ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

出会いについて(「つのぶえ」1976.5.20)

1976-05-20 14:05:34 | つのぶえ
確か昭和33年頃であったと思う。佐古純一郎氏の「大いなる邂逅」が教文館より出版され、私は東京の新宿にあった聖書学院でそれをむさぼるようにして読んだ。当時、そこの学生であった私にとってそれは一つのショックであった。その理由は第一に、少し変な話ではあるが、私が属していた教団とそのグループ以外のところでこれ程明確な救いの体験がなされたということ、第二に、キリストの救いということにこれ程美しい文学的表現が与えられ得る、ということ、第三に、「邂逅」とか「出会い」ということに、これ程深い人格的意味が付与される、ということであった。
 それから10年後、昭和43年に、私は「出会い」とか「話し合い」を課題とするアカデミー運動のスタッフとして働くこととなった。
 人間の人格的豊かさは、その人がどれ程多くの人に、またどれ程深く「出会」っているかに比例しているように思う。ある場合は著書を通して、ある場合は顔と顔とを合わして、ある場合は共通の課題に向って共に働くことによって、ある場合は苦しみを分かち合って人格的な出会いがおこる。それは相手についての情報(知識)とは無関係ではないが、その情報量によっておこる訳ではない。何年も同じ職場で一緒に働いていてもおこらない場合もあれは、初めての会合で、人格的交流が始まる場合もある。
 この出会いの神秘をときほぐし人格的な接触が稀薄になっている現代産業社会の中に、出会いをもたらそう、というのがアカデミー運動の一つのねらいである。むしろ出会いの場の設定と条件作りと言ったほうがよいかも知れない。
 人間は見知らぬ相手、つまり自分が作り上げたものではない他者に出会って、自分自身を変化させる。相手の存在そのものが私自身の限界を示し、相手との交流を通してその限界を打ち破る力が私自身の中に生じる。そして人間は成長する。よく知っていると思っている相手、例えば自分の子供の中に「見知らぬ者」を見出し、他者として出会う。
 イデオロギーでコチコチになっている人々は、相手の中にある自分と異なるものを、自分自身の限界または誤謬を示し克服するものとして受容出来ないで、ただ相手の誤謬としてしか考えられず、批判が始まる。そこには決して出会いはおこらない。このことは政治的イデオロギーのレベルよりも、宗教的イデオロギーの世界での方が根深い。
 キリスト者が陥り易いあやまちは、キリストとの出会いの絶大さのために、それ以下の出会いを矮小化してしまうことである。「大いなる邂逅」 (キリストとの出会い)によって人格的地盤の重要性に目覚めた人々は、人と人との出会いを大切にし、むしろそこにキリストが今生き給うことを見ているはずなのだが………。
 キリスト者も色々な人々との出会いによって人格的に豊かになっていく。宗教的には非常に深く、しかし人格的に痩せこけた人は奇怪である。
 8年前、私がアカデミーで働くようになって間もない頃、聖三一教会の小谷司祭にほとんど偶然に出会った。出会いは常に偶然である。しかしその偶然を神の導きとキリスト者は考える。
 いつの間にか、小谷先生と色々なことを話し合うようになった。仕事以外のことも相談するようになっていた。そのことが、このたびの私の転会の契機となっている。1973年の冬にはもうー人の聖公会の司祭と出会った。西マレーシアのジャンプナタン司祭である。彼の敬虔さと信仰のダイナミックさには驚嘆した。私はそこに現代のイエスの姿を見た。昨年の復活祭は彼の教会で彼の家族と共に過した。
 (筆者は日本クリスチャン・アカデミー関西セミナーハウス主事。今年初め聖公会へ転会、三月末に堅信受礼)京都聖三一教会信徒 

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