台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台北州 基隆神社

2008-07-26 19:03:46 | 台北州
7月20日の海の日に関東地区基隆会が開かれました。今回初めて参加させていただきました。場所は麹町のホテル・グランドアーク半蔵門で当日の参加者は120名とのことでした。
参加者の卒業小学校は日新、双葉、真砂、仙洞などであり、また当時の義重町、日新町、高砂町、入舟町、仙洞町、双葉町、寿町、八堵などに住んでいた方々でした。カラオケを中心に大変盛り上がり、基隆市歌斉歌で最後を締めくくりました。
関西基隆会は今年が最後でしたが、関東基隆会は来年も同じ7月20日にありますので、また参加したいと思っております。
会場では同じテーブルで「風を聴く 台湾・九份物語」の作成会社クリエイティブ21の林雅之社長にお会いしました。現在、九份の奥にあった同じ金鉱山である金瓜石のドキュメンタリー映画を作成中で、年末には試写会が行われるようです。

【基隆神社】
現在は中正公園忠烈祠となっており、入口の長く急な石段を登りきると、忠烈祠に向かう石段があり、幼稚園傍の庭園に大きな石燈籠が1基残っていた。2つ目の石段を上りきると両側に一対の狛犬が残っており、忠烈祠を守る中国風の白い獅子と一緒に忠烈祠を守護している。忠烈祠に向かう入口左側の緩やかな石段を登ってゆくと、石燈籠の一部がひっそりと放置されていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初めまして

2008-07-25 23:27:15 | 初めまして
 2001年より2006年まで台北に駐在しており、台湾北部の金瓜石金鉱山の守護神として建立された神社遺跡を見て、日本統治時代に建立された神社の遺跡に興味を持つようになりました。最初は観光見物のつもりでしたが、昭和18年3月に当時の台湾総督府が発行した「台湾に於ける神社及宗教」には198社の神社が掲載されていることを知り、俄然神社遺跡に対して興味を持つようになりました。2003年10月頃より週末を利用して神社遺跡を求めて台湾中を廻り始めました。
 神社遺跡を探索する以前に神社そのものの所在地を見つけ出すには海外の場所であること、言葉、そして歴史の風化に直面し、調査の難しさは予想を上回るものでした。それでも何とか克服し、あと数箇所で踏破できる予定です。
 神社の調査を続けている過程において数々の諸先輩・友人に出会い、数多くの情報も得ることが出来ました。台湾での研究者および協力者、そして日本では財団法人台湾協会の会員となり、各種の湾生(終戦まで台湾におられた方々)の会合(台中会、台南会、高雄会、甘辛会、基隆会、花蓮港会、台湾友の会など)で得た情報は計り知れないものとなりました。
 一説に、日本の占領地および植民地(中国、朝鮮、樺太、満州、台湾など)に建立された神社は1,600社と言われています。この中で、台湾の数は200社となっています。私の調査では、神社の規模および校内神社としての奉斎殿を含めると420社余りになります。今後この調査が進めばもっともっと増えるでしょう。
 神社は誰によって何の目的のために建立されたかを調査するのも私の研究の一つです。このブログのタイトルは「台湾に渡った日本の神々」であり、また、将来神社研究の集大成として出版予定している本のタイトルも「台湾に渡った日本の神々」です。新開拓地には必ずといっていいほど土地の守護神としての神社が建立され、神様が祀られました。従って、その土地に建立された神社と祀られた祭神とは深い関係があります。この点を調査することが上記の質問に対する鍵になるでしょう。
 このブログでは台湾全土に建立された神社の遺跡を中心に紹介してゆきます。特別な順序は考えていませんが当事の行政区分である台北州→新竹州→台中州→台南州→高雄州→澎湖廳→花蓮港廳→台東廳→台北州への戻りの順番でそれぞれの地区から数箇所ピックアップしてゆく形で進めてゆきます。途中、神社紹介のお問い合わせがあれば、知りえる範囲内で紹介しますので、是非お問い合わせ下さい。また、私の資料で不十分なところは指摘して頂き、より完成度の高い内容にしていきたく思います。


<追記>
 私の研究内容が2008年2月26日の日経新聞文化欄に「台湾に日本式神社の面影 植民地統治下に建立、残された鳥居や石柱などを巡る」というタイトルで掲載されました。ご覧になりたい方はご一報願います。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする