先日、詩人の谷川俊太郎の講演会に行ってきました。
何かと不安の多い今日この頃、「安らぐということ」という演題でした。
会場は愛知県立大学。
この講演会のために、「とんでもないこと」という新しい詩を書いてくれていました。
講演会と名付けられていましたが、谷川俊太郎さんが一人でお話になるのではなく、愛知県立大学国文学科の教授と対談形式で行われました。
これは、「ことばは、対話。一方通行は苦手」という谷川さんのご希望によるものです。
お釈迦様もさまざまな教えをお説きになるとき、弟子たちとの対話によってお説きになっていますね。
谷川さんには、ひらがなばかりの詩も多いのですが、それは、ひらがな=やまとことばは、くらしに根付いた体から自然に出てくるものだからだそうです
谷川さんの詩を読んでいると、作られているのは一つの入れ物で、読む人がその中に入って自分なりのストーリーを展開できる、そういう作品だと思います。
だからこそ、多くの人が自分自身のこととして共感できるのだと思います。
また、詩の中にでてくる「私」「僕」は決して自分自身のことではなく、自分から離れたフィクションなのだそうです。一つの物事を自分一人の目ではなく、自己をさまざまに分裂させ、多様な立場、視点から多元的にとらえようとしているとのことでした。
一人の神がいて、一つの真実がある、そういう西洋の考え方とは相容れない詩人だと思いました。