じゅりりんのめげずにいくのだ*

ドールハウスやちっちゃいもの、ガーデニング、手芸など趣味や日常を中心に時々思い出わんこも登場します。

雄勝花物語

2017-03-12 14:36:24 | 東日本大震災

NHKの「趣味の園芸」の中で、昨年4月から月1回のペースで放送されていた
『雄勝花物語』。

奇跡のガーデンと呼ばれた『雄勝ローズファクトリーガーデン』を紹介したものです。
もともとは宮城県石巻市雄勝町の女性が津波で亡くなった母親を弔うために
実家跡地に花を植え始めたのがきっかけで、
その後、ボランティアの方々や地元の方々、たくさんの方々の賛同と協力を得て
素晴らしいガーデンが出来上がっていったのです。

地元が宮城の私は帰省した折にはいつか行きたいと熱望しておりました。

それがですよ。
昨年、新しい道路を作るからとそこを立ち退かなければならなくなったのです。
そもそもは既存の道路を利用していくことになっていたのに
企業を誘致するために新しい道路が計画されたのです。
もちろん新しい町作りを否定するわけではありません。
でもすぐ横に既存の道路があるんですよ?
何もガーデンの上を通さなくても、
ちょっとずらしてすぐ横の道路を活用すればいいじゃないですか=3
私はこの新しい道路ルートを考えそして認可した人物を呪う
たくさんの方々の一つ一つの手が作り上げてきたガーデン・・・
沢山の思いが詰まりに詰まっているガーデン・・・
代替え地を用意するからそこにまた作ればいいでしょ?って問題じゃないでしょ=3
それが「復興」なの!?と
私はもう腹がたって腹がたって×

でも、彼女は自分だけが反対しているわけにも行かないと移転を決められていました。
現在は移転先の整備が進められているようです。
今度は食事やお土産を扱う施設も作られるようです。
彼女は一番最初に花を植えた時の思いと、
進む方向が変わってきているのではないかと随分悩まれたようですが・・。

でももはやガーデンは彼女一人の思いのものではなく、
すっぱりなくなってしまうんだったら私だって悲しい。
最初の一株を植えたあの時と思いは同じ・・
より素晴らしいガーデンとなることを心よりお祈りしています。


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5年

2016-03-11 15:19:31 | 東日本大震災

東日本大震災から今日で5年が経つ・・・。
長いような短いような・・どっちでもあるのだろう・・・。

私の実家は宮城県の石巻だけれど、うちの実家は津波からも免れたし、
知っている人はたくさん亡くなっているのに、これはもう本当に奇跡みたいに
地元の同級生にも親しい人にも近しい親戚にも亡くなった人や行方不明の人はいない。
だから津波で失った人への本当の悲しさはわからないのかもしれない。

なぜなら私は幽霊が怖い。

震災の後、この手の話は自分でタブーとしてきたけれどそんな話は帰省するたび本当によく聞いて、
私は今でも帰省時には暗くなったら一人では絶対出かけないようにしているくらいだ。


妹の同級生がずっと行方不明のまま5年経つ。
先日その子のお母さんとうちの母が何かのイベントで会ったそうなのだが、
夜、そのお母さんとお父さんが2人で炬燵にあたりながら、
5年経つからそろそろ探すのをあきらめようかと話していたちょうどその時
テレビの前にその行方不明の息子さんが立ち現れたのだという。
もっと探して欲しいのか、今まで探してくれてありがとうなのか、
どんな表情をしていたのかまではわからないけれど・・・。
亡くなった人は本当に近くにいるものなんだなぁ・・・と、しみじみと思った次第。


合掌。


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3年経って

2014-03-12 17:04:37 | 東日本大震災

昨日は東日本大震災から3年目の日でした。

それにちなんだことを書こうと思っていたけれど、
いろいろありすぎて結局全然まとまらなかった。


ただただ、犠牲となられた方々のご冥福を心よりお祈りいたしますとともに
未だ避難生活を送られている皆さまが一日も早く安住の地での暮らしを迎えられますことを。









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2年・・・

2013-03-11 17:56:03 | 東日本大震災

東日本大震災により亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。


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あれから1年

2012-03-11 21:59:28 | 東日本大震災

東日本大震災から今日で1年が経ちました。

失われた多くの魂があの日より少しでも安らかでありますよう願わずにはいられません・・・。

『復興』が一筋縄では行かないことはこの1年でよくわかりました。
でも、私たちは前に進める。 


けして忘れない―――。

 

 

 

 

 


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震災から半年・・・

2011-09-12 17:06:50 | 東日本大震災

昨日9月11日で東日本大震災から半年が経ちました。
奇しくも、アメリカ同時多発テロから10年。

1000年の1度の大地震だとか大津波だとか、未希有の大災害だとか大事件だとか
大きな災害や事件が起こるたびにいかにもあるはずもない稀なことのような言い方をするけれど、
私が生れてからこの何十年の間にもそんな未曾有な事柄が一体いくつあったことだろう?

