台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 ウライ祠

2008-12-27 00:14:07 | 台北州
烏来(Ulai)は台北市から南東に約28kmのところにある原住民であるタイヤル族が住む村である。また、烏来は四方を山に囲まれた湯煙が立ち上がる温泉街として有名なリゾート地である。烏来とはタイヤル語で温泉と言う意味であり、タイヤル族*の祖先が狩猟の時に岩の間から湧き上るお湯を見て、「Uraikirofu(熱湯だ、気をつけろ)」と叫んだのがUlaiの由来である。
烏来分駐所の裏側に回ると、当時の石段が残っており、石段を上りつめるとひっそりとして「奉納 水」と刻まれた水盤が残っている。水盤には「台湾埔里街 陳萬枝 昭和十四年十月二十八日」と刻まれている。その他の神社遺跡としては、水盤そばの隣家の庭に無造作に放置された石燈籠の一部がある。
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台北州 北投社

2008-12-27 00:10:53 | 台北州




台北市の温泉で有名なこの新北投に北投神社があった。場所はMRTの新北投駅のすぐ前で、天月という総合温泉館から逸仙小学校にかけての小高い丘の中腹にあった。唯一神社の遺跡である一対の狛犬が逸仙小学校の守衛室裏辺りの校舎に続く入口前と花壇の中に残っていた。「吽行」は完全な形で残っているが、「阿行」は尾のあたりが無くなっており、傍の草むらの中にひっそり放置されていた。


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台東廳 加走湾祠

2008-12-23 07:46:07 | 台東廳
この場所は三度ほど訪問した。一度目の時は人伝てに教えてもらった竹やぶを切り開いて、中ほどに進むと土の埋もれた石燈籠の土台が左右に1基ずつ発見することが出来た。土台を掘り起こしてみると前面には「御大典記念」、横側には「加走湾祠氏子中」の文字が刻み込まれていた。二度目は神社の位置を昔の写真と見比べることであった。このときから、必ず石燈籠の奥には本殿または拝殿の遺跡ががあるに違いないと確信し始めた。三度目の時は、竹やぶを更に切り開いて石燈籠の遺跡から約10メートル奥に入ったあたりに基壇を発見することが出来た。基壇には僅かな亀裂が入っていたが、基壇自体はしっかりしており、いわゆる祠の中では規模的には最大である。長年竹やぶの中にひっそり埋もれていたため保存状況は大変良く、思わずその素晴らしさに感動を覚えるものであった。
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台東廳 新港祠

2008-12-20 22:28:34 | 台東廳
新港祠は昭和2年(1927年)に高砂族教化指導のために建立された。マラウラウ祠とも呼ばれ、一般住民の寄付により現在の公民路の小高い丘に建立された。当時の新港祠は神苑が狭く、また比較的さびしそうな場所にあったため、住民の寄付により現在の三民里にある新港中学校(グランド西側の高台)に移されたとのことであった。
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台東廳 呂家祠

2008-12-20 22:26:14 | 台東廳
呂家祠は利嘉国民小学の裏にある。保存状態は良いほうであるが、以前はごみ捨て場にちかかったと、この神社を保存している卑南族の陳さんが言っていた。
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