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台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

花蓮港庁 壽社

2011-10-07 22:23:58 | 花蓮港廳
鎮座日:昭和8年(1933年)10月21日  祭神:大国魂命、大己貴命、少彦名命、能久親王 例祭日:10月22日  社格:社
鎮座地:花蓮郡壽庄壽                                 
現住所:花蓮県壽豊郷山邊三段(中山公園)

 アミ族、本島人および内地人共同で建立された壽神社は壽豊村の中山公園内にあった。公園前の説明碑によると、この地はタイヤル族に属するタイヤロ族が住んでいた場所である。その後、徐々にアミ族の狩猟の場所となった。当時の名前は「里鬧」と呼ばれ、タイヤル語では「叢林(林または森)」を意味し、鯉魚潭の南に位置するため「鯉魚尾」とも呼ばれた。大正6年(1917年)には疫病が発生したため、住民は恐れをなしゲンの良い「壽村」と名前を変えた。その後、「壽庄」となり、終戦後は農産物の豊かな土地であるため、「豊かな」と「壽庄」のそれぞれを合わせて「壽豊」とした。
 1980年代の初め頃に石燈籠、鳥居およびその他の神社関連施設が全て取り壊されたようである。現在、本殿があったところには孫文の銅像が立っている。説明碑の写真には大鳥居が写されている。鳥居の大きさからすると規模的には大きな神社であったように思われる。
 公園前の説明碑によると、昭和7年(1932年)に壽公学校の中島眞澄校長の提案により、第二監視区監督 古賀民助警部補、鹽糖会社花蓮港製糖所所長 松原徹、壽区役場区 長野口差次郎、地元の有志および各の頭目の協賛を得て神社の建設がされたとなっている。



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