昨日のニュースで被災地の某町長さんが「私達は歴史の中にいるということを実感している」とかなんとか言っていたが、
今あるのは皆それを乗り越えてきたからなんだ。
そしてこれからも私たちは乗り越えて行く―。


しかしそこに水を差すのが原発事故だ。
そこにただいることも出来ないなんてそんなことがあるだろうか?
メルトダウンしたらどうなってしまうの?どうかしませんようにと必死に祈っていたのに
とっくにメルトダウンしていたのだからかた腹いたい。

世界は世界中で最高に頭のいい人たちが考え発明したもので進歩してきたのに
どうしてどんどん汚れていくのだろう・・・。

・・・なんて言ってるとどんどん暗くなってくるのでもうやめよ・・・

相変わらずうだうだ中のじゅりりんなのでした
暗くてごめんなさい
コメント欄は閉じときますね(^^;

そろそろ復活しなくちゃ
さて、明日は初めての胃がん検診なの!
バリウム上手く飲めるかしら~~~~。どきどき・・・


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震災から4ヵ月

2011-07-11 19:17:09 | 東日本大震災

今日で震災から4ヶ月が経過した。
なんてあっと言う間なのだろう?でもそれ以上の時間が経ったような気もまたする。
昨日の地震による再びの津波警報にはヒヤリとしたが・・。


先日の某元復興相の辞任騒動には呆れ果てて触れたくもないが、
あそこで己を省み、例え土下座をしてでももう一度自分にやらせてほしいと、そして被災地をその足で巡り、
誠心誠意復興に尽力しその職務を努めあげたのなら、彼はどんなに偉大な政治家となれたことだろう。
まあ、もうどうでもいいけど。


さて、避難所暮らしをしていた埼玉の妹のお義母さんは今月から仮設住宅に入居したそう
元の地域の住人がまとめて同じ仮設住宅に入り、お隣さんも以前と同じお隣さんだったんですって
みな知っている人だから安心だ
阪神大震災の時に仮設住宅の住人が知らない人ばかりで孤独死などが相次いだことで、
地域重視や一人暮らし世帯と家族世帯を織り交ぜたりとかその辺はかなり考慮されているらしい。
義弟の弟さんが車を探してくれて先週末辺りには届くと言うことだったので、
足ができてこれからは自分で好きなところへも行けぐんと楽になるだろう
うちの実家からも数分の近さだ。

4ヵ月経ってやっと一歩。
その後はどうなるかまだ分からないがひとまずプライバシーを確保できる環境が出来たことは精神的にも落ち着けるものね

うちの旦那の実家はすっかり工事も済み、先日は2階にもエアコンを入れたとかお義母さんから電話がきました。
これまで2階はとくに気にもかけていなかったそうなんですが、
震災の津波による浸水時、ずっと2階で避難生活を送っていたことで2階の重要性を認識し、
また何かあった時の為にと二階の充実に努めているらしい


ところで、毎日ネットで犠牲者名簿を確認するのが相変わらずの私の日課になっているが・・・。
何処の誰か分からないけれど、この方たちはご家族またはご親族の元に戻られたのだ。
よかったなぁ・・・と心から思う。
何処にいるかもわからないままでは可哀そうすぎる。
最近は宮城県内で身元が判明する方は毎日10人にも満たない。
それでも石巻地方だけでもまだ1000人以上の方々が行方不明のままとなっているのだ。
その中には見つかっているにも関わらず身元の分からないご遺体も含まれている。

先日のニュースの話では、あるご夫婦は震災後すぐに自宅内で発見されたことで比較的お顔なども綺麗なままで
ご近所の方々も○○さん夫婦に間違いないと証言しているにも関わらず、身内でなければ確認とみなされず身元不明者とされているのだと言う。
ご年配となれば身内も少なくなる。身寄りのない方だっているだろう。
それに遠くの親戚より近くの他人・・・じゃないけれど・・。
ほとんど会ったことのない親戚が本人ですとはとても確信できないだろう。
やり切れない思いばかりが残る。


