月は、地球の周りを楕円の軌道で回ってるそうで、回りながら近づいたり、遠ざかったりします。
今、月がちょうど地球に近づいていて、しかも満月のころで、明るさ普段の30%UPなのだそうです。
ここのところ2~3日、雲が多かったり、雨だったりして、きれいにお月さまを見ることができなかったのですが、今日はきれいに見ることができました。満月を少し過ぎていましたが、なるほど、明るさも大きさも普段よりずっとUPでした。
夜空をひとり静かに見上げていると、人はあれこれもの思いをします。
月見れば 千々にものこそ 悲しけれ 我が身一つの 秋にはあらねど
これは、平安時代の歌人大江千里の歌。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
これは、奈良時代の安倍仲麿の歌。遣唐使として中国に渡りましたが、帰国がかなわず、現地で没しました。中国にあって夜空の月を見ながら、今見ているこの月は、故郷奈良の三笠の山に見た同じ月なのだと歌っています。時間と空間を超えて、同じ一つの月を見ているんだという思い、多くの人が抱くのではないでしょうか。
今夜鹿州月 今夜 鹿州(ふしゅう)の月
閨中只獨看 閨中(けいちゅう) 只獨り看るならん
遙憐小兒女 遙かに憐れむ小兒女の
未解憶長安 未だ長安を憶(おも)ふを解せざるを
香霧雲鬟濕 香霧 雲鬟(うんかん)濕(おお)ひ
清輝玉臂寒 清輝 玉臂(ぎょくひ)寒からん
何時倚虚幌 何れの時にか虚幌(きょこう)に倚(よ)りて
雙照涙痕乾 雙(なら)び照らされて涙痕(るいこん)乾かん
杜甫の月夜(げつや)という詩です。訳あって妻子と離れ離れに暮らす杜甫が、遠く離れても妻は今、同じ月を見ているだろうと歌うロマンティックな詩です。いつか、二人並んで月を見る日が来るのだろうか、来てほしいと結んでいます。
法華経にも月は月天子(がってんし)として、よく登場します。
薬王菩薩本事品には、次のようにあります。
「衆星の中に月天子最もこれ第一なるが如く、此の法華経もまたまた是の如し(かくのごとし)。千万億種の諸経法の中において最もこれ照明なり。」
(多くの星々の中でも月が一番明るく夜空を照らすように、法華経はあらゆる経典の中で、最も光り輝くものである。)
また、如来神力品には、
「日月の光明のもろもろの幽冥を除くがごとく、この人世間に行じてよく衆生の闇を滅す」
とあります。
「太陽と月が暗闇を明るく照らすように、法華経を信じ人々を救おうとする菩薩たちは、人々の中にあって、人々をさまざまな苦しみから救う。」
Well we all shine on
Like the moon and the stars and the sun
(みんな輝いている。月や太陽や星のように。)
ジョンレノンの「インスタントカーマ」という歌です。
ジョンレノンは、如来神力品を知っていたのでしょうか。
夜空に明るく輝く月、昔からどの国でも、ひとはさまざまな思いで眺めたのでしょう。