ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

昨日のツイート 04/01 消費税増税前夜の報道に思う

2014-04-03 08:52:17 | ツイッター
お早ようございます。主の平和。午前『痴愚神礼讃』の1節から21節までの概説(1)をまとめる。夜は「ダブルフェイス」を見て11時に就寝。5時起床。体調快調、チュン、チュン。

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藤木 冨士子 おはようございます。

萩野 秀子 おはようございます。チラシ配りをします。良き日となりますように。お祈りします。

町田 勝彦 おはようございます♪♪
posted at 05:26:44

文屋 善明
今日の名言:RT @Indianteachings:
あなたが生まれたとき周りの人は笑って、あなたが泣いたでしょう。だから、あなたが死ぬときはあなたが笑って、周りの人が泣くような人生を送りなさい。(ネイティブ・アメリカン)
<一言>ウーム、深いね。というより、怖いね。

糸原 由美子さん、林 巌雄さん、Yutaka Tanabeさん、他23人が「いいね!」と言っています。

藤木 冨士子 枕頭で遺産の争いということはないけど。

文屋 善明 持っている人は生きているうちに分け与えねばなりません。

藤木 冨士子 そしたら泣いてくれるよね。タビタみたいに。

文屋 善明 そう、そう。もっと稼いで逝ってくれたらよかったのに、とか言っちゃって。

村田 多鶴子 家事調停委員をしていた頃、親の遺した財産をめぐって骨肉の争いをするのをしばしば目の前にして、いったいどこまで欲と二人連れするつもりだろう?という思いでした(>_<)
我が親たちは早くに亡くなりましたが、物ではなく、兄弟思いの仲の良い兄弟姉妹と言う最大最高の遺産を遺してくれたこと、いくら感謝しても感謝しきれない思いです~♥

寺田 由志子 おはようございます。今日の名言は心にビビッときました。(^_^)
多鶴子さんのおっしゃるように 仲の良い姉妹兄弟、そして信仰も大切な遺産です。感謝♥️感謝♥️
posted at 06:27:40

文屋 善明
NHKこころ旅、愛知県の山奥で「心の風景」の手紙を読む。大晦日の日に「父が自転車でたどった道を走ってほしい」。西尾市の自宅から豊川市の財賀寺迄行ってきたとのこと。本日はその復路をたどる。鴨うどんの店。美味しそう。下り道あれば上り道あり、本日の走行約45キロ。

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posted at 07:59:31

文屋 善明
お目覚めの花。「さぁ、今日から4月だ」「新年度が始まる、という感じかな」「そうね、何かいろいろなことが起こりそうな予感がしますね」「プライベートでも、パブリックでも」「何んで、こんな時にカタカナを使うの」「いや~、ただモヤモヤしているので」。
写真: お目覚めの花。「さぁ、今日から4月だ」「新年度が始まる、という感じかな」「そうね、何かいろいろなことが起こりそうな予感がしますね」「プライベートでも、パブリックでも」「何んで、こんな時にカタカナを使うの」「いや~、ただモヤモヤしているので」。

北村 良輔さん、大野 泰男さん、牧口 望さん、他26人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明
4月1日
2014日々の聖句 04月01日(火)
「人がわたしにするように、わたしもその人に対してしよう。それぞれの行いに応じて報いよう」とはあなたの言うべきことではない。(箴言24:19)
イエスの言葉: 憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。(マタイ5:7)
私の黙想:
「あなたの言うべき事ではない」に引っかる。口語訳、新改訳は単純に「言ってはならない」、フランシスコ会訳ではもっと単純に「「言うな」で、新共同訳だけが何故こういう訳し方をしたのだろうか。確かに、今日の聖句は「上から目線」を感じる。前半は単純に「同害復讐法」(出エジプト21:23~25、他)であるが、後半の文章は明らかに被害を受けた当事者目線ではない。その意味では、新共同訳はそのニュアンスを表している。根拠は明らかではないが、勝村弘也氏(岩波訳)は後半の文章は「後代の挿入句か」と疑問符を付けているし、フランシスコ会訳では「同害復讐法の誤った解釈である」と注釈し、同じ思想が箴言20:22にも見られるという。確かに「復讐」という思想は危険な面を持っている。人間が考える復讐は常に「倍返し」となり、無限に繰り返されることになる。従って、イエスのように単純に「復讐するな」ということになる。パウロはこれをねじ曲げて、ロマ書12:20のように「燃える炭火を彼の頭に積む」という思想となる。イエスにおいてはこの復讐法は「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」というポジティブな思想へと転換される。

大野 泰男さん、北村 良輔さん、Yutaka Tanabeさん、他19人が「いいね!」と言っています。

清水 行雄 先生、おはようございます。今日の箴言は、マタイ7章12の正反対ですね。(何か歴史的背景があるのでしょうか?)

文屋 善明 ここにイエスの「革命性」があるのです。それ「歴史的背景」です。

文屋 善明 ついでに言うと、パウロはそのイエスの思想を旧約の方に逆にひねってしまったというべきでしょうね。

清水 行雄 マタイ福音書7章の前半は、いいですね(^^)

清水 行雄 以前、マタイ福音書7章7から12を、利己主義と利他主義の矛盾を克服する聖句として読みました(^^;)

溝田 悟士 これは法治かも知れませんよ。

文屋 善明 「法治」という意味が分かりません。

門叶 国泰 丁寧な解説を頂き感謝いたします。「上から目線」で納得しました。また、フランシスコ会訳の注の「しかし、これに対し、」という意味がつかめずに困っていました。すっきりしました。

清水 行雄 これはソロモンに対する神の忠告の言葉ではないですか?

文屋 善明 この部分に関しては一応ソロモンとは関係なく、紀元前8世紀頃に収集された格言集だと思われます。

清水 行雄 先生、ご教示ありがとうございます。一応ソロモンの言葉だと仮定すると、ソロモンはあくまで人であって、神の言葉に従って生きるべきで、自ら神の言葉を語ってはならない、という様に読めませんか?

文屋 善明 私が「上から目線」といったとき、そこには「神の視座」を念頭に置いています。

清水 行雄 すみません。話がずれますが、イエスを神の子として信じ切れるかどうかに、福音のすべてがかかっていると、直観的にかんじているものですから(^^;)

文屋 善明 それで? 先日読んだ『ユダヤ教の福音書」で、イエスを「神の子」と呼ぶときそれは人間で、イエスを「人の子」と呼ぶときはそれは神である、ということを学び、ショックを受けました。

清水 行雄 神でもあり、人でもあるイエスというのを、キリスト教の外部で生きてきたものとしては、それがありえたのかわからない。これを「躓き」というのですかね(^^;)

文屋 善明 そうです。それが躓きです。躓いているということは少なくとも、そちらの方向に歩いている、あるいは走っている証拠です。躓いて倒れて、その石を拾ってみたところ、それが宝だったというのが信仰です。(参照:マタイ13章44以下)

文屋 善明
本日、重大発表をしようと思いましたが、4月1日なのでやめました。

舟田 譲二さん、望月 克仁さん、竹花 京子さん、他42人が「いいね!」と言っています。

三浦 三千春 輻輳して循環する理論(^o^)

木下 海龍 ????

町田 勝彦 私は、やっと20才になりました!(^_^;)))

三浦 三千春 私は15歳です!

清水 晴好 私は17歳です。って、「十代」発表???

三浦 三千春 うまい!!!

Yutaka Tanabe 重大発表というのが、エープリルフールでのことですか。

堀 俊子 選挙に出るんですか?(^з^)-☆

三浦 三千春 (^з^)-がクセモノ

堀 俊子 明日、楽しみにしています。(^-^)

糸原 由美子 重大発表するということそのものが4月1日なのでしょうね!あまりおどろかさないでください。

文屋 善明 もし、今日、私が重大発表するとしたら、どういうネタがあるでしょうね。朝からずーっと考えています。あれは重大ではないし、そうだ、あのことももう皆に知れ渡っているし、就活も婚活も関係ないし、病気も慢性だし、大斎の禁欲もしていないし、まぁ、明日まで考えます。

堀 俊子 胸騒ぎしますよ~

文屋 知明 糸原さん、鋭いいいい!

村田 多鶴子 文屋先生、重大発表をあれこれお考えになるよりも、一週間ぶり運動をされて良い汗を流されたわけですから、今夜は、質の良い眠りを!って思ってしまいます♥

文屋 善明 質の良い眠りは、孫娘が奈良に帰った晩からできています。

金井 由嗣 僕はウソが苦手なので、毎年この日には沈黙しています。( ̄▽ ̄)

文屋 善明
写真: バタバタしていて1週間抜けましたが、今日はジムに行って、筋肉をほぐしてきました。心地よい疲労感です。

若月 新一さん、大脇 友弘さん、木下 海龍さん、他29人が「いいね!」と言っています。

文屋 善明さんがShoichiro Ikenagaさんの写真をシェアしました。
4月1日
その通りです。4月1日の今日、この記事をシェアのトップ記事にします。

写真は記事と無関係。
写真: 消費税増税前夜に買い走る国民の姿を映し出す報道に思う

2014年04月01日  天木 直人
消費税増税を前に買い物に走り回る国民の報道を見てつくづく思う。
消費税増税に怒るどころか、それを粛々と受け止め、少しでも節約しようと努力する国民のなんと従順なことよ。
かつて東京特派員の外国人記者がうそぶいていた通りだ。
すなわち自分がこの国の首相ならシェパード犬5匹もいれば十分だ。日本人は羊の群れのごとくだと。
もちろん消費税増税に怒っている国民は多い。
買いだめに走るような真似はしないと考える国民の方が多数だと世論調査は教えてくれていた。
だから買い物に行列する姿を映す報道も、そしてその中で消費税増税に怒りの声をぶつける者が見当たらないのも、作為的な報道に違いない。
それにしてもこの報道には心底腹が立った。
それはきょう4月1日の読売新聞が「消費税きょう8%」という大きな見出しで一面トップに掲げた記事だ。
消費税増税をトップ記事にするのはいい。
どこの新聞も大きく取り上げている。
私がその読売新聞の記事を、国民を馬鹿にした見え透いた御用記事と腹を立てたのは、その記事が臆面もなく次のような言葉で始まっているからだ。
「消費税を増税するのは、高齢化が進み、年金を受け取ったり介護を受けたりする人が増え、社会保障にかかる費用が毎年1兆円規模で膨らんでいるためだ。保育所に入れられない待機児童を減らすなどの少子化対策も必要なため、政府は、今回の消費税増税分をすべて社会保障の財源とする・・・」

これは安倍政権が繰り返してきたウソだ。
そのことは国会審議などを通じてさんざん議論され、明るみになった。
おまけに安倍政権は社会保障との一体改革を放棄して増税を先行させた。
消費税増税分が流用されることも見抜かれた。
だから消費税増税は許せないのだ。
それにも拘わらず、冒頭のような、まるで安倍首相の国会答弁のような記事を掲げる。
読売新聞は国民をバカにした反国民的な新聞である動かぬ証拠である(了)

写真は記事と無関係。

https://www.facebook.com/photo.php?fbid=438336036312600&set=a.125353594277514.38393.100004086215488&type=1&theater

矢野 寛子さん、玉城 豊さん、望月 克仁さん、他25人が「いいね!」と言っています。

清水 晴好 このポスターは「ウソ」じゃないな。

文屋 善明 鋭いですね。このポスターが「ウソ」ではないというコトをどういう論理で言えるのだろうか。ウソを描いているポスターを加工して、ホントを描いている。その加工のプロセスは「ウソ」である。単純化して言うと、ウソをウソによってホントを暴く。つまり、ウソのウソがホントという論理。これがエイプリルフールの意味。

矢野 寛子 消費税、社会保障のためと言いながら、社会保障に使われたためしがない。少ない年金生活で慎ましく生活しているのに、その年金すら下げてしまい、政府は大企業と金持ちだけを優遇している。それなのに誰も怒らない。私は怒ってる。(>_<)

<「現実」についての対話>
清水 行雄 ついでにいうと、体外受精した受精卵を母体に帰して妊娠し、現実に子供が生まれている時代です。何が現実なのかが分からない、現実の存在など認めない世代が、生まれてきても何ら不思議ではない。

文屋 善明 深いね。「現実の存在など認めない世代」というのが私には理解できません。それが「現実」であって、現実でない現実は存在しない。理想が場を持たないというのとは違う。また、複数の現実があるのとも違う。問題は「ヴァーチャル・リアリティ」をどう位置づけるのかということが問題なのであって、体外受精の問題と混同してはならないと思う。

溝田 悟士 現実世界とは一人称が存在する世界のことです。他の世界が存在するのか、概念に留まるのかには議論があります。

文屋 善明 二人称がなくて一人称だけ存在する世界というのを考えることができるでしょうか。哲学の世界では「主語となって述語にならないもの」という問題設定がありますね。

文屋 善明 逆に、二人称、三人称があって、一人称のない世界を考えることができるでしょうか。

溝田 悟士 想定出来ると思いますね。たとえばひとりの神が世をお創りになる前です。世界が創造されて、二人称が可能となる。

文屋 善明 あ、そっちに行ったか。ずるい。やはり、あなたはあなたの言うとおり、ファンダメンタリストだ。

文屋 善明 神だけが存在する世界を「現実」といえるかどうか。

溝田 悟士 いや、神と呼ばなくても、私、ここ、今からしか、世界は始まらないんです。

溝田 悟士 呼ぶ人そのものがいない(^-^;

溝田 悟士 何が現実かも定められない世界ですよ。時間すらないんだし。

文屋 善明 でしょう。それは少なくとも「現実」とは言えない。と同時に「非現実」とも言えない。

文屋 善明 神における「ヴァーチャル・リアリティ」?

溝田 悟士 純粋にこういう問題ですね。

http://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%9B%B4%E7%A4%BA

直示 - Wikipedia
ja.wikipedia.org
直示(ちょくじ)とは、語用論において意味が文脈に依存して初めて決まる語あるいは言語表現をいう。つまり同じ表現であっても、視点の置き方によって具体的な意味が異なるものである。ダイクシス(Deixis、ギリシア語δειξις)ともいう。

文屋 善明 言語学の世界に入ると、もうお手上げです。チョムスキーまでです。

文屋 善明 もう、風呂に入って寝ますので、この続きはまた明日。

溝田 悟士 我と汝、なんて案外いいとこ突いてるんじゃないかと、読み直してます。

文屋 善明 私もそれを考えていました。「われとそれ」も無視できない。

清水 行雄 僕の知らない間に、お二人で難しい哲学論議をされていたんですね(笑)僕の言いたかったのは、仮想現実とか電脳社会とか呼ばれるリアリティの変容についてです。ついひところ前までは、プログラミング言語やAKB48のコンサートに、いわゆる現実以上のリアリティを感じる若い人も少なくなかったのではないかと思います。それが、3年前の3.11の全貌が明らかになるにつれて、電脳空間というか、一種の夢の空間が破られて、むき出しの現実と、自らの肉体・命について、気づかされることになった。ある意味で、私たちは、電脳空間後の社会を生きているのではないでしょうか?それが、僕の現状認識です(^^)

文屋 善明 私はヴァーチャル・リアリティというのは幻想であって、リアリティとは思っていませんので(若者たちにとっても)、「電脳空間後の社会」というのがわかりません。ただ単に夢が覚めて現実に戻ったというだけで、「前」とか「後」はないと思っています。例えば一時期「日本的終身雇用制」が問題になり、労働時間の短縮や、社員の新規採用の自由化、副業の承認、労働者の派遣制度等々が労働組合から要求され、それらを経て「会社人間」から「社会人間」にならねばならないと叫ばれた時期があります。しかし現実にそれが実現したとき、それは「失業」という現実、派遣制度という現実となり、やはり昔の「日本的終身雇用制」が良かったのだと思うようになったというようなことではないでしょうか。

清水 行雄 先生、おはようございます。さすがに年長者だけあって、物が見えていますね(^^)

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