もうすぐお盆・・・・・
一人でも多くの魂が安心できる場所へ戻ることが出来ますように・・・。


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二週間ぶりの我が家

2011-05-12 18:40:28 | 東日本大震災

宮城の実家から帰宅しました~。二週間ぶりの我が家です
留守中、心配だった鉢植えなどは旦那一応ちゃんと水やりをしてくれていたようで枯れたものも殆どなくホッと一安心
メダカ達も元気でした。


帰省した最初の頃は親戚や知り合いの家を訪ねていました。
直接の友人や知り合いはみな無事であることが分かり心の底からホッとしました。

一番不安だったのはうちのマルチー軍団の最初の子を譲って貰った先輩のことでした。
彼女は繁殖やショーなどにも出していて、たくさんの犬たちがいるんです。
大きな平屋建ての彼女の家はあきらかな浸水域にありました。
昼間の事ですし、もし仕事に行っていて犬達だけが残されていたら・・と思うと、
怖くて無事を確かめる電話をすることもできませんでした。
でもね。行ってみたらいたんです!元気で
ちょうど彼女も在宅していて庭に面した部屋の中に全部で18頭!1頭以外は全部マルチーズ!
わらわらわらと出てきました。
1頭だけ体調を崩して亡くなってしまったというのがとても残念でしたが、
他の子達はみな元気に賑やかに彼女を取り巻いておりました。

地震の時はたまたま家に戻ってまた出掛ける前だったそうで、
水が来て急いで犬達を高い場所にあげ、自分は2日間脚立の上で過ごしたそうです。
彼女は顔見知りのペットショップから高齢の子を引き取って面倒をみているほどすごく心の優しい人なの。
もし出掛けていた時だったら・・・彼女のことだから水の中を助けに行っていたかも・・・。

私は・・・震災後に初めて犬達が天国にいっていてよかったって思ったよ・・。
4頭時代が一番長くて4頭が自分が一度に持てる頭数。
いつもなら楽勝だけど、いざとなったら慌てるし犬達も暴れるだろうから、
すぐ家の前は山だけど、逃げてる最中に1~2匹落としてしまうかもしれない。
その子が波にのまれていく事を想像したらとてもとても・・・。
彼女の犬達が津波に呑まれなくて本当によかった・・


さて、内陸の方はスーパーにももうなんでもあるしほぼ普通の生活が戻っています。
浸水した義母の家や伯母の家も随分片づいて、義母の家は大工さんも入り床はフローリングが貼られ、壁にクロスを貼るばかりにすっかり綺麗になっていました。
伯母の家も新しい畳が入っていました
元通りと言うわけにはまだまだ行きませんがそれでも十分に暮らせるほどに回復していました。

けれど一歩津波の直撃を受けた地域に入ると様相は一変します。
父に連れられて石巻市の門脇・南浜町のあたりや、雄勝町という町に行ってみましたがまだ殆ど手つかずの状態でした。
家はコンクリートの基礎を残すばかりで何もありません。
南浜町には夕方に行ったのですが、満潮の時だったのか海水が上がってきていてそれ以上行けず途中から引き返してきました。
それだけ地盤沈下をしているということに驚きました。

雄勝町は細い入り江にあり周囲は岩山や山に囲まれている町です。
考えられないような高台にまで津波の跡があり、その場にいてもその波を想像することができません。
映像で見るような上から撮った景色と、地面から見上げた景色は全く違います。
自分の身長より周囲の建物より遥かに上の岩肌に残された津波の痕跡を見上げるとその高さに身ぶるいがします。

現地に行ったら写真に撮ってこようと思っていたのですが、その場に立ったらとてもできませんでした。
マンションにトイレ洗いに行った時も、すぐ後ろの貸し家はまだ一つも手がついてなく、流されてきたがれきや家財道具が積み重なったままでした。
その様子は何枚か写したのですがそれも全部消去しました。
自分が生まれ育った場所でもない縁もゆかりもない場所の被害の様子を写真に撮るという自分の行為は、ただの好奇心からではないのか?と思えたからです。
そうなら、そこで亡くなった方達に対してものすごい無礼なことですものね・・。


助かった人と亡くなられた人は紙一重違うだけ・・・。
とにかくいろいろ話を聞くにつれ、結論は災害にあって「一旦避難したら絶対に戻らないこと」これにつきます!
せっかく避難したにもかかわらず、家に物を取りに戻ってそのまま帰らなかったという人の数の多さ。
避難したままだったら犠牲者は随分減っていたかもしれません。
みなさん、絶対に戻ってはいけませんよ。


