じゅりりんのめげずにいくのだ*

ドールハウスやちっちゃいもの、ガーデニング、手芸など趣味や日常を中心に時々思い出わんこも登場します。

メダカ池大掃除

2011-03-31 16:26:38 | ミニミニビオトープ

冷たい冷たいとばかり思っていたメダカ池の水がいつの間にかほんのりとぬくんでいました
もう4月ですものね

藻だらけになっていた宮城メダカ池の大掃除をしました。
ついでにレイアウトも変更。
   
地植えの水草の根っこが底土まではびこり、
また底土の粒子が大きくてドジョウが土中に潜り込めずにいてちょっと可哀そうだったので、
水草は鉢植えを主にし、底土はふるいをかけて細かいものだけにしてドジョウにも住みやすいように変更しました。

沼化していた船底型プランター水槽の方は一旦閉じることにしました。

そちらから引っ越してきたシジミちゃん。
   
ドジョウ仕様の泥の中というのも何かな~と、砂を入れた特別室を用意しました
泥よりは砂の方が好みなんじゃないかと・・どうでしょう・・・??
シジミは置いた場所から殆ど動きません。その場所で潜っていきます。
こっちが嫌なら泥の方に勝手に移動してくれるとたすかるんですけどねぇ。
シジミの体調ってまったく分からないです・・・(--)

   
日向ぼっこが気持ちよさそう~~~
濁りは1日すれば落ち着きます

   
こちらは睡蓮鉢のヒメダカ水槽です。

   
ヒメダカは去年おととしと、いっぱいいると思って稚魚を隔離することなく自然に任せていました。
そのせいで若者が少なく高齢化社会となっており、
年配メダカが寿命を迎えはじめた為、数がぐんと少なくなってしまいました
今年はしっかり稚魚を隔離して個体数の回復を計りたいと思います

   
↑成魚のしっぽのとこにいると~ってもちっこい仔も無事冬を乗り越えていました
どこにそんな力があるんだろう・・・?すごいな
さあ、春だよ!いっぱい食べて大きくなれよ~~~

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行け!!バファリス隊!

2011-03-28 15:31:58 | 東日本大震災

キモチ的にかなり元気になってきたじゅりりんですが、
今日のニュースを見れば、なんとスピッツのボーカルの草野さんが「急性ストレス障害」で倒れたと。
なんでも今回の地震被害の甚大さや原発事故の深刻さが心に重くのしかかり、
過度なストレスとなって精神的な障害にまで発展してしまったというのだ。

草野さん、人一倍繊細そうだもんなぁ・・・。
心を痛めるのは人間として当然のことだろう。
しかし被災してもいない状況にある人間まで本当に倒れてどうする。
元気でいられる環境にある人間はやっぱり元気でいなければならないんだ!

原発なんかもうどうでもいい。いや、どうでもよくはないけど。
うちはがん家系なんだ。今回のことがなくたってどうせそのうちがんになるだろう(号泣)
原発の作った電気で散々贅沢をして生きてきたんだ。
数年やそこら生きただけで津波に呑まれて死んでいった子供達を思えばもう十分すぎるほどに幸せだったじゃないか。
放射能の雨が降ったら笑いながら死んでやる。
(そうならないように原発のみなさん、どうぞよろしくお願いします・・・。)

こっちでどんなに落ち込んでいても向こうの瓦礫は片づかない。
「私達もこんなに憂鬱なんですよ?」と言ったところで被災地の方々は喜ぶか?
元気でいられる環境にある人は元気でいよう!
ああ、しかしこの気持ちの浮き沈みの激しさ、私のココロもすでにイカれてるんだろか~??


そんな訳で
今回の災害に関してシル村からも救護隊を出動させることにいたしました。

バファリス3姉弟による「バファリス隊」
人々の頭痛の種を食べてくれるバファリスですが、
今回は不安感や憂鬱感の種を食べて人々の心を少しでも軽くするよう尽力いたします。

   
   お願いね。

ただいま出発致しました。
皆様のところにもじき到着することでしょう(姿は見えませんヨ。)

行けバファリス隊


*カテゴリーに「東日本大震災」の項目を分けました。
 これからガンガン復興して行くんだと言う思いを込めて。

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車検が切れてた・・・

2011-03-27 13:41:34 | 東日本大震災

お義母さんの車が津波による浸水で駄目になってしまったので、
とりあえずしばらくの間うちの車をお義母さんに使ってもらうことになりました。

保険内容の変更や持って行く前に軽く点検もしてもらおうと、昨日旦那が車やさんに持って行ったんですが
なんと先月2月半ばで車検が切れていました・・・
全然気がつかなかったよ・・・ 危ね~

点検の予約は入れてましたがさすがに車検はすぐにとはいかないみたい~
4~5日戻ってこない為、すぐには持って行けなくなってしまいました・・・。仕方ないですね・・・ 
アホ夫婦です・・・・・。

お義母さんの自宅は1階部分がほぼ浸水した為、家電製品すべてが駄目になってしまいました。
電化製品好きな旦那がネットやチラシを調べまくり、仕事帰りに電気店を巡って張り切ってます。
車を持っていく時に積めるだけの電化製品を一緒に積んでいく予定です

しかし旦那ってば大型テレビのチラシを握りしめていたので、そんな大きいの要らないでしょう?と言ったら
この安さでこれだけのインチが買えるならそのほうがいいって言うんですが、なんか違うくない!?
私だったらそんな大きいの逆に要らないけど・・・。まあいいけど・・。


津波の被害は免れた私の実家ですが、実家の方は実家の方で、
避難所への毛布やタオル等の提供と、
家を流された親類縁者へ生活用品をもっていったりして家の中がスッカラカンになったそうです~
ごちゃごちゃと物が溢れていたので逆にすっきりしたかも!?
今度帰省するときはみんな毛布持参です(笑)

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久しぶりにピアノの練習

2011-03-26 11:49:00 | 芸術・芸能・漫画

毎朝、目が覚めると「みんな夢だったらいいのに・・・」と思う。
多分みんなそんな気持ちだろう。
でも、もう起こってしまったことなんだ・・。

ならせめて福島原発事故さえなかったら・・・・・
自然災害の復興に全力を傾けられるのに。
放射性物質という目に見えない恐怖が私達の心に重くのしかかっている。

だからと言って何も出来るわけでもないのに、
気ばかりがざわざわとせわしく相変わらずというより前より一層何も手につかないでいる。

体重は減ってくし目の下はずっと痙攣している。
これではいけない。全く時間ももったいない。
ざわついた心を普通の暮らしに戻したい。戻りたい。戻らなければ。

  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・  ・

今年から取り組んでいるピアノの練習。
今週はNHKの「仲道郁代の初心者にも弾けるショパン」のアンコール放送が最終回でした。
最終回はおさらい発表会で生徒の長谷川さんがこれまでレッスンをした4曲の発表会をされていました(^^)
最初の方はうっかり見逃してしまったのですが、長谷川さんのようなベテラン俳優でも手をプルプルさせながら
4曲すべてを一生懸命弾かれていたのをみて、私もまたピアノが弾きたくなってきました。

私はまだ3曲目までしか進んでません。もっと先に進みたくなりました。
久しぶりにピアノの練習を始めました(^^)

1年計画で取り組んでいるいきものがかりの「YELL」は楽譜の最後までいっていました。
暗譜も結構出来ていたのにこんなにすっぱり忘れられるものかと絶句―――(T▽T) 
どうなっとんじゃ私の頭。
もちろんすらすらとなんてとても弾けてはいませんでしたが、指使いは覚えられていました。
なのに。
左手のコードがさっぱりすっぽり思いだせない=3
指が覚えているだろう♪なんて思っていた自分がはてしなく愚かでした・・・。
右手は楽譜に音符があるのでまだいいのですが、コードは記号でしか書かれていないので
もう一度コードの押さえる鍵盤を一から確認しつつ・・・しつつ・・途中で断念(--)
こちらはもう少し落ち着いてからやりなおしましょう・・・。

次に「初心者にも弾けるショパン」の方のレッスンを。
こちらは1曲目の「雨だれ」、2曲目の「ノクターン第2番」と何度か弾いているうちに思いだせました(^^)よかった♪
3曲目「ポロネーズ軍隊」も練習していたところまではなんとなく思いだせましたが通して弾けるようになるまではまだまだ・・。
4曲目の「プレリュード第7番」はいつになったら弾けるようになるのやら~。
しかも旦那がこれまで録画していたのを誤って殆ど消してしまったと言うじゃありませんか=3
テキストがあるからまあいいけど、そのうちアンコールのアンコールをやってくれないかな♪

雨だれもノクターンも綺麗な静かな旋律なので気持ちがとても和らぐの。
弾いてない時でもずっとその曲が頭の中をぐるぐるリピートしているし(^m^)
軍隊は軍隊で勇ましくてまたそれもいいんですけどね。

お細工物やミニチュア制作は作っている間につい別のことを考えてしまうので、
別の事を考えていると弾けなくなってしまうピアノは、それに没頭することができ、
普通生活へのいいリハビリ!?かもしれません。

再び練習を続けていきましょう。

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金子みすゞ童謡全集より『雪』

2011-03-25 16:01:05 | 東日本大震災

東北地方太平洋沖地震の発生からまる二週間が経ちました。

地元のお友達の子供さんが亡くなったことを知りました。
今年の年賀状の写真は新しいランドセルを背負っていました。
お義母さんの飼っていたインコちゃん達はオカメインコが1羽助かった以外はみなだめでした。

未だ行方不明の方は多数・・・
身元不明のご遺体もまだ何百体以上とあります。
しかしご遺体の傷みが進み、ご家族でももう本人なのかそうでないのかも分からないと・・・。
土葬も始まりました。

旅立った魂がどうかどうかあちらでは安らかでありますように・・・

亡くなられた方々の、そして共に暮らした小さな家族達の、ご冥福を心よりお祈りいたします。



   『 雪 』


   誰も知らない野の果てで
   青い小鳥が死にました。
     さむい、さむい、くれ方に。

   そのなきがらを埋めよとて
   お空は雪を撒きました。
     ふかく、ふかく、音もなく。

   人は知らねど、人里の、
   家もおともにたちました。
     しろい、しろい、被衣(かつぎ)着て。

   やがてあけゆくあくる朝、
   お空はみごとに晴れました。
     あおく、あおく、うつくしく。

   小さいきれいなたましいの、
   神様のお国へゆくみちを、
     ひろく、ひろく、あけようと。



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被災地の神様

2011-03-24 14:33:08 | 東日本大震災

今日、朝一番で妹からとても心あたたまるメールが届きました。

二週間前の地震で被災した石巻在住の伯母夫婦のことなのですが、
伯母夫婦が裸足で道を歩いていて知らないご夫婦とすれ違ったそうなんですが、
その時、そのご夫婦の奥さんが自分が履いていた靴下と履物を脱いで伯母に履かせてくれ、
ご自分は旦那さんにおんぶして行かれたのだそうです。

伯母夫婦は津波による浸水で3日間自宅の二階にいたところをヘリコプターに見つけてもらって救助されました。
一旦避難所に入りましたが、伯父が人工肛門をつけていることもあり、医療用品のない避難所ではどうすることもできない為、避難所を出て病院に近い伯父の妹宅まで歩いて向かったと聞いていました。
その途中の出来事でしょう。

世の中には本当にこんな神様のような方がいるのだと感激してしまいました。
雪さえ舞う寒い中をご自分達だってとてもとても大変な時なのに。

高齢ということもあり伯母も足が悪いです。
冷えればなおのこと痛みが増し、その靴下と履物のおかげでどんなに助けられたか。
もし私が同じ場面に遭遇したとしても、きっとそのご夫婦と同じことは出来なかったでしょう。

