愛知県津島市の天王川公園の藤を見に行きました。天王川公園は津島神社の南にあります。
公園の南側に大きな大きな藤棚があります。九尺藤という房の長い長い藤の上半分ほど花開いていました。一番の見頃は5月になってからかなと思います。
津島神社は、明治に神仏分離令が出るまでは津島牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と言われ、牛頭天王をお祀りしていました。
牛頭天王は、インドのバラモン教の神が、お釈迦さまの教えに触れて仏教の守護神となった神さまのお一人です。
津島は、古くから東海道の重要な川湊で、織田信長がその経済力と地理的重要性に着目し、津島天王社を氏神としました。豊臣、徳川も庇護し、江戸時代は大くの参拝者で賑わっていたということです。牛頭天王は、疫病から守ってくださる神さまだそうです。
明治になって、神仏分離令が出され須佐之男命を祭神としました。
津島神社は、今でも全国に3,000社ある天王社の総本社です。
旧暦の6月14日に行われる夏祭りは、天王祭と言われ、何艘ものまきわら船が天王川に浮かび、国の重要無形民族文化財になっています。(今は、7月最終土曜に行われます)
楼門は、豊臣秀吉の寄進。他に、南門は豊臣秀頼、社殿は尾張徳川家の寄進。いずれも重要文化財です。
門前の大銀杏。樹齢600年といいますから、信長の頃にもすでに大木だったわけです。
天王川公園は、かつて川湊があった天王川が大きな池となって残ったところです。
この写真は、かつて堤防だったところです。
徳川時代になって、木曽川の尾張藩側に頑丈な御囲堤が造られ、木曽川の氾濫はなくなりましたが、幾筋にも枝分かれしていた流れには水が来なくなりました。天王川も水位が下がり、津島川湊より上流部分は、江戸時代はじめ頃には埋め立てられました。
明治になり木曽三川分流工事が終わると、天王川や合流していた佐屋川は完全に廃川となりました。旧河道は埋め立てられ天王川公園の池だけが残されたわけです。
現在、この辺りには、かつて堤防だったと思われる道が幾筋か残っています。