書を通して「神の言」を聴こうとするその宗教性や、いかなる権力にも妥協しないで正しいと信じることを貫くバイタリティーなど日毎のわたしの課題です。それにしても現在のホーリネス教団では末梢的な事柄、単なる習慣的な事柄にとらわれ過ぎて、これらの遺産が充分に生かされていないように思います。
本来ならば、わたしはホーリネス教団の内部にとどまり、「ホーリネスのホーリネスなるもの」を根本的に(ラディカル)に問い、ホーリネス教団の今日的使命を共に討議して模索すべきだろうと思います。そして、それがわたしのホーリネス教団への真実の愛であろうと思います。信じているないことを「信じなさい」といい、真に信じていることをいかなる圧力にも屈せず、なりふりかまわず、ガムシャラに実践するということが、ホーリネスの伝統であり、ホーリネスマンの真骨頂であると思うからです。しかし、わたしとホーリネス教団との関係はあまりにも親しすぎますので、あえてその道を取りたくないのです。
むしろ、わたし自身が退くことによって、ホーリネス教団の人々には、「キリストにある友人」として、今まで以上に、交わりの中に覚えていただきたいと願っています。
わたしはわたし自身に与えられている「信仰の量」(ロマ 12:3)に従って、一つの選択をしたいと思います。
聖書を読み、神学を学び、何よりも信仰生活の中で、わたしにとって、またわたしの家庭にとって、教会とは何か、礼拝とは何か、ということを考えたとき、わたし(とわたしの家族)は日本聖公会の一つの教会を選んでおりました。決して日本聖公会の全てが気にいったから選んだのではありません。地上にある可視的教会で完全な教会があるはずがありません。また、「耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて」(テモテ第2 4:3)選んだのでもありません。
わたしにとって教会とは、わたしとわたしの家族にとっての教会です。こん選択において、わたしは誰に対してよりも、wたしの家族に対して真実でなければならないと思っています。特にまだ十分な対話と判断の場に居ない子どもたちに対して、将来からの批判に耐えねばならないと思います。
わたしはこの点で、ジョン・ウエスレーの両親の生き方に多くのことを学びました。さらに、ジョン・ウエスレーが終生英国国教会の司祭であったから、わたしも聖公会に停会しようと短絡して考えたのではありません。
わたしにとって最も大きな理由は、礼拝を礼拝ならしめているサクラメントの問題であり、リタジーの問題です。人間は究極者との関わりなしには人間であり得ない、ということはいうまでもありませんが、人間と究極者との持続的かかわりはリタジーなしにはありえないのではないかと思います。リタジーは形骸化しやすいものです。だからといって、形骸化したように見えるリタジーを捨ててしまうことは、産湯と共に赤子を捨ててしまうことになりはしないでしょうか。人間はリタジーなしに究極者と持続的に関われるほど強い存在ではないようです。むしろ、リタジーを日々に新たにするものが信仰であり、信仰を持続化するものこそリタジーではないでしょうか。
ともあれ、幸い日本聖公会京都聖三一教会では、わたしとわたしの家族とを信徒の末席に加えてくださるとのことです。わたしどもは与えられている信仰の馳せ場を一所懸命歩きたいと願っています。
1975年12月20日
「真情」
このたび、私は日本ホーリネス教団に辞表を提出いたしました。このことはホーリネス教団の信徒の家庭に生まれ、育てられ、東京聖書学院で学び、牧師になり、八年間も大阪のホーリネス教会で牧会した私にとりまして、決して軽々しい決断ではなく、重々しい大きな決断です。しかし、この決断は決して一時の迷いや、何らかの出来事に対する不満や教団の指導者たちに対する不信によるものではありません。
東京聖書学院での三年間の学びに始まり、大阪での牧会生活における信徒との交わりと関西学院大学神学部での聖書と神学との取り組みとによって深められ、さらに日本クリスチャン・アカデミーでの実践を通して徐々に成長してきたわたし自身の信仰理解とキリスト者像(生き方)とが、日本ホーリネス教団のそれとの間にギャップを持つと、わたし自身が判断するからにほかなりません。
とはいっても、わたし自身はホーリネス信仰における本来的なもの、本質的なものを否定して、捨てたというのではなく、むしろ、それの大切さを日々に感じております。
たとえば、聖書を通して「神の言」を聴こうとするその宗教性や、いかなる権力にも妥協しないで正しいと信じることを貫くバイタリティーなど日毎のわたしの課題です。それにしても現在のホーリネス教団では末梢的な事柄、単なる習慣的な事柄にとらわれ過ぎて、これらの遺産が充分に生かされていないように思います。
本来ならば、わたしはホーリネス教団の内部にとどまり、「ホーリネスのホーリネスなるもの」を根本的に(ラディカル)に問い、ホーリネス教団の今日的使命を共に討議して模索すべきだろうと思います。そして、それがわたしのホーリネス教団への真実の愛であろうと思います。信じているないことを「信じなさい」といい、真に信じていることをいかなる圧力にも屈せず、なりふりかまわず、ガムシャラに実践するということが、ホーリネスの伝統であり、ホーリネスマンの真骨頂であると思うからです。しかし、わたしとホーリネス教団との関係はあまりにも親しすぎますので、あえてその道を取りたくないのです。
むしろ、わたし自身が退くことによって、ホーリネス教団の人々には、「キリストにある友人」として、今まで以上に、交わりの中に覚えていただきたいと願っています。
わたしはわたし自身に与えられている「信仰の量」(ロマ 12:3)に従って、一つの選択をしたいと思います。
聖書を読み、神学を学び、何よりも信仰生活の中で、わたしにとって、またわたしの家庭にとって、教会とは何か、礼拝とは何か、ということを考えたとき、わたし(とわたしの家族)は日本聖公会の一つの教会を選んでおりました。決して日本聖公会の全てが気にいったから選んだのではありません。地上にある可視的教会で完全な教会があるはずがありません。また、「耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて」(テモテ第2 4:3)選んだのでもありません。
わたしにとって教会とは、わたしとわたしの家族にとっての教会です。こん選択において、わたしは誰に対してよりも、wたしの家族に対して真実でなければならないと思っています。特にまだ十分な対話と判断の場に居ない子どもたちに対して、将来からの批判に耐えねばならないと思います。
わたしはこの点で、ジョン・ウエスレーの両親の生き方に多くのことを学びました。さらに、ジョン・ウエスレーが終生英国国教会の司祭であったから、わたしも聖公会に停会しようと短絡して考えたのではありません。
わたしにとって最も大きな理由は、礼拝を礼拝ならしめているサクラメントの問題であり、リタジーの問題です。人間は究極者との関わりなしには人間であり得ない、ということはいうまでもありませんが、人間と究極者との持続的かかわりはリタジーなしにはありえないのではないかと思います。リタジーは形骸化しやすいものです。だからといって、形骸化したように見えるリタジーを捨ててしまうことは、産湯と共に赤子を捨ててしまうことになりはしないでしょうか。人間はリタジーなしに究極者と持続的に関われるほど強い存在ではないようです。むしろ、リタジーを日々に新たにするものが信仰であり、信仰を持続化するものこそリタジーではないでしょうか。
ともあれ、幸い日本聖公会京都聖三一教会では、わたしとわたしの家族とを信徒の末席に加えてくださるとのことです。わたしどもは与えられている信仰の馳せ場を一所懸命歩きたいと願っています。
1975年12月20日