どなたか存じませんが姪達からもお礼を申し上げます。
本当にありがとうございました(;;)

ご親切なご夫妻にどうぞ幸多きことを

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金子 みすゞ 童謡全集

2011-03-22 12:17:36 | 芸術・芸能・漫画

震災後、テレビでは営利目的ではないとか理由で繰り返し同じCMが流されていることで、
今や日本一有名な詩といっても過言ではない「金子 みすゞ」 さんの『こだまでしょうか』。

金子 みすゞ さんの詩は好きで何年か前に買い揃えた全集があったので、
この機会に久しぶりに最初から読み返してみることにしました。

私が持っているこの全集(金子 みすゞ 童謡全集~全6巻 JULA出版局)の中では
『こだまでしょうか』は6巻目「さみしい王女・下」に掲載されています。


 金子 みすゞ
(かねこ みすず 本名 金子テル)
  1903年(明治36年)山口県大津郡仙崎村(現在の長門市)に生まれ、
  大正時代末期から昭和時代初期にかけて活躍した童謡詩人で、
  若き童謡詩人の中の巨星と賞賛されながら、1930年(昭和5年)26歳の若さでこの世を去りました。
  この若さで逝った理由が私は悔しくてたまりません。(詳しくはWikipedia等をご参照ください。)
  もっともっと活躍してほしかったです。
  長門市に「金子みすゞ記念館」があります。


みすゞの詩はたくさん使われているので知らずに耳にしている方もとても多いのではないでしょうか?
『雀のかあさん』これも少し前までCMで随分流れていました。
  
     『雀のかあさん』

     子供が
     子雀
     つかまえた。

     その子の
     かあさん
     笑ってた。

     雀の
     かあさん
     それみてた。

     お屋根で
     鳴かずに
     それ見てた。


『私と小鳥と鈴と』や『大漁』は最も有名な代表作だと思います。

とくに『大漁』を初めて読んだ時の印象が鮮烈で、みすゞの残した詩をもっと読んでみたいと思ったきっかけになりました。

     『大漁』

     朝焼小焼だ
     大漁だ
     大羽鰮(おおばいわし)の大漁だ

     浜はまつりの
     ようだけど
     海のなかでは
     何万の
     鰮のとむらい
     するだろう。


万人好みではないかもしれませんがこんなのもあるんですよ。

     『お嬢さん』

     道を教えた旅人は
     とうにみえなくなったのに
     私はとぼんとしていたよ

     いつも私のかんがえる、
     あのおはなしのお国では
     お姫さまともよばれても
     あたしは貧乏な田舎の子

     「お譲さん、ありがとう。」
     そっとあたりをみまわして
     なにかふしぎな気がするよ。

この時のみすゞにちょっと共感してしまうのです。
子供の頃、父を訪ねてきたお客さんに「お譲さん」と呼ばれたことがありました。
そんな風に呼ばれたことないし、どうみたって小汚いちんくしゃなくそガキ(アラお下品^m^)なのに
立派な身なりのその方にお譲さんなんて呼ばれたら、その瞬間だけ自分がどこか立派なお屋敷のお譲様になったような気がして、
何だかとてもこそばゆい気がしたものでした(^^)


     『不思議』

     私は不思議でたまらない、
     黒い雲からふる雨が、
     銀にひかっていることが。

     私は不思議でたまらない、
     青い桑の葉たべている、
     蚕の白くなることが。

     私は不思議でたまらない、
     たれもいじらぬ夕顔が、
     ひとりでぱらりと開くのが。

     私は不思議でたまらない、
     誰にきいても笑ってて、
     あたりまえだ、ということが。


     『人形の木』

     いつだか埋めた種からは、
     ちいさい桃の木生えました。

     たった一つの人形だけど、
     お庭のすみに埋めましょう。

     さみしくってもがまんして、
     ちいさい二葉を待ちましょう。

     ちいさいその芽をそだてたら、
     三年さきで花が咲き、
     秋にゃかわいい人形が生って、
     町じゅうの子供にひとつずつ、
     木からもいではわけてやる、
     人形の木が生えるから。

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ウエシマ作戦!?

2011-03-20 19:54:14 | 東日本大震災

今日スーパーへ行ったら先日よりずっと落ち着いていてとてもホッとしました(^^)
レジもそんなに並んでいなかったし、みんな普通にお買い物してるふう、商品もいろいろありました。
ないものはないけど、それがないからってどうなるわけでもないし、
先日買えなかったジャガイモや玉ねぎ、卵やお肉も買えました♪
不要な電気は消してあったし、原発の恐怖を思えば薄暗さなんて全然平気=3

お買い物中カートを押したおばさんと、私がこっちにいけばおばさんもこっち、おばさんがそっちに行けば私もそっちと
しばらく鉢合わせになっていたんですが、お互い「あ、どうぞどうぞ」と、おかしくなって笑っちゃいました。
なんだかちょっと幸せ気分でした。

そう言えば「ウエシマ作戦」なるものが流行って?るとか。
ダチョウ倶楽部の上島さんの「どうぞどうぞ」の持ちネタから「物資全般を譲りあう」「買占めをしない」運動として認知されているのだとか。
計画停電で信号も止まってるし、道を譲りあうことも重要だものね。

やっぱり譲り合いは大事。
日本人でよかったと誇りに思う!

私たちが普通でいることが普通をよんで、被災地に普通に物資が届けばいいな。

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これから

2011-03-18 08:38:38 | 東日本大震災

東北地方太平洋沖地震から一週間が経ちました。

連絡のつかなかった義母の無事がやっと確認されました!
石巻市街地はほぼ水も引き、実家の両親がお義母さんの家を見に行ってくれたところ家にいたそうです!
昨年まで一緒に住んでいた人もきて一緒に片付けを始めていたそうです。
避難所には行かず(というより行けず?)ずっと二階に避難していたようです。
伯母夫婦も無事でした。

旦那はなかなか安否がわからないことに相当にまいっていて言動もかなりイラつき今にも倒れそうな顔をしていました・・・。
怪我もなく無事が確認されて本当に安心しました(;;)
すぐに旦那の職場に電話をしました。
私もホッとしたらどっと疲れがでて横になったらそのまま起き上がれませんでした(^^;

いつ連絡が来るかと家を離れることができませんでしたが、
やっと安心して外出できるようになったので冷蔵庫も空だし昨日は久しぶりに食料品の買い物に行きました。
ご近所の奥さんからスーパーの棚には何もないと聞いていたのでどうしようと心配でしたが
一番必要だった野菜類はたくさんあったのでホッと一安心。
ペプシなら我が家にも在庫がいっぱいあるんですけどね・・・(苦笑)
ペプシ持ってご近所回っても誰もお米と交換してくれないよね×

郵便局に行って、宮城の災害対策本部と被災動物の為の緊急災害時動物救援本部に義援金の振り込みもしてきました。
被災したペット達にもあたたかい手が届く事を願ってやみません。

福島原発もどうか良い方向に向かうように・・・。


実家の母にも携帯が通じるようになったのですが、今実家には親類が5人ほど身を寄せており、
近所親戚知り合いと融通し合ってまかなっているようですが、食料の確保も大変のようです・・・。
少しでも早く地元に帰省を・・と思っていましたがやめました。
今は少しでも多くの物資と燃料が災害地にまわるようにこちらの生活を見直すのが先決なのでしょう。
またうちは安否が確認できましたがまだまだ確認できていない方も大勢いらっしゃる。
そういった方の帰省を優先したい。
地域の遺体安置所にはおびただしい数のご遺体が運びこまれていると言います。
身元が判明しなければそのまま荼毘に付され、ご遺骨がご親族のもとに帰ることさえ出来なくなってしまう・・・。
それではあまりにも可哀そうです・・・。