あ、そう言えば、瓦礫の片付けをしている時に父が金庫を拾って警察に届けたとか言うのを聞いていたんですが、
それがちょうど帰省中に持ち主の方が見つかってお礼に来られたんです。
2か月間ずっと探していたそうで・・・。
やはり中にはそのまま盗まれてしまうことも多々あるらしく・・無事見つかったことに泣きながら喜んでいたそうです。
よほど大切なものが入っていたのでしょうね・・・。(だから金庫に入れてるわけですけれども

「ああ、いいことをすると気持ちがいいなぁ」と父談

コメント (12)
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日課

2011-04-25 15:30:51 | 東日本大震災

毎日、
ネットで震災での犠牲者名簿を確認するのが私の日課となっている。
なんて嫌な日課だと思うでしょう・・・。
でも確認せずにいられない。

昨日は出掛けてパソを開かなかったので、今日昨日の分の確認をしたら
行方不明のままだったお友達の子供さんの名前が載っていた・・・。
見つかったんだね・・・よかった。本当によかった。
ご両親のもとに帰れて、これで姉弟一緒に眠りにつくことが出来る。
少しだけほっとした。


福島原発近隣では家畜の殺処分が決まった。
結局、殺されるのか。
先日ニュースで見た必死に生き残っていた牛達。
動物愛護団体の方からお水と餌を貰って繋がった命も殺されるんだろうな。
よかったなぁ・・って喜んでいたのに。
飼い主さんから放たれて野で生き延びていた牛達もつかまえられて殺されるんだろうな。
せっかく震災を生きぬいてきた命なのに
同じ被害者なのに。

感染症になれば有無を言わさず全頭処分。
捨てられたペットも殺処分。
なんでもかんでも殺すんだな。
これが心優しい日本人か。
でも結局は鶏1羽犬1頭救えない自分も同罪だ。
そうやって生き残った私達はその先にどんな幸せが待っているというのだろう?


そんなことばかり考えているとまじで鬱になりそうなので必至に楽しい事を考える。

世の中はそんなことばかりで、だから天国や極楽浄土が出来たのかな。
でないと救われないものね・・・。
究極の現実逃避なのか。

私も天国を作ろう。
みんなシル村においでよ。
シル村は別にあの世じゃないけれど、みんな楽しく幸せに暮らせるから。


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被災地と芸能人

2011-04-15 11:54:00 | 東日本大震災

最近地元石巻方面には多くの芸能人が炊き出しやら支援物資の配給に来ている。
この前は杉良太郎さんや奥さんの伍代夏子さんなどが炊き出しに来ていたし
昨日ニュースで見ただけでも藤原紀香さんや布袋泰寅さん、中村雅俊さん、石原軍団さんなどが石巻牡鹿方面に入っていました。
そう言えば中村雅俊さんは女川の出身でした。旦那の高校の先輩なんですよ。

石原軍団は昨日から一週間炊き出しをするというので、母に用事で電話をした時にせっかくだから行ってくればいいのに
なんて言ってたんですが、夕方のニュースを見たらものすごい行列でびっくりでした
お義母さんによるとそのせいで大渋滞が起きていたらしいです(笑)
人々の心にもそれだけ余裕が出来てきたということよね。

でも1日くらいだとたまたまそこにいた人とかラッキーな人しかその恩恵に預かれないけれど一週間もいれば多くの人が訪れることが出来ますもの
しかし炊き出しの装備のすごさにはただただ仰天。さすが石原軍団・・・・・。
それにしても小学校低学年くらいの子が渡さんに握手してもらって「やったぁーーーっ」なんてものすごく喜んでいたのを見て、
あんた渡さんそんな知らないだろ!?となんだかおかしくなってしまいました

みなさんの嬉しそうな様子を見ると芸能人てやっぱりスターなんだなぁ・・・って思えました。
それで勇気や元気が出るのならどんどん行って貰いたいです。


さて、今日はこれから埼玉の妹宅にお泊りで遊びに行ってきま~す
どうもこのところの低調気味な気分から抜けだせないので、女同士、妹としゃべり倒してストレス発散してきますよ
地震以来自宅近辺から遠出するのは初めてなので楽しみです

途中でまたなんかあって帰宅難民になったら困ると思い、
一応水も持って寒い時の為に上着も余計に持って・・・なんてやってたらたかが一泊なのに大荷物になってしまった(笑)
では行ってきます

コメント (10)
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