心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

不破の関 1

2016年10月01日 | 旅行

飛鳥時代から奈良時代まで、現在の関ヶ原町に不破の関が置かれていました。関ヶ原の地名は、この不破の関から来ています。また、関西、関東ということばも、この不破の関を境目にしていると言われます。
その不破の関跡に行ってきました。

まず訪ねたのは、不破関資料館。発掘調査の出土品やジオラマなどが展示してありました。

発掘調査によると、不破の関は、西は関の藤川に面して天然の要害となし、北東南は460mにもわたる土塁を築いたとても大きな施設であることがわかってきました。土塁跡は、現在も一部が残っています。土塁で囲まれた内側には、いくつもの建物が並び、多くの兵士が駐屯していたと考えられています。不破の関は、東山道を通る人々を改める検問所としての機能の他、東国から侵入してくる反乱軍をここで食い止める巨大な軍事基地としての役割も担っていたと考えられます。

資料館には、学芸員の方がいて、館内だけでなく、施設周辺も案内してくださいました。

中山道が関の藤川(藤古川)に架かる橋を指して説明してくださっているところです。「ここは、河岸段丘になっていて、30mほどの高低差があります。不破の関は、河岸段丘上に築かれていたんです。」まるで、ブラタモリのようでした。

関の藤川です。壬申の乱では、この川を挟んで、大海人皇子軍と大友皇子軍が対峙したといいます。

不破の関跡には、関守を代々受け継いできた三輪家の屋敷が今もあります。

次回に続きます。

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