台湾に渡った日本の神々---今なお残る神社の遺構と遺物

日本統治時代に数多くの神社が建立されました。これらの神社を探索し神社遺跡を紹介するものです
by 金子展也

台南州 虎山社

2008-11-29 11:44:14 | 台南州
虎山社(車路墘社ともいう)は昭和8年(1933年)6月7日に台灣製糖株式會社の車路墘糖廠に鎮座した企業神社である。車路墘社は現在の仁徳糖廠(1969年に車路墘糖廠から仁徳糖廠に名前が変った)を過ぎて左側の道を登って行くと阿弥陀佛亭が見えてくる。この場所が神社のあったところである。石段を上り詰めるとすぐに一対の狛犬が待ち構えている。但し、この狛犬は両方とも口を開けているため日本の狛犬とは異なっている。恐らく台湾の石職人によって作成されたものであろう。狛犬の石台には糸井、木村および山本等の奉納者の名前が刻み込まれている。また、神社の遺跡としての玉垣には神社建立において寄付された方々の名前がはっきりと残っていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台南州 總爺社

2008-11-29 11:40:52 | 台南州
明治製糖株式会社麻豆總爺糖廠に会社の社運の隆昌と従業員の安泰を祈願するために昭和5年(1930年)に鎮座したのが總爺社である。1947年に神社は取り壊され、その跡地に製糖会社で働く社員の子弟のために今の總爺国民小学校の前身である台湾公司第十小学が建設された。その時、一対の狛犬だけが校庭の隅に放置されていた。2002年に総爺小学校の校長になった謝耀宗氏が校庭を美化するために、狛犬を取り出し、事務室の階段前に安置したとのことである。現在は黄土色に色を変えた小ぶりの一対の狛犬を總爺国民小学校前の庭に見ることが出来る。神社がどの場所に建立されたかは不明であるが、小学校左側に杉の木があることから、位置的には小学校裏であると考えられる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台南州 湾裡社

2008-11-29 11:33:34 | 台南州
湾裡社は現在の善化製糖工場内に企業神社として昭和5年(1930年)10月20日に鎮座した。光復後、神社は取壊され、神苑には善化小学校が建立された。その時、狛犬だけが難を逃れて工場内の奥に移されたのである。ちょうど227之6の前あたりにある。尚、狛犬の石台には「奉納」の他に「昭和13年」の文字まで判読出来た。
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台南州 嘉義神社

2008-11-21 23:51:58 | 台南州






嘉義駅より東に2Kmほど行くと嘉義公園があり、野球場のそばに嘉義神社の参道があり、一対の狛犬が参拝者を待つかのように残っている。斎館と社務所までの参道の両側には11基の石燈籠があり、中ほどには忠烈祠の門がある。檜でできた社務所の屋根は入母式で、ほぼ完全な形で残っており、当時の嘉義神社の優雅さをほうふつさせる。現在、斎館と社務所は史蹟資料館になっており、自由に参観が出来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台南州 阿里山神社

2008-11-16 00:40:51 | 台南州
東北アジア最高峰の玉山(海抜3,952メートル)の支峰としての阿里山は海抜2,200メートル級に属する。嘉義から阿里山に向かうのは、時間があれば3時間半をかけて標高2,274メートルの阿里山・沼平駅までの走行距離約70kmのトロッコ電車をお薦めする。
阿里山神社は現在の香林中学校のすぐ傍の孫文を称える記念碑に変っている。光復以降、この場所には香林小学校が建てられたが、地震で校舎が崩壊したため、現在の受鎮宮の前に建て替えられた。香林中学校はその後に香林小学校の跡地に建てられた。
写真奥が孫文の記念碑であり神社本殿のあった場所である。左は千歳檜(日本統治時代は萬歳檜と呼ばれた)である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする