この梅雨の読書、佐藤愛子さんシリーズ続きです。
『これでおしまい 我が老後』佐藤愛子
我が老後シリーズ第7弾。
このところの風潮に物申しております!(例えば言葉遣いとか)
その中でも特に心にひっかかったのが「個性」について。
一文を引用すると
・・・腐りかけの豆腐がうまいと思うことをその人の個性だとは言わない。それはその人の「好み」である。好みであればその臭いにいやたまらん、やめてよと顔をしかめて見せたり出来るが、へんにもっともらしく「個性」だといわれると我慢しなければいけないような気がしてくるではないか。○○青年のいでたちは個性なんてものじゃない。ただの「好み」だ。それをわざわざ「個性」というところが今ふうなのであろう。
当時、某オリンピック選手の服装について論争があった時のことを引き合いに出してのお話なのですが、
確かに今は「個性」の大合唱だ。
個性を大切にしましょう。個性を引き出してあげましょう・・・個性、個性、
・・個性てなんだろうなぁ?
欠点は考えようによっては個性となる。でも痴漢は絶対個性ではない。
考えてみるとその線引きは非常に微妙になってくる。
少なくとも、はた迷惑な独りよがりの「好み」をこれは自分の「個性」だと勘違いし、
陰で眉をひそめられないように気をつけなければ・・・。
もうひそめられてるかしらん!?
これまでのエッセイで佐藤家についての少しばかりの予習が出来たところで
いよいよ本丸にのり込む(←大げさな)ことにしました。
『血脈 上中下』佐藤愛子
愛子さんが12年の歳月をかけて書き上げた佐藤家の荒ぶる魂を描いた佐藤家の歴史小説。
上巻では愛子の母と父洽六(作家佐藤紅禄)の出会いから隆盛、母の苦悩、
洽六が捨てた前妻との間の息子達の苦悩と父との葛藤などが描かれる。
息子達と言うのがまた揃いも揃って不良・道楽者で、洽六は息子達の金の無心と借金の返済に悩まされることとなる。
中巻では戦中となり、洽六の衰え、引き換えるように詩人として大成していく息子八郎(サトウハチロー・愛子の異母兄)、
しかし悩まされた息子達は八郎を除いてみな不幸に死んでいく。洽六の死。
そして八郎の息子達もまたその不良の血を引き継ぎ、自分をどうすることも出来ずにもがく。
下巻では愛子は仲のよかった姉との確執、離婚した夫の借金に悩まされながらも、作家として立つ。
やがて八郎が死に、その息子達も死に、荒ぶる佐藤の血は次第に消えて行く。
読み終えて、うちは普通でよかったなぁ~とつくづく思ったわ~(笑)
洽六には八郎と愛子の他に、愛人の子である大垣肇が脚本家・劇作家として活躍しており、
受け継がれる才能には感嘆する。
しかし才能を生かせた者以外はほぼみな堕落しており、
洽六や八郎だって作家としてたったからこそだけれど迷惑度は相当なもので、
サトウハチローに関しては相当嫌いになったよ・・・。
でも一方では洽六も八郎も兄弟も周りは大変な思いをさせられながらも
人を楽しませ笑わせるカリスマ性のような魅力を持ち合わせており・・・、
そのどの一面も本当のその人なのでしょう。
愛子さんもその血をきっちり受け継いでいるということで、
大変なご苦労をされて様々な経験をして今の柔らかなお顔があるのだなぁ・・と
これからもますますお元気で長生きしていただきたいです。