テレビで被災地のお爺さんが“恥かしい姿は見せたくない”と言っていた言葉が強く心に残っています。
世界中の人に日本人がすごいところを見せたいと。

今世界中から救援の手をいただき、世界中の目が日本に向いています。
残念ながら治安の悪化も耳にするようになりました。
災害に乗じた詐欺などは言うまでもなく言語道断ですが、
私自身、根拠のない噂やデマ、みんながそうだからと不必要な買だめなどにも惑わされることなく、
自分の頭で考え冷静な判断をして秩序ある生活を心がけなければ・・・。


日本の政治家の体たらくは世界中に知れたところですが、
「なんだ、国民もそうなんだ。」とは絶対に思われたくありません。

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被災後の現実

2011-03-15 15:50:39 | 東日本大震災

石巻市街地に住むお義母さんや伯母夫婦の確認は未だ出来ていませんが、
市街地の水も少しずつ引き始め、避難所に公衆電話なども設置されはじめているようなので連絡がくるかもしれません。
避難者名簿をネットで見ているのですが石巻の方はまだあまり掲載されておらず・・・、
水が引くことで事が早く進行することを期待しています。

妹と話していたのですが、携帯を持っていなかったり持っていても充電が切れていたり、その上メモなど何もなかった場合、
電話番号を覚えていなければ例え電話が設置されても連絡できないんじゃない!?・・・ということに気が付きました・・。
何を隠そう、私も旦那の実家の電話番号は覚えていませんし・・。

何よりのメモ帳は文明の機器ではなく自分の頭かもしれません・・・。


先ほど妹からの連絡で義弟のお母さんが昨日からうちの実家に身を寄せていることがわかりました(^^)
義弟もどんなにか安心することでしょう。
母から妹に「、」も「。」も無いヒジョ~に解読困難なひらがなだけのCメールが届いたそうです。
慣れないメールできっと必死に頑張ってるんですよ(^m^)

通話はつながりませんがEメールもたまにつながるようになり、地元の様子も少しずつわかるようになりました。


以下は昨日、実家近くの友人から届いたメールです。
そのまま転載します。


>今のこちらの状態は、○○○小学校の子供たちは皆無事ですが、□□小学校の子供たちは30人が無事の他は、皆津波に呑まれて行方不明で、お父さんが消防団で行って、昨日20人くらいの子供たちの遺体を引き揚げて来ました。
>今日も、△△方面に行ってます。自分の子供が見つかった親は、泥だらけの我が子の顔を水で洗って、抱き締めて持って行くそうです。
>
>まだ瓦礫の中を親がそこで自分の子供を待っているそうです。


地域や学校名は伏せさせていただきました。
○○○小学校は津波被害のなかった実家地域の小学校で、□□小学校は同じ町内の2つ先の小学校。
△△方面はさらに海に近い場所で、△△は昨日の父の電話でもみなだめだと言っていた地域です。

再会や無事の喜びがある一方でこれがこれからの現実なのだとご家族の心情を思い涙がとまりませんでした。
大きな津波の前に小さな子供達はあまりに非力です。
小さなご遺体を引き揚げるときどんなに辛いでしょう・・・。
でも少しでも早く冷たい水や泥の中からご家族のもとにかえしてあげたいですものね。

沿岸部ではたくさんのご遺体が確認されています。
テレビではご遺体を映すことはありませんが現地で何十人何百人のご遺体を収容されている方々の心情は想像を絶するものかと思います。

現地で頑張っておられる方の為に避難所で必死に耐えておられる方の為に
ほんの少しでも出来ることから頑張れれば・・・・・。

被災地とは遠く離れた場所に住むブログのお友達のみなさんにもこうしてたくさんの励ましとご協力をいただき、
地元出身のものとして本当に本当にありがたく嬉しく思います。

地元のお友達にも、みんな節電したり募金をしたり一生懸命応援してくれているよ!と伝えます。

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